第四十三話 姉であること、兄であること

「強兄さん……」

「何も言うな。今は……今だけは……」


 僕たち……僕と拳一けんいちは、夏も間近まぢかのこの夜空の下、ふたりで海に……残念な海に浮かびながら、お互いの体がそこにあることが唯一の救いであるかのように、抱きしめ合っていた。


「ちょっと、大丈夫なの? 強くん」


 視界に割り込んできた、見た目の美貌びぼうだけは神がかっているソフィー。まだ吸唇きゅうしん強化の効果が残ってるのか、その髪はキラキラと金色こんじきに輝いてて、まるで新しい星の海が夜空に現れたみたい――綺麗だ。

 やだ、なんか涙出てきた。けど、ゲロの海に混ざっていった。


「私、手から水が出ないから、ちょっと取ってくるわね」


 ソフィーは合掌がっしょうに似た変なポーズを取って言うと、そのまま忽然こつぜんと姿を消した。

 って今のポーズ、「ウルトラ水流」だよね?! 僕たちの世代で知ってる人稀有けうだと思うんだけど、なんでソフィー知ってんの?! 怖いよ。君の日本への浸透しんとうりょくの方向性が怖いよ!


「いょし……。これで大丈夫かな……」


 僕と拳一がソフィーに頭からバケツ水を被せてもらっている横で、すいと詩織しおりはオメガと小男を縛り終え、一息ついた。

 脂肪をあらかた吐き出し、すいとソフィーのダブルアタックにやられきったオメガは、いまでは可哀想かわいそうなくらいにヒョロヒョロのガリガリになってしまってる。


「拳一。アンタ、みんなにお礼言いなさい」


 詩織が仁王立ちで弟に向かって言う。


「なんでだよ、姉ちゃん。ぼくはもう少しで新世界の神に……いてっ!」

「いいから言えっ!」


 ゲンコツを食らった拳一は、しおらしくなって僕たちみんなに礼を言った。


「笹原さんには悪いですけど、なんだか小憎こにくたらしい子ですね」

「でしょ?!」

「ワタシは結構、気が合いそうな予感がする」

「さすが……! え~っと……どちらさまでしたっけ?」

「こっちはすいちゃん! こっちの子はソフィーちゃん。アタシと同じクラスで友だちっ!」

「ハァ……。ふつつかな姉ですが、強兄さんともども末永くよろしくお願いします……いてぇっ!」


 深々と礼をし、姉からふたたびゲンコツをもらう小学四年生。なんだこのガキ。


「やっぱり小憎たらしいわね」

「ん……う……うわヨ!」


 声がした方にみんなが注目する。縛られた小男が気がついた様子だ。


「おうおうおう、テメェ! 何してくれちゃってんのっ?!」

「ヒイッ! な、なにがですカ……?」

「しおりんの弟を人質にとるなんて非道ひどうなマネのことさぁね!」

「弟……?」

「とぼけるつもり? わざわざ笹原さんの弟の拳一くんを人質に……なんて卑劣ひれつなこと、よくもしてくれたわね?」

「まあ、最終的には人質にしましたけどネ……。最初にカラんできたの、その子ですヨ?」

「えっ?!」


 みんなは一斉いっせいに驚きの声を上げた。当然、拳一に視線が集まる。


「てへっ」


 舌を出すな。


「なんか、オメガくんに興味もったみたいで、『どうしてこんな短期間で太れるんですか?』とか『ライザープの加入前後の比較写真を前後逆にして捏造ねつぞうするためですか?』とかあまりにもうるさかったからネ、温厚おんこうなオメガくんもついにぶちギレて、体に取り込んじゃったワケヨ」

