幕間五 休日は花嫁修行にあててみて

ピロン


 休日、みぽりんとの鍛練たんれんからの帰り道、僕のケータイがメッセージの着信音を鳴らした。


すい『ヨッシー! 買い食いしないで戻ってきてね!』


 すいからのメッセージである。

 三週間ほど前だったか……。そう、あれは詩織と昼メシを食べた日のことだった。


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「おかえり~」

「ヨッシー! これ、これ見て!」


 戸が開く音がしたので、僕はスマホで天気予報を調べる手を止め、迎えの挨拶あいさつをした。そこに、すいが笑顔をいっぱいに浮かべて駆け寄ってくる。その手には……。


「ん? あれ、どうしたのそのスマホ」

「あいちんが買ってくれた!」

「え~……。ちょっと母さ~ん……」

「うふふ~」


 すいに遅れて、ニコニコ顔の母さん、ソフィーも入室してくる。


「母さん、どんだけすいを甘やかすのさ」

「ケータイがあればすいちーもお友達と青春をより満喫まんきつできるでしょ~?」

「ブタに真珠しんじゅ……すいさんに電子機器ね」

「んだと、コラァッ! 月食わすぞ!」

「望むところッ! お返しよッ!」


 千代せんだい銘菓めいかを食べさせ合っているすいとソフィーを尻目に、母さんが僕に顔を寄せ、小声でささやいてきた。


「それに……すいちーがケータイ持ってれば、今日みたいに別の子とデートもできるんでしょ? つよぽ~ん?」


 うっわ。母さん……わっるい笑顔してんな~……。

 朝の詩織とのやりとりで母さんはそんな……余計な気を回したらしい。


「いや、そんなつもりは……」

「うふふ~」


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 というわけで、すいは自分用のスマホを手に入れていた。

 おかげで、というのもなんだけれど、すいも前ほどは僕について回ることは少なくなった。とりあえず今のところは一度もないが、もし襲撃者が来てもすいにはすぐ連絡を入れるようにする、ということで彼女には納得してもらったのだ。


 一方、スマホを手にしたすいだが、操作に慣れるのにも時間がかかり、最近になってようやくメッセージを送れるようになってきたというところ。きっと、このメッセージも時間かけて打ったんだろう。たどたどしい手つきで画面を操作するすいが頭に思い浮かんだ。


「まあ、真っ直ぐ帰るつもりだけど……。すい、何か……企んでるのか?」


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「ヨッシー、おかー!」

「ただいま……って、うわっ!」


 アパートの扉を開けると、そのスキマから黒煙こくえんが漏れ出してきた。


「ちょっとすい! 何してんの?!」

「お料理!」


 煙の中、姿の見えないすいが答える。


「料理って、ひ、火、火!」

「どうした? ヨッシー。ひひひ、って面白いことでもあった?」

「火消してッ!」

合点がってん承知しょうち!」


 すいがコンロの火を止め、僕は手探りで換気扇のスイッチを入れ、ようやく台所が見えてきた。

 幸いにもどこかが燃えた、とかはなかったようだけれど……コンロの上の鍋からはまだ何かがくすぶっているような音。そして臭い。

 おそるおそる鍋の中をのぞき込むと、カスカスになった、真っ黒の異物たち。


「すい……」


 僕は、鼻先を真っ黒にさせたすいに向き直った。


「はい」

「料理しないでって言ってあったよね?」

「はい……」

「なんでしたの?」

「だって……。ワタシもちゃんとした手料理、ヨッシーに食べてもらいたくて」

「はあ……」


 おそらく、すいのこの発奮はっぷんは二日前の襲撃者に刺激されたものだろう。

 その襲撃者は、闇の世界で名をせたいという料理人だった。で、その襲撃目的は「僕を倒す」とかでなく「私の料理を食べさせ、美味うまいとうならせてみせる!」とかいうカワイイものだった。

 なんか最近、襲撃のパターンがいろいろありすぎて、ちょっと楽しみになってきちゃってる部分もあるよ。


 実際のところ、彼女がこの台所で作った料理はどれもこれも美味しかった。僕はうなった。美味すぎて目から涙を大量に流した。

 「闇世界でなくてふつうにお店出した方がいいですよ。すごく美味しかったですから」と僕が告げると、彼女は「そうするっ! なんか自信出てきた!」と言って満足気まんぞくげに帰っていった。

