2話.スリとの遭遇

 父から朗読を引き受け、栞のページを読み終えた私。

 父はもう目を輝かせていた。

 

 そりゃそうよねー。


 航海なんてした事無い私でさえ、思わずしてみたくなっちゃう――それ程、魅力溢れる内容だった。でも……。


「さてと……こうしちゃおれん。すぐ航海の準備を進めねば!」


 やっぱりね……行く気満々だわ。

 私はカイマンから習った航海術の授業を思い出していた。


「お父様、この航海は危険だわ」


 私は心底、心配だったのだ。

 未知の航路、それは風も潮も、いつ、どの向きに、どの位の強さで、それが全く判らないという事。


 周りには何も見えない海上のど真ん中、幾日も凪いだらどうするのか。

 或いは船をいとも容易く壊す程の嵐に見舞われたら……。

 

 座礁、病気、船員達の暴動……心配は尽きない。

 手に思わず力が籠る。


「そうだな。だがこのナツメグは凄いんだぞ!薬としての効用や肉などの防腐効果、それに最近新たに判った事実でな……なんとこの実には“魔力”が込められているのだ! これは益々相場を跳ね上げるぞう。ナッツ程のこの実一粒で金と交換出来る程にな!」


 駄目だーこれ……。

 父の探究心、そして商魂に完全にスイッチが入ってる。

 こうなった父はもう誰が何と言おうと止められないわ。


 きっと父上の頭にはもっと以前からナツメグを見つける航海の予定があったに違いない。あと必要だったのはちょっとした“きっかけ”。今回の謁見はまさにそれにおあつらえだったってわけね。


 国王様の意図は、ナツメグの入手。

 金はある。

 手段もある、それが父。

 だとすればもう火に油だ。こうなってはもう止められない、サイは振られたのだ。


 私は本をテーブルに置いた。


「そうだ! カイマンを連れて行けば? 魔術で風を起こしたり、荒波を避けたり出来るんじゃない?!」


「お嬢様……残念ながらこの世界中のどこを探してもそれ程の魔術を使える者はおりますまい。授業でお教え致しました、『魔術封印』の影響にございます」


「あぁその通りだ。一応教会に行って“Amuletお守り”は持とうと思っているよ。まぁお前が私の航海を心配してくれるのは嬉しい。だが私だって例え転んでもただでは起き上がらぬよ、いつも言ってるだろう? 転んだら……」


「「何かを拾って起き上がりなさい」」


 私は父が言うのと重ねてその言葉を言ってみせた。


 この言葉は父の昔からの口癖であり、家訓なのだ。

 だからエランツォ家の者なら誰もが知っている。

 

 父は私にウィンクしながらサムズアップしてみせた。

 私は、はぁ~と溜息してみせた。


 仕方ない、こうなったら私に出来る精一杯のお手伝いをしてあげるか。



 私は、商店街まで買い物に出ていた。


 父の航海に必要な物を頼まれた、というより屋敷を飛び出してきたのだ。

 必要なのは望遠鏡、羅針盤、そしてネコ。


 空は曇っていた。

 この時期には珍しい、雨が降る事は無いと思うけど……。

 念の為、なるべく早く済ませなきゃね。


 父はアルル兄と一緒に行かせようとしてたけど、兄は急な仕事で留守だった。

 それじゃあ、と私にカイマンをつけようとしたわ。


 私はもう子供じゃない! 16才よ!


 って突き返して飛び出してきちゃったのよ。

 そうよ、それくらいの買い物だったら、もう一人で出来るわよ!ってね。


 望遠鏡も羅針盤もすんなりと買い物できた。というより店に着くと主人が「お! いよいよ出発するのかい?」と用意されていたのだ。


 既に父は話を通していたみたい。


 それは、なんでもこの店で抱えている優秀な職人<レイネ>の傑作だという。

 試しに望遠鏡の方を覗いてみると、なる程、遠くの景色がくっきり見える。

 羅針盤も私の知る物よりもだいぶコンパクトで、しかも首飾りの様に首にかけて使える仕様になっていた。

 これは大分高そうだと、素人目にも見て分かった。

 私は少しドキドキしていた。


(た、足りるかしら……) 


 何せ飛び出してきたのだ、購入のお金も受け取らず。

 だからとりあえず、自分の小遣いで支払いを済ますしかない。


 ところがそんな心配も杞憂に終わった。

 なんと、お代は後でうちまで貰いに来るというのだ。

 

「それじゃあ、こちらにサインを……」


 結局、これだけで済んでしまった。

 正直、これには助かった。 


 あとはネコだけ。

 ま、流石にネコを買うくらいのお金はあるわ……多分。


 ところが私はネコがどこで売られているのか知らなかった。

 

 どうしようかしら……。


 きっとあの父ならどこかに手配を済ませている筈よね。

 こういう所はしっかり者だから。

 でもそれを聞かずに大丈夫!って啖呵切って出てきちゃったし……。


 野良猫でも引っ捕まえるか、なんて事を本気で考えながら辺りをキョロキョロしながら歩いていたの。

 すると……、


ドカッ!


Uiおっと!ゴメンよ!」 


 ポルトゥール訛りの飴色の髪の女の子だったわ。

 その短い髪と首に巻かれた緑色のスカーフがフワッとたなびく。

 

 その子はくるりと体を回転させて、何事も無かったかの様にそのまま向こうの方へ歩いていったのよ。


 器用ねー、観光かしら、と目で追うと、彼女は何かを軽くポンと投げ、受け取る仕草が見えた。

 

 あれ? あれって……。


「あーっ! 財布が無い!!」


 途端その子は、私をチラッと横目で見ながらニヤリと口の端を吊り上げてたわ。

 そして猛然と走り出したのだ!


「に、逃がすかー! 待てーーっ!!」


 こ、この子! 意外に逃げ足が早い! ただの子供じゃないわっ!


 でもね、足の速さなら私だって自信があるの。

 伊達に【セビーヤのフェニックス】を名乗ってないわ!!


 私は猛然と駆け出した。

 

 時折振り返りながら確認するコソ泥。

 きっと焦っている筈よ。


 段々と人気の無い通りへと逃げていく。

 すると急に方向転換、サッと左の路地に曲がった。


 ん? あそこは確か行き止まりだったはず……。


 逃げ込んだ路地に追いつくと、コソ泥は行き止まりの壁を背に待ち構えていた。


「あ~しまったー! 行き止まりかー。こいつはドジったなぁ」


 な、なんて白々しい……悪党の癖に誤魔化すのが下手くそね。


 アイツはここに入り込んだのだ。

 どうやらここで決着をつけようってつもりらしい。

 それは、アイツの態度で判る。

 ふてぶてしい程に落ち着いた、それでいてやる気満々の表情。

 

 ――そして何より熟練の者が放つ独特の雰囲気オーラ


 私は持っていた望遠鏡、羅針盤を脇に置いた。

 たまたまそこに立てかけてあったほうきに目が留まる。


 丁度良い、借りるね。


 私は箒を手に上段に構え、盗賊に向かった。

 するとコソ泥の表情が変わったわ。


 アイツも気付いたんじゃないかしら?


 熟練の者が放つ独特の雰囲気オーラにね。

 


(続く)

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