「……ペロッ」


 拳一、舌を出すな。


「登下校で通るたびに気になってたから、夏休みが来る前に自由研究の課題にしようかなぁ、と……イッテェ!!」


 これまでで最大の勢いのゲンコツが拳一の頭上に振り下ろされた。


「みんな、ゴメン……。ウチの弟がバカで」

「姉ちゃんに殴られるからだよ! バカになるのは!」

「うっさい!」

「まあまあ……詩織……。もとはといえば、僕のせいなんだから……」


 そうだ。こんなヤツらが現れるのも僕が「ダイチ」の息子だから……。


「強。アンタ浮かない顔してるけど、まーた変なこと考えてるんじゃないでしょうね?」

「そうだよ、ヨッシー。ワタシたち、そんな危険な目なんて気にしないって、そういう契約っしょ!」

「……えっ。ちょっと待って。何です? それ。私は初耳なんですけど。ねえ、ちょっと……仲間はずれ?」


 そういや、ソフィーは詩織とめてたときにはいなかったな……。


「みんな……。うん、ごめん……」

「え、いや……強くん?」

「そうだよね」

「ねえ、ちょっと話、聞こう? ソフィーさんのお話、聞こう?」

「うん、わかった……。気にしないよ」

「ニェプ! 私の話を聞いてよっ! 誰か……誰かッ!」

「私でよければ聞きますヨ?」

「テメェは寝てろッ!」


 ソフィーに怒鳴られてしゅんとする小男。


「……う……うーん……」


 僕たちのやりとりがうるさかったのか、オメガも気がついたみたいだ。


「あ……。博士はかせ……。これは一体……?」

「オメガくん! 今頃気づいて、君って子はホント役立たずだヨ!」

「そういえば、すい。この人たちどうするの?」


 僕はすいに振り向いていた。


「警察署の前に、『食べ物を与えないでください』って貼り紙して置いておけばなんとかしてくれるでしょ。どうみても不法入国だし」

「そんな動物園みたいな……」

「ちょ、ちょっと待って!」


 詩織が僕とすいの話に割り込んだ。彼女はオメガと小男に歩み寄る。


「オメガ……さんでいいのかな?」

「はい……なんで……しょう?」

「あなた、妹さんがいるのね?」


 あからさまにギクッ、という顔をする小男。


「はい……いますけど……。どうしてそれを?」

「聞く気はなかったんだけど、聞こえちゃったから……。その妹さんは、今どうしてるの?」

「博士が……預かって……くれています……。オメガが……博士の実験を手伝って……強くなれば……それでお金を稼げれば……妹……アルファも守れるから……それまでは……預かってくれる……と」

「こ、こら! オメガくんッ!」


 僕たちは、一斉に小男をニラんだ。


「テメェ! やっぱり人質とる性癖せいへきあんだろうが!」

「ひぃいぃッ!」


 それは「性癖」とは呼ばないと思うよ、ソフィー。


「どこ? アルファちゃんは今、どこにいるの?! 言いなさい!」

「し、知りたければ……ワタクシを解放しなさいヨ……。逃がしなさいヨ」


 これは交渉どころと考えたのか、狡賢ずるがしこそうな目をする小男。

 こ、コイツ……。外道げどうもいいところだな……。


「まだ自分の立場がわかってないみたいだなぁ、ン?」


 すいがポキポキ、と指を鳴らす。


操魂そうこんッ!」

「……ウッ!」


プ~


 そう、オナラです。

 ってか指ポキは意味あるの?


「あ、ああアぁああァああアッー!」


 屁吸へすいじゅつをかけられた小男が、地面をゴロゴロと転がって悶絶もんぜつしている。


「すい、何をしたの?」

「ヤツの筋肉を操作して、大事な部分が引きちぎれるような痛みを与えてるよ。このままだと自分への手術が必要になるんじゃないかな」


 すい……。なんて怖ろしい子。


「言う、言う、ああぁアっぅ! 言うからぁッ! ユルッしてヨーッ!」


 その後僕たちは、小男があっさりと白状したアルファちゃんの居場所に救出に向かった。意外と近くの廃屋はいおくに、意外と丁重ていちょうな様子で幽閉ゆうへいされていたアルファちゃん。オメガさんも久しぶりに妹さんと会えたみたいで、ふたりのハグはなんだか微笑ほほえましかった。