 それをずっと、恨めしそうに眺めていただけのすい……。


「何作ろうとしてたの?」

冷製れいせいパスタと鮭ムニエルと海鮮パエリア」


 うぉぉ~い……。ちょっと挑戦しすぎじゃないかい、すいさん。


「はあ……わかった……」

「ヨッシー?」

「料理、勉強しよっか」

「……うんっ!」


 嬉しそうにうなずくすい。

 このままだと今日の晩御飯にもありつけないので、僕は彼女のやる気を無闇むやみがずに、いっしょに作ることにした。


「もっと簡単なもの作ろうよ。まずは」

「簡単なものって、ラーメン?!」

「いや……カップ麺はクソ簡単だけど、それは料理とは呼ばないかな……。すい、包丁は使える?」

「包丁……」


 すいが包丁を手に取る。と、包丁を持つ彼女の手がブルブルと震えはじめた。


「あわわわあわわわわわわわ」

「ちょ、ちょ、ちょちょ、ちょっとすい、いったん置いて! 包丁置いて!」


 これは、ダメかな……。


「ワタシ、刃物持った相手は何でもないけど、自分が持つとこんなんなんだよね……」


 うん。判ってたことだけど、なかなか特殊な子だよね。


「はい、じゃあこれ」


 僕は、彼女にピーラーを持たせた。彼女の手は……。


「ワタシ……震えないね」

「そりゃまあ、ピーラーはあんまり刃物っぽくないからね。じゃあ、このジャガイモの皮、むいてね」

「うん。なに作るの?」

「出来てからのお楽しみ~」


 すいがピーラーをかけている横で、僕はアルミホイルを取り出し、それを箱型に整える。それを、ふたつ。


「はい、じゃあコレ。今度はベーコン千切ちぎってね。ひとくち分くらい」

「手で千切ればいいの?」

「うん。多少は形悪くなっても気にしないでいいから」


 すいがベーコンを千切っていく。これは自らの手を使っているからか、武術の心得がなにかしら作用しているのか、結構キレイに形が揃っている。

 僕はその横で、彼女が皮をむいたジャガイモの芽を取っていった。


「はい。じゃあ、次は包丁再挑戦!」

「ええぇ……。ダイジョブかなあ……」


 僕は、心配するすいの背後にまわると、包丁を握る彼女の手に自分の手を添えた。


「僕も一緒にやるから……そんなに難しい切り方しないし」

「ヨッシー……。こんなん、れてまうやろ……」

「……僕だって恥ずかしいからな。一応言っとく」


 僕たちは、キレイに皮をむかれ、芽をとられたジャガイモを乱切りにしていく。


「できたっ! できたよ、ヨッシー!」

「うん。じゃあ、バターをこのホイルに入れて~、次に切ったジャガイモを入れます」

「うん、うん……。入れた!」

「ベーコンも入れて。まばらな感じでね」

「おぉ……よしっ! 入れた!」

「全体に塩、コショウを軽く振ります。はい、振って!」

「いよっしゃぁ!」

「軽くねっ!」


 すいがホイルの箱の内側に、パラパラと塩コショウを振りまく。


「そしたら?!」

「チーズをバラまきます」

「うぉぉ……腹減ってきたぁ。じゅるり」

「すい、チーズ好きだもんね。あと、ヨダレ出すな」

「で? それで?!」

「マヨネーズを軽くかけます」

「合点承知!」


 すいがマヨネーズをしぼる。


「最後に、アルミホイルを閉じて……」


 僕はひとつのアルミホイルの箱、それの上部を閉じる。それを真似して、すいももう一方の箱を閉じる。


「完成?!」

「してない。これをグリルに入れて十五分くらい、放っておきます!」

「放っておく……だと?!」

「はい。放っておいてください。余計なことはしないでください」


 十五分後。


「うわぁ……いい匂い」

「ジャガイモのホイル焼きの完成で~す!」


 グリルから取り出した箱の上部、アルミホイルを破いて開く。立ち昇る湯気ゆげと、チーズ、ジャガイモの匂い……。


「いただきまーすっ!」


 ご飯もよそって、ちょっと遅くなった夕食。僕とすいは同時にジャガイモのホイル焼きに手を付けた。


「うん。いい出来かな」

「おいしいね! しょっぱホクホク!」

「なんだ、そのしょっぱホクホクって……」

「味の感想だよ! しょっぱくってホクホクだよ! ヨッシーはどう? ワタシの手料理おいしい?!」

「僕の手伝いありきだよね……。でも、うん。おいしいよ」

「いぇ~い! ……むっふっふ~」


 箸を持ちながら、僕にピースサインを向けてくるすい。お行儀ぎょうぎ悪いな……。


「これでワタシも料理マスター?!」

「にはまだ程遠ほどとおいんじゃないでしょうか。ホイル焼き習得しただけだし」

「えぇ……マジかい……。屁吸へすいじゅつマスターより程遠い気がするよ……」

「……そんなしょげないでよ。また作りたくなったら僕も手伝うからさ」


 僕のその言葉に、すいは目を輝かせた。


「いぇす! じゃあ明日の朝も昼飯も夕食も、毎日、毎日……」

「週三くらいで勘弁してください」


 僕は、これは割と本気で頭を下げた。

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