第二十二話 過去の自分を君に見て、もう我慢しなくていいんだよと言ってあげたい

 翌月曜日、ソフィーは学校に来なかった。


「テスト日にソフィーたん欠席か~。連絡きてね~な~。誰か知らね~か?」


 ショートホームルームで富久山先生がクラスに問いかける。みんな、首を振るばかりだ。

 僕は当然、昨日のことを思い出していた。すい、詩織も同様だろう。

 ソフィーの青ざめた顔は結局、勉強会を終えて帰る頃になってもそのままだった。


 ソフィー……まさか急にいなくなったり、しないよな……?


「しょうがね~な~。まあ、あとのヤツら。今日もがんばれよ」


------------------------------------------------


傍線ぼうせん部の漢字の読み仮名がなを答えなさい】


 何で来ないんだ、ソフィー?


【傍線部が指し示すものを、前段落から十文字以内で答えなさい】


 まさか、お兄さんから逃げるため、僕たちに何も言わず、ひとりでどこかに行く――ってのか?


【この登場人物がこのような行動にいたった心情の変化を、「表情」、「信頼」、「嘘」の単語を使って説明しなさい】


 この数日、ソフィーと過ごして築きつつあった信頼は、ウソだったのか? 僕たちの……僕の勝手な思い込みだったのか? 勉強会の帰りのあの表情は、逃げることを決意した顔だったのか?


 ……ダメだ。

 テストになんて集中できない。


 僕がペンを進められず悶々もんもんとしていると、クラスの静けさの中で、小さく悲鳴のようなものが聴こえた気がした。


 周りを見渡す。

 クラス内、数人が僕と同じように何かを聴き取ったらしく、顔を上げて辺りを気にしている素振りを見せている。すいもまた、顔を上げている。彼女は警戒心をあらわにした表情で、教室の後方一点を迷うことなくニラんでいる。


