第五話 僕の父さんは世界最強だったようです

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 とある病院の診察室では、切田きりた拓実たくみ回顧かいこが続いていた。


「ありゃあ、確か……阿武隈あぶくま……すいって言ったかな、阿武隈すい。地味な女子」

「阿武隈すい……切田君のクラスメイトかな? その子がどうかしたのかい?」


 中年の医師が切田にく。切田は記憶を手繰たぐるように、数秒の間、宙を眺めてから答え始めた。


「いや……。そいつにぶつかったあと、急にトイレに行きたくなったんだよ」

「トイレ……?」

「で、トイレに行こうとしたら、いつのまにか倒れてた」


 そう言うと、切田は手のひらをパタリと倒し、自分が昏倒こんとうしたさまを医師に示す。


「ふーん……。飲酒時や外気温の影響なんかで排尿時に失神するなんかもあるけれども……。その、オシッコしたくなったことが関係あるのかもしれないね」

「いや、違う、違う」

「違う?」

「オシッコじゃなくて、屁」

「おしっこじゃなくて、へ?」

「……オナラだよ、オナラ。オナラしたくなったんだよ」

「オナラ……?」

「急に腹が張った感じがして、屁をぶっこきてぇ! ってなってトイレ向かったけど、途中でそれが……漏れ出たんだよ。すかしっになってくれたからよかったわ」

「ハァ?」

「そしたらバタンキュー。いや、バタンプゥ? あっはは」

「……うん、切田くん。今日はもう帰っていいよ。むしろ帰れ」


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 阿武隈すいは、陽光が降り注ぐ中、言い放った。


「あなたのオナラ、吸わせてもらうわ」


 ん? お、おな、な、何?

 聴こえなかった。うん、聞こえなかった。

 いや……正確には、聴こえた言葉が発言者の意図した物と合致しているかどうか、そこに不安がある。


「オナラを吸う……まさか?!」


 予想外な反応を見せたのは詩織しおりだった。


「オナラ? オナラって言ったのかな? ねえ、詩織。阿武隈さん、オナラって言った?」

「……屁吸術よ」

「へすいじゅつ? 『へ』ってオナラの『屁』でいいのかな? 合ってる? ねえ、詩織? 僕、不安だよ」

「父さんに聞いたことがある……。歴史的出来事に関わってきながら決して表に出てこない数多あまたの秘術……。その一つ、幻の暗殺術……屁吸術。相手の放屁ほうひを吸入することにより心神を喪失そうしつさせ、音もなく死に至らしめる怖ろしい術よ。いや、屁の音はするでしょうけれども」

「ちょっと詩織、何言ってんの? どこへ向かってるの! 戻って来いよ!」

「ちょっと強! うっさい!」


 えぇ~? 僕、なんで怒られた?

 なんだろう、高校生活始まって以来の理不尽りふじん疎外そがいかんを今、肌で感じるよ……。


「強、ふざけてる場合じゃないのよ」


 僕がふざけてる感じなの? コレ。


「見なさい……。決まるわ!」


 詩織の声と同時、阿武隈さんの右拳がソフィーに向かって放たれた。

 もちろん、ソフィーはこれを防ぐために顔面にガードを作る。彼女の疲労の色は濃く、その動作が精一杯なようで、反撃の気配はない。

 だが、阿武隈さんの右はフェイク。ガードの寸前で拳はピタリと止まり、がら空きになったボディーに左拳がまともに入った――ように見えたのだが、ソフィー自身にダメージの様子はない。拳は当たったはずなのに何の影響もない。そのことに彼女も、訳が分からないといった様子で呆然ぼうぜんとしている。


「……殴ったんじゃないのか?」

「オナラを吸うって言ってんでしょうが! 殴ってどうする?!」


 詩織、どうしちゃったんだろう。こんなにキミを遠くに感じたのは初めてだよ。

 あとキミ、さっきまでぶっ倒れてたのに結構元気だなぁ。


「あ、強ッ! ソフィーちゃんの様子、ほら!」


 詩織に促されて見ると、呆然としていたソフィーはその表情をくもらせ始めた。ほほは紅潮し、視線が右へ……左へ……。小刻みに身をよじるさまは、構えなどあってないようなものだ。


 何だ? 何か……我慢しているのか?

