第二十三話 できればこの子にはキレイなモノをみて育ってほしいの

「へ?」


 僕は、この光景が本当に現実なのか、にわかには信じられなかった。


 廊下には制服から察するに男子が十数人、うつ伏せで倒れている。

 ただし、半ケツ。

 ケツを天に突き出すような格好で、半ケツ。

 半ケツ、半ケツ、半ケツ、半ケツ……廊下の奥まで半ケツの山。


「なにこれ? え、なにこれ?」

「見ちゃダメ、ヨッシー!」


 必死に僕の目隠しをするすい。


「ねぇ、すい。これ、アレ? おケツ……え?」

「見るな!」

「え、いや、見えてるから。君、けっこう指開いてるから丸見えだから」

「男子ばかり……。アイツ、イカれてやがる」

「ねえ、すい、聞いてる? 僕の目の方がイカれてるわけじゃなけりゃ、半ケツの山だよね? ズボンがずり下がって、肌色のお山がふたつ突き出して……ね? 僕、こう……血がドバッとか想像してたんだけど、僕の想像力が足りなかったのかなぁ? ねえ、すい?」

「こんなの、死ぬよりも……つらいだろうに」


 ギリリ、と激しい歯ぎしりで、ソフィーあにに対し怒り心頭しんとうの様子のすい。僕の声は届いてないな、これは。


 ン?

 手前の半ケツをよく見ると……半ケツだけじゃないぞ……? なにか、ケツに……刺さってる? なんだ、コレは……? ……ストロー?

 プラスチックのストローが、半ケツにもれなく刺さっている。どれもこれも律儀に、飲みやすい? ように蛇腹じゃばらを折られている。


 いやいやいや、イミわかんない! わかんないよ! なに、なんでストロー? 吸うの? なんか吸っちゃうの? 半ケツから?

 怖いよ! 別の意味で怖ろしいよ、コレ!


「みんな、息はあるね。急ごう、ヨッシー!」

「うん。早くいかないと頭がおかしくなりそうだ!」


 すいについて駆け出し、次の角を曲がる。ここでも、すいはブレーキをかけた。


「……いる」

「いるって……」


 廊下の奥から、かすかに声が聴こえる。


「……ィ―、ソフィー……」

「……呼んでるのか? ソフィーを」

「イカれたシスコン野郎の登場ね……」


 突き当りの陰から、ソフィーの兄が姿を現した。

 ソフィーと同じ金色の髪はボサボサ、目の焦点が定まらずにゆるみ切った表情は、その端正たんせいな顔立ちを台無しにしている。左手には大量の、束のプラスチックストロー。

 怖い。怖いよ、この人。特にストロー。


「うわあ。きみはたしか、あぶクま、すいチャンデシタかね。イイネ!」


 グリグリと、左右不揃いで目玉を動かしながら、壊れた腹話術の人形のような喋り方をするソフィー兄。異様いようだ。完全に正気を失ってる……。


「ちょっとキミ」


 そんな彼の背後から、今度はガタイのいい男が現れて声をかけた。腕っぷしが強いことで有名な体育教師だ。フクちゃん先生も同行している。

 フクちゃん先生は廊下のこっちがわ、僕たちが立ちすくんでいるのに気が付いた。


逢瀬おうせ阿武隈あぶくま! なんでこんなところにいる? 避難しろ!」


 そのかんに、もう一方の体育教師がソフィー兄の肩に手をかける。


「ここは校内だぞ! 何してるか判って……」

「マズい、近づくな!」


 ソフィーの兄が一瞬消えたかと思うと、また同じ場所に姿を現す。すいの忠告の叫びもむなしく、彼の足元には体育教師がふたり――いや、ほんの少し前までは体育教師だった半ケツがふたつ、転がっていた。ストロー付き。


「ソフィーはね……コーラフロートが好きなんデス。いっぱい、いっぱい作ってアゲマス」


 な~るほど。半ケツがアイス部分かな? 確かに、まるっとしたところがどことな~く……似てねーよ! こんなコーラフロート女の子に飲ますとかトラウマだよ、トラウマ!


「チッ!やっぱり金ぱっつぁんと同じ……いや、それ以上だ」

「すい?」

屁吸へすいじゅつが効きづらい!」


 ソフィーと戦った時もすいはすぐには術は使わず、疲れさせたと言っていた。すでに屁吸術……放屁ほうひを促す技を仕掛けたんだろうけど、不発したらしい。たぶん、吸血鬼きゅうけつきの一族には屁吸が効きづらいんだ。


「じゃあ、体力を使わせるの?」

「……骨が折れそうだけどね。ヨッシー、下がってて!」

「ん? おとこがまだイマスね……。ソフィーにはオトコは不要デス!」


 ソフィー兄のその言葉が僕の耳に入りきる前に、彼の身体は僕の眼前に現れた。十数メートルはある距離を、一瞬。まるで、言葉をその場に置いてきたみたいだ。

 イヤだ……ボクも半ケツにされるのか?!


 ニタリと歪んだ笑顔を見せるソフィー兄。

 しかし、彼は右から拳を加えられ、廊下の壁にたたきつけられた。


「テメェの相手はワタシだ! くされストーカー変態ヤロウ!!」


 ですから、それは盛大な「おまえが言うな」です。


 すいの一撃を食らって壁まで吹き飛ばされたソフィー兄だったが、何事もなかったかのように彼は立ち上がる。


「チッ……手応えナシ……。バケモンだわ」

「すいちゃん、強いデス。でもソフィーのほうがもっとカワイイ」


 文脈が支離しり滅裂めつれつだ……。今から話し合いなんて考えは……夢のまた夢だろう。


「女の子は眠っているのがカワイイデス」


 壁際かべぎわにいたソフィー兄は、一瞬ですいの懐まで間合いを詰めると、彼女のボディに拳撃けんげきを加えた。


「カハッ!」


 天井に叩きつけられ、反動で床に落ちて転がるすい。


「すいっ!」


 そんな……すいが、こうも簡単にのされるなんて……。


「オトコはコーラフロートにするのが豊作デス」


 ギリッと僕に向き直るソフィー兄。

 だから、なに? そのコーラフロートって……! そんなの注文してませんよ!


