第34話 自覚
この城に来たころは、勇者さまに別れを告げられたばかりで、ひどく混乱したままずっと敵だと思っていた魔族の人たちを警戒し続けていた。自分が人間の命運を背負いこんでいると思い込んで、魔族から人間を守るんだと息巻いて、魔王に求婚したりした。
今思うと、かなり突飛な行動だ。話の通じない奴だ、と捨て置かれてもしょうがないような態度だったと思う。だけど、そうはならなかった。魔族はわたしのための居場所を用意して、少しづつ対話を重ねてくれた。
彼らはきっとわたしに『はじまりの聖女』を重ねていて、かつて助けられなかった負い目のために優しくしてくれていたのだろうけれど、結果的にわたしは柔らかい好意に包まれて、冷え切った心を次第に回復させていったのだと思う。
だから好意を受け取れるほどの、余裕が生まれたのだ。
そして、誰かを愛することも、きっとできるようになった。
こころの中にある愛情は、キシールやカイドルさんに向ける穏やかなものだけではなくて、胸を焦がす、熱い想いが生まれていることに、わたしはもう気が付いている。
人生で一番つらい時に、わたしを連れ出してくれた人。ひどい態度をとるわたしを叱り、対等に接しようと努めてくれた人。
明かされた事情には驚いたけれど。その視線の先に、わたしはいないのかもしれないけれど。
わたしの名前を呼びながら紫の瞳を向けられたときに、ああ、好きだなあ、と思ってしまった。
胸がじんと痺れるようで、想うだけで体が熱くなる。
好きだということを、見るだけで胸がぽかぽかする、とキシールは表現した。
わたしのこれは、もっと熱い。
瞳を向けられるだけで胸が弾むのも、笑顔をもう一度見たいと思うのも。
聖女の務めとしてではなく、彼自身の力になりたいと、わたし個人が思っているからだ。
勇者さまに恋をしていた時は、「この人をなんとかしてあげなくちゃいけない」という思いで動いていた気がする。だけど今は、あの人と共にありたい、と思うのだ。
同じ目標に向かって、一緒に歩んでいきたい。誰よりも、側で。
もうこれ以上、自分の心をごまかすことはできない。
わたしは、魔王に恋をしているのだ。
魔王への恋心を自覚した途端にひどく恥ずかしくなって、眠っているキシールの傍らでクッションを顔に押し付けて声を出さないようにしながら身もだえしているとき、カイドルさんが部屋に飛び込んできた。
珍しいことに、ノックのひとつもなかった。
恥ずかしいところを見られてしまった、と思うより前に、カイドルさんの様子がおかしいことに気づく。
三つ揃えのスーツにしわが寄っている。振る舞いもいつもの洗練さが欠けている。それだけでも、ただ事ではないことがわかる。カイドルさんがこんなに慌てているところをはじめて見る。
だけど、何かあったんですか、とわたしが声をかける前に、カイドルさんは早口で告げた。
「勇者がきます」
一瞬、意味が分からなかった。
小首をかしげて固まったわたしを見て、カイドルさんは同じ言葉を繰り返す。
「勇者ドーハートが、この城に来ます」
勇者さまが。
わたしが生み出してしまった、世界最強のあの人が、ここに来る。
なぜ、もしかして、わたしを迎えに、と言おうとして、それが愚問であることに気づいた。
ここは魔王城で、彼は勇者なのだ。
だからドーハートさまがここに来るならそれは、魔王を殺すために決まっている。
人魔戦争、その最終決戦を仕掛けるためについに動いたのだ。
「……いつ、ですか?」
大軍を率いて魔王城を取り囲もうというのなら、まだかなりの時間の余裕はあるはずだ、というわたしの考えは、カイドルさんの簡潔な返答によって瞬く間に打ち砕かれる。
「すぐにでも」
カイドルさんの言葉と同時に、城の上層から爆発音が響き、わたしの耳に届いた。
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