 もう、それが何かは大体、予想つくけど……。


「……ん……ぅんっ……」


 表情にけわしさが増していくソフィー。押しては引き、引いては押していく彼女の中の何か。その波の強弱が、ソフィーの表情でこちらにもありありと伝わってくる。ソフィーの中の(むなしい)攻防が激烈なのだ。

 と、突然にソフィーが顔をうつむかせた。すると……。


プゥ


 彼女を中心として、格技場内に例の音が響いた。

 そう、オナラです。


「うわぁああぁあああぁッ! ニェプ! ニェプ! もうイヤぁあぁッ!」


 ソフィーが両手で顔をおおってイヤ、イヤと首を振る。

 この十数分で彼女と僕たちとはいろいろあったけど、僕は今、彼女に心底からの同情を送る。


「それを待っていたッ! 屁吸へすい序段じょだん失魂しっこんッ!!」


 阿武隈さんが叫ぶ。

 彼女はその小さな口をすぼめ、大きく息を吸い込んだ。一瞬だけ、その吸気がキラキラと輝く光のように、僕には見えた。


「……ふぅ。顔の割にゲスい味だったわ」


 阿武隈さんがグイッと口をぬぐう。それを合図にしたかのように、ソフィーの身体が音もなく床に沈んだ。

 格技場には陽光に照らされた阿武隈さんが立つのみ。


 一体、何なんだ? この光景。


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「じゃ、ワタシのことは絶対言わないように。勝手にぶっ倒れたことにすればいいわ」


 言い放つと、阿武隈さんは格技場を出ていこうとする。


「待って。阿武隈……さん。その……ありがとう」

「いやぁ、あはは、エヘ。こんなの朝飯前よ。むふふ……」


 僕の言葉に、阿武隈さんはモジモジと身をくねらせながら頭をかく。


 これ、恩人に対して思っていいのか分からないけど……。

 なんだろう……。なんかキモイ。

 壮絶なブーメランかもしれないけども、なんとなくキモイ。

 メガネを外した素顔の阿武隈さん。相貌そうぼうは可愛いんだけど、この態度、そこはかとなくキモイ。


「すいちゃん、ありがとう!」

「うっさいわ! このアバズレ! いつまでもヨッシーにしがみついてんじゃねえぞ! テメェの屁も吸うぞ、コルァ!」


 そして、詩織に対してはこの謎の強気。

 えぇ……なに、なに、なに? この情緒不安定さ……。


「ご、ごめん……、阿武隈さん」


 唖然あぜんとする詩織よりも先に、弱キャラが染みついている僕が反射的に謝ってしまっていた。


「あ、ヨッシー……。そんな他人行儀な……。すいって呼んでよ。マイスイート・すい……ウププ」


 あ、ダメだ。この子、話通じない人だ。

 ……でも、この態度。

 目を泳がせつつ、取りつくろうように流れる言葉。僕自身、少しは覚えがある。

 照れてるんだ……コレ。恥ずかしくて、早く、この場を逃れたい。そんなキモチが表れてるんだ。


「すいちゃん、この状況って一体……」

「……っさいわ! 黙っとけワリャァ!」


 やっぱり詩織に対してはアタリが強い……。さすがの詩織も涙目になりつつある。


「ぼ、僕も知りたいな」


 僕が言うと、阿武隈さんはうつむいてしまい、またもモジモジ……。


「突然、クラスメイト同士が殴り合ったり、その……変な武術が……飛び交ったり……何が起きてるの?」

「……」

「ねえ、阿武隈さん?」

「……って呼んで」

「え?」

「すいって呼んでよ。しおりんみたいに。ワタシのこともこれから、すいって呼んで。そしたら答える」

「すい……ちゃん」

「呼び捨てれ!」

「すい……」


 阿武隈さん……いや、すいの顔に満足気まんぞくげな笑みが広がった。


「うふふ……。ヨッシーはね、息子なのよ」

「息子?」

「人類史上最強とうたわれた伝説の男。その男の、世界でただ一人の子ども……。それがヨッシー」

「……へ?」


 彼女の言葉に僕の頭は理解が追いつかない。

 僕の父さんが人類史上最強? 僕がその人の唯一の息子?


 すいは、倒れているソフィーを一瞥いちべつした。


「あらかた、あの金ぱっつぁんはヨッシーを倒す目的で近づいたんでしょ。『無双むそう完傑かんけつのダイチ』本人ではなくても、その息子を倒したとなれば、裏の世界ではハクが付くこと間違いナシだからね」

「え? う、裏の……世界?」

「でも安心してね、ヨッシー。これからは私が二十四時間、寝ても覚めても一緒だよ。刺客だろうが、幼馴染の誘惑だろうが、クラスメイトのくだらないイチャモンだろうが、全部、ぜ~んぶ! 排除してあげるからね」


 愛らしい笑顔を一杯に浮かべる阿武隈すい。どこか誇らしげにさえ見える。

 きっと、自分がとても怖いことを言っているのに気づいていない。


 こうして、オナラを吸う少女の登場を皮切りに、僕のおかしな高校生活は幕を開けることになった。

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