「ううっ……仕方ない……」


 すいが震えながら立ち上がる。ダメージがでかそうだ……。


「できれば……絶対、使いたくなかったけど……」


ブベビッ


 すいの言葉のひと呼吸あと、廊下を異音が響き渡った。


 え、これ……オナラですか?


 廊下に意識をもった状態でいるのは、三人。ソフィー兄はまだまだ元気。僕ではない。あとは……。


「聞かんといて! ヨッシー、聞かんといて!」


 すいがけわしい顔をしつつも、そのほほを赤く染めている。

 あれ? やっぱり今の音……すいのオナラなのか? 

 大丈夫なの? その音。オナラ以外の別のモノを心配になるカンジだよ?


「オナラって恥ずかしいから! 聞かんといてよ!」


 いままで散々いろんな人に屁をこかせてきたくせに、どの口が言うか。


「チクショウ……女にはじかかせやがって……。屁吸へすい参段さんだん輪魂りんこんいちッ!」


 すいは金色の輝きを取り込む。と、彼女の三つ編みがゆっくりと浮き上がる。結びがほどけて、彼女の長い黒髪は優しい風にでも吹かれているようにふわふわと宙を舞う。


「すい……?」


 彼女の瞳には、瞳孔どうこうを囲むようにピンク色の輪が現れた。と、すいはなにやら、わざとらしい、驚いたような表情を作った。


「あ、すごっ! なにこれ、スイーツみたいな味するよっ! このオナラ。ね、ヨッシー」


 そんなスイーツ加工工場はいますぐ閉鎖されてしまえ。


「それにさっき聞いた音はアレじゃないかな? 飛行機でも飛んでるんじゃないかな……?」


 えらいちっさい飛行機だな、オイ。

 どうやらすいは、この土壇場で僕にオナラを聞かれたことをなかったことにしたいらしい。ヘッタクソだけど。


「わかった、聞いてないから! あんな汚い音、聞いてないから! すい、やるならやって!」

「汚いって……きい! てん! じゃんッ!」


 叫びとともに、すいはソフィー兄目がけて飛びかかり、そのまま連打を与える。

 その移動速度、僕が見た中でももっとも最速だったサムウェイのときよりも数段早いようだ。瞬間移動のように感じられる。

 拳打の威力も、連打のフィニッシュで廊下の奥までソフィー兄を吹き飛ばしたことから、その重みを増しているようだ。


 新しい屁吸、自分の屁を吸う……。

 速度強化とか、自分をパワーアップさせる術なのか? だけど、なんでコレをサムウェイの時に使わなかったのか……。


 廊下の奥、ソフィー兄が立ち上がる。


「すいチャン、かわイイネ!」

「うるっしゃあ! ワタシをめていいのはヨッシーだけじゃい!」


 すいは追い打ち、とばかりにソフィー兄に急接近し、さらなる乱打を放つ。

 それを迎え撃つソフィー兄。


 すいとソフィー兄の激しい応酬おうしゅう……。


 一見互角ごかくに見えるが、ソフィー兄は片手しか使っていない。例の、プラスチックストローを左手いっぱいに持ったままだ。まさか、すいの尊い犠牲おならで成ったパワーアップも、ソフィー兄には及ばないのか?


『ぽい~ん。ヨッシー! 電話だよ~、電話だよ~。ワタシ以外なら出ないでいいよ~』


 僕の携帯が鳴った。着信音はすいがうるさいから観念して録音させたもの。

 画面表示は……詩織だ!


「もしもし!」

『強くん? 無事?』


 電話口は詩織じゃない。ソフィーだ。


「ああ、なんとか今のところは。格技場の準備はできたの? ソフィー」

『ええ、いいわ。兄を連れてきて!』


 その時、盛大な衝撃音が響き、目の前にすいが転がってきた。


「すいっ?!」

「へへっ……もう終わりか……まいったね」


 変化していた、すいの髪の妙な浮遊感や、瞳の色、全てが元に戻っている。


「すい、その技……」

「……そ。時間の……制限付き……」


 そうか……だから持久戦が予想されたサムウェイ戦では使わなかった……いや使えなかったんだ。


 ソフィー兄の方を見る。

 いくらかダメージはありそうなものの、一見してピンピンしている様子だ。

 ……マズい。


「足を、足を集中的に叩いたから……しばらくはダイジョブな……はず」

「……すい」

「行って、ヨッシー……。金パツの、準備、できたんでしょ?」

「うん、でも、すいが……」

「いいから早く……はやくっ!」

「クソッ!」


 僕はすいに発破はっぱをかけられ、クルリと向き直って駆け出した。


「オトコは扶養ふようデス。ソフィーとキスしたイィィ!!」


 ソフィー兄がすいを半ケツにするためか、コチラに向かって駆けてくる。

 だがその速度はパッと見、僕より少し早い程度だ。

 彼は左足を引きずっている。すいの集中攻撃が効いてるんだ。


「ゴメン、すい! 必ずコイツを倒してもどってくるから!」


 などと言っていたら、ソフィー兄は倒れていたすいをスルーして、ズンズンと僕の方に向かってくる。

 なんで?! いや、まあ、すいが半ケツにされなくてよかったけど、なんで?!

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