「きゃあ!」

「うわぁぁッ!」


 今度はハッキリと叫び声が聞こえた。さすがにクラスの全員が異変に気付く。教室内がざわつきだす。


「静かに、静かに~。ちょっと様子みてくるから、みんな、そのまま試験続けて」


 テスト監督の先生が教室を出ていく。

 扉がしまると同時に、教室内で盛大に、クラスメイトたちのザワつきとは別の音が鳴り響き始めた。


プ、プぺ、ブピ、プ……


「え、ちょ」

「いや……えぇ?!」


 そう、オナラです。


 僕と詩織、そしてすいの三人を除いて、教室内の全員が机に突っ伏すようにして意識を失った。

 僕たちはすいの元に駆け寄る。


「すい!」

「全員を逃がしているひまがない。悪いけどみんなには寝ててもらう」

「襲撃者なのね?」


 詩織が意気いき揚々ようようとすいに問う。


「いや、これはパートワンだね」

「パートワン?」

「あ……ソフィーのお兄さん……」


 数日前、彼と出会ったときに僕とすいが使ったワード。


「そう。しかも、とびっきりヤバいね。まるで殺意のかたまりだ。バカめ!」

「え……まさか……誰か死んでたり……」

「……それは、わかんない」

「死人は出ていませんよ」


 澄んだ声とともに教室の扉が開く。ソフィーだ。


「ソフィー!」

「あらぁ? おそようございます。ワタシたちからお逃げになったんじゃありませんこと?」

「ふん」


 高慢こうまんに鼻を鳴らしたが、ソフィーの身体は小刻みに震えていた。


「私ひとりになっておびき出せるかと思ったんですが甘かったようだわ。兄は、この学校を排除対象と判断したらしいです」

「……排除対象?」

「私に近づくもの、関係するもの。兄はことごとく排除してきた。私を孤立させ、支配するために……」

「……とんだシスコン野郎だな。もう、ストーカーだね。そりゃ」


 すい、「おまえが言うな」だぞ。


「この教室に来るまでの間、兄の暴虐ぼうぎゃくに見舞われたクラスを見てきたわ。いつも……対象を排除するときの兄のやり方そのものだった。死人は出ないけど……アレは」


 ガクガクと、その震えが激しくなるソフィー。


「死ぬよりも怖ろしい……」

「ソフィーちゃん……」


『あ、あ……』


 その時、教室に設置されている校内放送用のスピーカーから声が流れ出した。

 僕たちはスピーカーに注目する。


『え、あ、ただいま、緊急事態が発生しております。生徒は職員の指示に従いひな……ちょ、ちょっと君?』


 突然、音声が乱れだす。ガサガサ、ザザザというノイズに埋もれて、放送者の叫びが聞こえてくる。

 まさか、放送室に……。


『うわ、やめてくれ! うわ、わ、わぁぁぁぁ!!』


 断末魔を最後にして、以降、声が途切れた。この声の主は、一体どうなってしまったんだ……。


「早くなんとかしないと!」

「……私に、考えがあります……ですが」

「何?! 時間がない、早く言え!」

「……あなたたちに危険が及ぶ可能性が大きすぎます。ですから、私は兄のもとへ……」

「バッカ!」


 すいがソフィーに対し怒鳴どなる。


「お前、ホントバカな! いい加減にしろ! そんなん屁でもないっちゅうの! そんな心配、吸う価値もないわ!」

「……ソフィーちゃん」


 詩織がソフィーの手をとり、握りしめる。


「ここにいるみんな、ソフィーちゃんのこと……好きなんだよ? ソフィーちゃんはどう? 私たちのこと嫌い?」

「……」


 しばらく黙ったあと、ソフィーはゆっくりと首を振った。その目から一粒、涙がこぼれ落ちる。


 今のソフィーは詩織を拒否した時の僕だ。大切な人を危険にさらしたくないという理由で、自分だけを守ってる。


「ソフィー……。君は、君自身の願いは……本当はどうしたいの?」

「私……私の願い……」


 僕は無言で、コクン、とうなずいた。

 ソフィーの、その涙で潤んだ瞳が僕を見つめる。


「……私は、あんな兄など置いて、皆さんと、ここで、この学校で一緒に……ヒグッ……過ごしたいです。過ごしていきたいです」

「ソフィーがそう願うなら、僕たちはなんだってするよ。君のために……僕たち自身のためにもね」

「強くん……」

「ケッ!」


 すいが悪態をつく。


「だったら最初っから逃げずにそう言えってんだ、バーロー! ほら、金パツ! 考えってなんだ、泣いてないで早くおっしゃれ!」


 僕には判った。コレは、本当は悪態なんかじゃなく……すいの思いやりだ。


 ソフィーはハンカチを取り出して目元をグイッとぬぐうと、ひとつ深い呼吸をした。これで元通りの彫刻のような美しさにもどる。でも、泣いている顔も……なんだかクルものがあったね。


「ふぅ……いいですか。私たち一族はある呪法じゅほうの陣の中にいるとちからが弱められます。ただし、呪法を形成する時間と、兄を閉じ込められるほど大きな陣を作るから、ある程度の広さの場所が要る……」

「はい、採用!」


 決断早いのなー。

 ソフィーはすいを無視して詳細を続ける。


「私と詩織さんで格技場にその呪法陣を形成します。すいさんと強くんは兄の足止めを。完成したら格技場におびきだしてほしい」

「……これ、戦力的にアタシと強、逆のほうがいいんじゃ?」

「ニェプ。足止めには最高戦力のすいさんじゃないと厳しいでしょう。私は呪法を作る係。こっちには詩織さんの力が必要です。呪法が完成して、格技場まで兄を誘導するには強くんが適任なの。それに詩織さん、兄の姿を見たことないでしょう? ひとめ見たら判るとは思いますが……」


 誘導に僕が適任……? 少しイヤな予感がするが、時間がない。今の説明で、十分だ!


「……わかった!」

「はいはいはいはい、本採用! シスコン撃滅作戦、行くよ!」


 すいは早くも教室を飛び出していった。


「つよし!」


 詩織が携帯をかかげる。準備ができたらコールする、という意味だろう。


「わかった!」


 僕もすいの後を追って教室を出た。


「すい!」

「ヨッシー、はやく!」


 走っている間にも校内のどこかで悲痛な叫びが聞こえてくる。

 一体、なんだってんだ? ソフィーの兄貴は!


 校内ではさきほどの放送も相まって、軽いパニック状態が発生しはじめたようだ。

 廊下に出て右往うおう左往さおうする生徒。教室の片隅でひとかたまりになって震えているクラス……。先生たちはそこかしこを行き交っている。統率された様子もなく。

 くそッ……逃げるなら早く逃げろ。


 階段を駆け下りるすい。僕も続く。

 と、すいは階段を下りきってすぐ、廊下に曲がる箇所で立ち止まった。勢いを止められた僕は、すいにぶつかる。


「ぃてて……すい、どうした?」

「な、なんてことを……」


 すいが立ちすくんで驚愕きょうがくしている。

 まさか……この先は……? すでに、ソフィーの兄が……? ソフィーが言うには、死ぬよりも怖ろしい目……。


 怖い。どこかマヒしていた恐怖心が今になってもたげてきた。

 でも、これは僕たちのせいなのかもしれない。現実を見ろ。見なきゃいけない。


 おそるおそる、僕はすいの陰から廊下の様子をうかがった。


「へ?」


 のぞき込んだその先の光景に、僕は自分でもホレボレするほど頓狂とんきょうな声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る