9話.紫竜との対決

 エンリコが築いた闇のドーム。


 それは例え日中でも、彼がヴァンパイア状態になる必要がある時に使う。

 その他にも使い様はあるかもしれない――例えば目晦ましだとか、自分の姿を晦ませる為だとか。

 だがその場合、本人も闇の中では目が効かない。


 そう、ヴァンパイアでもない限りは……。

 

 

(ええいっ! まさか石など投げつけて来るとはな、中々クレバーな攻撃を見せるわい。多勢に無勢、ならばこちらも味方を作ればよい!)


 エンリコは後退しつつ闇のドームを広げ、やがてそれは九重の淵の滝つぼをすっぽりと覆う程に至った。

 そこには感知していた三つの邪気のうち、二つが居合わせていたのだ。


(フムゥ……最も強い邪気の持ち主がここにはおらぬが。まぁ良い、この二匹でも十分じゃ!)


 エンリコが洗脳術を用いると、呆気なく二匹は術に陥った。


「ハハハ、なんて事の無い楽な作業じゃった。さ~て、反撃開始じゃ~!!」

  

 エンリコは洗脳術の万能性を確信し、満足だった。


 なぜなら彼は愚者。


 だから、術の原理だとか、かかる条件など気にもならなかったし、なぜ二匹の邪竜が何の抵抗も見せなかったのかなど気にするべくもない。ましてや、もう一つの、見当たらなかった強大な邪気の主についてなど、もうすっかり上の空だったのだ。



 ……流れ落ちる滝つぼのずっとずっと奥深く。


 それでも底はまだ見えぬ摩訶不思議な池の暗いところに“其れ”は居た。


 永劫になるやも知れぬと覚悟したその眠りより、異質の邪気を感じた“其れ”は、欠伸をひとつ。まだ微睡みの中に身を委ねていた。


(――さて、今度の相手は俺の望みに敵うだろうか……)


 一瞬、苛立ちを覚える嫌な気配を感じた。

 するとそこに居た二体の邪竜が気配の元へとついていく。


(どうやらコイツは不可思議な術を使う。

 くくく、楽しめそうじゃないか。

 まぁ、もう一つ、異質な邪気も気になるが。

 少し様子を見るとするか……)


 “其れ”はすっかり目を覚ましていた。



 迫り来る邪竜を前に、躍り出たのはキースだった。 


「……へへ、らしくなってきたじゃねぇか! ドラゴン討伐のよぉ!!」


 彼には成し遂げたい夢があった。

 守りたい仲間があった。

 叶えてやりたい友情があった。


「行くぜぇ!……って何っ!!」


 先陣切って飛び出したキースの目に飛び込んで来たのは、まるで時間を飛び越して来たかの様にいきなり目前に迫る邪竜の姿。


「疾いっ!」


 後ろに居たスティープには、その様子がはっきり見えた。

 大蛇の如き紫紺の竜は、一瞬、鎌首を上げたかと思うと禍々しい邪気を纏い、地面すれすれを神速をもって跳ねたのだ。

 土埃を舞い上げ空気をキーンと割く音が、彼我の間合いを瞬時に詰めた。

 

「駄目だ、避けられない!」


 スティープがそう思った瞬間、紫竜の振り下ろす鋭き前爪がキースを直撃した。


ガキンッ!!


「ぐふぅーーっ!!」


(ア? 硬いナ……防いだカ。イラつくゼ)


 後方に豪快に吹っ飛ぶキース。


「キース殿ぉぉーーっ!!」


 オジキが走り、ひしと受け止める。

 だが鎌首もたそびえ立つ紫竜は、間髪入れずにその巨体を素早くひねり、自身の尾を大きくしならせた。


ビュオォォーーッ!!


「ふんぬっっ!!」


 オジキはいつの間にか大きな盾を掲げ、その尻尾の攻撃を受け止めた。

 左手にキース、右手に盾を持ち踏ん張りながら。


バキンッ!!


(ドコからコイツは、アンナに大キナ盾ヲ持チ出シタ? イラつくゼ!)


 まともに喰らえば致死傷必至の一撃を、その盾で見事に防がれ紫竜は憤怒の形相を露わにした。


(然モ倒れモセズ耐えやがっタ!ナンダこいつ、イラつくゼ!!)


 大盾は大破していた。

 それでも左手にしっかりキースを抱え、右手には大破した大盾を構え、両足を大地に立っているオジキ。

 そこには踏ん張って出来た足の跡がくっきり2本の線となって残っていた。

 

(ソレと……)


 紫竜の誤算はもう一つ。今の尻尾攻撃で向かってきた輩をまとめて片付けようと考えていたのは、この2人だけではなく3


 確かにそこには3人居たのだ、この2人とその後ろにもう一人。

 しかし今はオジキとキースの二人しか見当たらない。


(ドコへ消えやがっタ? イラつくゼー!!!)


 紫竜が辺りをキョロキョロと伺っていたその時、


GGYAAAAAAAAHHH!!


 それは、紫竜が喚き上げた咆哮。


 紫竜の体からは鮮血が吹き出していた。

 そしてそこには、いつの間にか現れたジークフリートが、次の一撃を見舞わんと剣を紫竜に向け、振りかざしていた。


 しかし、彼の剣は空を切る。

 藻掻きくねらせながら転げる様にして紫竜は、後方に素早く退避していた。


 紫竜は男を睨んだ。

 その男の剣には血が付着していた。

 だが、いつ、どうやって?


(イッタイ何がドウなっていやガル?! ドイツもコイツも俺のイラつく事ばかりしやがっテ! ナゼ俺様がコンナちっぽけな奴等に手古摺り、しかも傷まで負わねばならねぇんダ? コノ糞どもガーーーっ!!)


GOOOGYAAAAAAAHHHHSS!!

 

 紫竜の怒りは頂点に達した。

 体に刻まれた傷の深さや痛みより、ことごとく自分の自信を砕かれたという事実がもっと苦痛で許せなかった。

 

 怒髪天を衝く。

 傷の痛みなどまるで気にしない。

 禍々しい邪気が飛び散る血と混ざり、強者の畏怖を植え付けんとほとばしる。

 

 烈火の如く怒り狂った暴竜は、己を傷付けたその者目掛け突進する。

 空気を震わす咆哮。

 怒涛の勢いで迫る紫竜。


GOOOHHAAAAAAAAAHHH!!


 しかしジークフリートは極めて落ち着いていた。

 

(俺は逃げん、隠れん……迎え撃つ!!)


 それは、反撃するにしてはあまりに不自然な姿勢であった。

 両手で剣の柄を握り、それを胸に構え、しかも剣の刃ではなく腹を相手に向けている。

 

 怒り狂った暴竜には最早その不自然さに用心を廻らす思考は無かった。

 そしてジークフリートは高々と剣を頭上に掲げ、声高らかにこう叫んだ。


破竜失墜バルムンク!】


 空高く掲げた剣からは、目も眩む真っ白な光が放たれた。

 

 一瞬の静寂。


 地面に響く大きな音。

 砂埃が舞い上がる。


 漸く視界が戻るとそこにあったのは、ジークフリートの足もとで横たわる、紫竜の力尽きた姿であった。



(続く)

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