第2章.悲劇の始まり

1話.謁見

 例えば、幾つもの支流が寄り集まって、やがて一つの大河を為す様に、運命という大河も様々な可能性という支流が収束して出来るものなのかもしれない。


 家族とか仲間とか、手の届く身の回りだけじゃなく、国家だとかもっと大きなもの――例えばこのエウロペの歴史とか、そんな壮大なものまでもが私達の運命を決定づける可能性に含まれているんじゃないかしらね?


 あれはまさに、そう思える様な出来事だった気がするの。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


 ある一冊の書物がここ『エウロペ大陸』の国々で話題を呼んだ。

 その書物の名は、『レコーデ レスト』。


 エウロペ大陸の国の一つ『ポルトゥール共和国』。

 漁業が盛んな海洋国だ。


 近年、その優れた航海技術や造船技術を他国に誇示する目的で、国費を投じ、まだ見ぬ海の向こうへの“航海”を奨励した。

 そんな国の威信を背負い、一人の探検家が未知なる東南海域への航海に乗り出し、そして成功する。

 その探検の様子を記した書、それこそがこの『レコーデ レスト』だ。


 遥か向こうには神や魔物が住まうと信じられていた海洋と、陸続きには強大な異民族国家が立ちはだかる――四面を囲まれたエウロペの人々にとって、世界とはエウロペであり、エウロペより外は夢と浪漫、畏怖と未知の世界でしかなかった。

 

 そんな彼らに『レコーデ レスト』が語る世界は、想像でしかなかった夢や浪漫の幻を具体化するのに十分だった。それは彼らの好奇心や冒険心をを掻き立て、この新世界への憧れと挑戦に火を付けたのだ。


 とはいえ、それを実際やるとなれば、知識も経験も、そして何よりも莫大な金が要る。そんな憧れと挑戦は、ほとんどの人々にとってやはり、酒場で語る夢物語でしかあり得なかったのだ。


 だがしかし、その本の内容に大いなる興味を引き、その憧れに本気で挑もうと考え、しかもそれを可能とする人物も居た。


 その一人こそ、エスパニル王国、国王ジョアンⅡ世である。


  

 ここは謁見の間。

 国王の前に跪く一人の男。


「来たか、エステバン=デ=エランツォよ。これが何か判るかな?」


 王の手より従者へと小袋が渡され、従者はそれを王の前で跪く男に差し出す。

 男、エステバンはその小袋の中をジッと見る。

 中にはしわしわのナッツの様な実があり、何とも言えぬ芳香が漂ってくる。

 エステバンの表情がサッと変わった。


「こ、これは……ひょっとして“ナツメグ”ではございませぬか?」


 驚くのも無理はない。

 なぜならそれは、幻のスパイスと言われている代物だからだ。


「流石我が国随一の商会の長よ、その通りだ。では我が国がこれを入手するにはどうすれば良いかな?」


「はい、私達は『ヴィネツィ』商人からそれを入手するしか他なく、彼らの上乗せする莫大な値を覚悟せねばなりません」


 ナツメグはエウロペの東に立ちはだかる強大な異民族国家『イスマール帝国』よりも更に東方の島から持ち運ばれる。


 それは“シルクロード”と呼ばれる遥か東の果てまで繋がった陸地のルートを通じて、はるばるやってくるのだ。


 シルクロードの西端はイスマール帝国の首都コンスタンティン。

 ここにはシルクロードを通じ東方より運ばれてきた数々の珍しく、貴重で、大変高価な品々が集まる。


 この東方交易品に早くから目を付けた者達がいた。

 エウロペいちの商業国家『ヴィネツィ共和国』の商人達だ。


 彼らは一致団結してイスマール皇帝を金で取り込み、イスマール商人との独占的な交渉権を勝ち得ていた。従って、エウロペでイスマール商人と取引できるのはヴィネツィ商人だけで、もし東方交易品をエウロペの人々が入手したいなら彼らを通じて買うよりほか無かったのである。

 