 小男は「メスです。かわいがってください」と書かれた段ボール箱に入れられて、警察署の前に放置された。みなさんは動物を安易あんいに捨てたりしないよう、可愛がってあげてください。


「オメガさんとアルファちゃんは……どうするんです?」

「う~ん……。あ、ちょっとアテはあるかも」

「アテ?」


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「それでボクのところに来たってわけ~? 犬や猫じゃないんだから~」


 僕たちはふたりを連れて、みぽりんの事務所――ワワフポ社のオフィスに来ていた。


「ワワフポなら一応新聞社で世界各地に支社があるから、就労しゅうろうでの正式な入国手続きがしやすいかと思いまして」

「それは、まあ、そうなんだけども~……」

「ある程度働いて稼いで、お国にふたりで帰れるまででいいと思うんですよ。みぽりん、永盛さんいなくて生活力低下中ですよね?」

「家事とかは逢瀬おうせくんに期待してる~」

「期待しないでください! 僕も学校ありますし、呿入きょにゅうけん鍛練たんれんにもっと集中したいんです。記者兼お手伝い兼マスコットとして、お願いしますよ」

「う~ん……。確かに妹ちゃん、愛らしいよね~……」


 そう、アルファちゃん……なかなかカワイイ美少女なのだ。

 年は拳一と同じくらいだろうか。アジア系の浅黒い肌で、ガリガリに痩せている兄とは違い、子どもらしいふっくらとした顔つき。目はパッチリと大きく、まつ毛が長い。なにより、兄との再会を喜ぶその笑顔が、助けにきた僕たち全員をほっこりさせてくれた。


「あ~……もう。断るほうがメンドくさくなってきたよ~。オッケー、いいよ~。部屋はボクの部屋、使っていいから~」

「やった~っ!」


 僕たちは揃って歓声かんせいを上げた。

 みぽりん、なんだかんだで扱いやすい大人だから好き!


「オメガさん。みぽりんの尻を叩いて働かせてくださいね!」

「はい……。強さん……皆さん……ありがとう……」

「アルファちゃん、お兄ちゃんと一緒でよかったねっ!」

「うんっ!」


 ほっこり。


「あ~……あれかな~? アルファちゃん、小学校行かないとだよね~」

「みぽりん……。あんた、ええやつやで……見直したで……」

「オメガくんの初仕事はその手続きね~。ボクは何もしないからね~」

「みぽりん……。見直したの、また見直すぜ……」


「アルファちゃん……」


 やぶから棒に、拳一……。アルファちゃん救出以降、おとなしくしてたと思ってたけど……。


「学校、ちょっとここからじゃ遠いけど……ぼくと同じところ行こうよ。毎朝迎えにくるからさ。ほら、日本語とかまだよく判らないでしょ。お、教えてあげる」

「……うんっ! アリガトッ!」


 そういって、アルファは拳一のほほにキスをした。

 拳一、お前の顔のゆるみはすでに四十おじさんのソレに近いぞ。気をつけろ。


「ひゃ~……。拳一……アンタ結構攻めるわね……」

「強くん、私たちもっ!」

「乱れんなっ! 金パツ!」

「オメガさん……。肉体的に強くならなくても、大事な人は守れると思います。僕もそうなりたいから、そう信じてます。アルファちゃんを守ってあげて下さいね」

「はい……強さん、ホント……ありがとう」


 みんなそれぞれほっこりした気分を抱えたまま、だいぶ遅くなった夜の帰路きろについた。

 ソフィー、詩織たちとも別れ、すいと僕とでアパートの階段を上っているとき、僕は大変なことを思い出して立ち止まった。


「ヨッシー? どした?」

「……ってか詩織ッ! ゲップ吸うってどういうことッ?! どういうイキサツ?!」

「……明日、聞こうよ。ヨッシー」


 大声で叫んだ僕に、すいの呆れた笑いが向けられた。

 ちょっと……なんか……心外しんがいなんですけど。

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