「うむ。ところで、この本はもう読んだか?」


 王が手にするその本は、エステバンにとって初めて見る装丁だったが、話の流れからよもやと思い当たるものがあった。


「それはひょっとして……『レコーデ レスト』では。 恥ずかしながらまだ入手出来ておりませぬ」


「そうか、ではこの本を今日貸してやろう。栞のページを読むが良い。また後日会おう」



 エステバンは帰りの道中、あの“ナツメグ”を、その大きさ、色、形、そしてその芳香をしっかり頭に刻み込んでいた。


 ナツメグの産地はエステバンの情報網を以ってしても未だ掴む事は出来ていない。

 ただ漠然と、遥か遠く東方の熱帯諸島のどこかとしか知られていないのだ。


 たったこれだけの情報が何になるというだろう。


 地図はエウロペより遠い部分は陸も海も空白のままだ。

 海路もエウロペ周辺の海のみで、これまでエウロペの商人達にとって、東洋とは月も同然だったのだ。

 だから、そんなところをわざわざ目指す者などこれまで皆無であった。


 しかしエステバンは違った。


 彼の持つ探究心が、商魂が、これこそ自分が人生をかけて追い求めるべきものだと声高に訴える――彼は月を目指す者だった。

 

 『レコーデ レスト』の出版はエステバンにとって、“先を越された!”という思いしかない。目指すものには常に先手を取ってきた彼には、さぞかし悔しかった事だろう。


 だから彼にとってその本が齎した最も重要な事――それは、東南海域へ抜ける航路があるという話と、そこにはやはりナツメグがあるという話。しかもそういう話が書かれているという噂をチラと耳にしただけである。

 だがそれだけで十分だった、もう中を詳しく読む必要すらない。

 既にエステバンは航海の準備を着々と進めていたのだ。


 それに今回の謁見が重なった。

 まさに機は熟した。

  

(使い慣れた望遠鏡と六分儀はあるのだが、念には念だ、新品も買い揃えておこう。後は……ネコだな。造船所の親父と船の最終チェックと積荷の食糧・水の手配、必要な水夫の雇用……ああ忙しくなりそうだ。使いは、アルルヤースが家に居たな。良い機会だ、航海術をカイマンから学んでいたカタリーナと一緒に任せてみるか……)


 はやる気持ちを剥き出しにエステバンは急いで家路に就いた。



 エステバンが屋敷に戻るとカイマンは言われずともお茶を用意していた。

 彼を執事として雇ってからもうかれこれ5年は経つ。

 月日の流れとは早いものだと感じながら、同時にエステバンは安堵を覚えていた。

 彼が居れば留守にしても大丈夫だろう、と。

 そして大声でアルルヤースとカタリーナの名を呼んだ。


 エステバンは広間の椅子に着き、手にした本の装丁をじっくりと眺めた。


 赤茶色に染め上げられた表紙は重厚な厚みと重さを持っている。

 その感触から芯に木材を使い仔牛革で覆ったのであろう。

 金箔の型押しにより綺麗な花飾りや葉飾り、曲線や紋章の装飾が施され、タイトルも金箔の型押しで大きく目立つ。

 表紙には小口をしっかり閉じる留め金がついている。


 エステバンは成る程と感心した。

 これは、写本が紙でなく獣皮が使われているからだ。

 獣皮は反ったり皺がより易い。

 それを防ぐ為、この小口の留め金でしっかり“圧”を掛けておくのだ。


 小口の天地にもそれぞれタイトルが書き込まれ、背の上下の淵は亜麻糸で刺繍されており、強度の保護と装飾を果たしていた。なかなか凝った作りになっている。


 その間、カイマンは手早くカモミール茶を、エステバンの空いたカップに注いでいく。そこへ漸く部屋から駆け出してきたカタリーナがやってきた。


「お父様、何かしら?」

「ん、カタリーナか。アルルはまだか?」

「お兄様は留守よ」

「そうか。ではこの本が何か判るか? なんとあの『レコーデ レスト』だ!」

「!!」

「ははは、驚くのも無理はない。そうだ、お前ポルトゥール語は読めるな?」

「もちろんよ! お父様。私が読んであげる」

「よし! 国王より預かった大変大事な本だ。大切に扱って読んでおくれ」


 カタリーナはエステバンより丁寧に本を受け取ると、栞のページを開き、すぅと息を吸い込んで読み始めた。


『……その島は、見えてくるよりも先に匂いで判った。まだ海しか見えぬ船上で、その芳香は大気に漂い我らの鼻をくすぐっている。やがて香りは濃さを増し、まだ見ぬ山の頂が、遥か水平線上の彼方より浮かび上がってくるその前に、我々にはいよいよ陸地が近いと判るのだ。 ようやく島が見えてきた。なんという光景だろう!島の背骨を為す山々を縁取るように、柳にも似たしなやかな木が埋め森を為す。その木は丈高く、月桂樹の様な葉、美しい形の花、レモンイエローの果実を付け、得も言えぬ芳香を漂わす。 これこそ我らが探し求めていたものに違いない! そう“ナツメグ”だ!!』



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る