第五話

「カヨは9月26日にトラックに轢かれて死んだ。俺と病院に行った帰り道だった。俺はその運命を変えることができるのならって思って、タイムリープする方法を見つけて、作り出して、こうして今ここにいる」


 未来のケンは淡々とそう言いながら、目はどこか移ろいでいるようにも見えた。目の前の私を見ながら話しているけれど、その瞳の奥は違う景色を見ているようだった。


「どうやってタイムリープしてるんだ?」


 ずっと黙って聞いていた現在のケンが静かに口を挟んだ。ケンの手に握られていたスマホは気づけば手元にはもうない。


「この時計だ。俺が何年もかけて作った」


 そう言ってズイっと私達の方に差し出すように腕を伸ばした。

 そこに付いている腕時計。そのシルバーの時計をよくよく見てみると、中に幾つもの小さな時計盤があって、時針と分針が忙しなく動いている。


「ベースに考えられる相対性理論から宇宙開発、ワームホール理論まで考えて、何度も試行錯誤に実験と失敗を繰り返して、やっと出来たんだ」


 未来のケンの声には、どこか安堵の声が滲んでいるように聞こえたけれど、その表情からはケンの感情が読み取りにくい。元々淡白な表情をしているくせに、ヒゲでその顔の一部を隠しているしてるから余計だ。

 それに未来のケンを見ていると、大人になってここまで来る間に私が知らない部分をたくさん持っているように思えてならなかった。


「タイムリープが上手くいってこの時代のこの日に戻れた一度目、俺はカヨに全てを打ち明けたんだ。あのさっきの交差点で」


 未来のケンは公園の外、交差点のある方角を見やった。


「俺がカヨの姿を見てカヨに状況とこの後に起こる事を一気に伝えたら、お前は怖がって俺から逃げたんだ。その時に角を曲がって来た自転車と正面からぶつかってカヨは……」


 ゆっくりと言葉を噛みしめるように、未来のケンは瞼を閉じた。

 その時の光景を私は覚えていない。覚えていないにも関わらず、それがどういう状況だったのか、容易に想像がついた。

 自転車とぶつかりそうになった瞬間には出くわした記憶がある。たとえ同じ”時”じゃなかったとしても。


「信じられるか? 自転車と衝突して、お前は頭を強く強打してそのまま死んだんだぞ。打ち所が悪かったってだけで、トラックや車と衝突したわけでもなく、自転車で死んだんだぞ?」


 未来のケンの言葉尻から、助けられなかった悔しさが滲み出ていた。


「そう、だったんだ……」


 思っていたよりも、状況は最悪だった。

 記憶にない記憶を探りながら、私は未来のケンの言葉を噛み締めていた。記憶がないはずなのに、その状況を想像するだけで、胃液がこみ上げてきそうだ。


「二度目は俺も用心してカヨに事実を伝える事は辞めた。代わりに見守る事にしたんだ。靴紐が切れた時も転ぶのを防いだり、怪我をしないように学校に着くのを遅らせて体力テストを受けさせないようにしたりもした」

「そんなの、どうやって?」

「簡単だ、カヨが通る道は俺はよく知ってる。だからそこを工事しているように封鎖したり、カヨの苦手な犬を道に放ったりしてな」


 私は犬が苦手な事、ケンならもちろん知っている。まだ幼い頃、近所に住んでいた友達が大型犬を飼っていて、その散歩に付き合っていた時、犬が突然興奮して走り出した。その時リードを持っていた私は、手放せばよかったものをそのまましっかり掴んで引き止めようとしたけど、幼い私はいとも簡単に引きづられる結果となった。

 あれが今もトラウマになっていて、犬は全般的に苦手だ。


「……それで、その時はどうなったの?」


 私はその時の記憶もちっとも覚えていない。トラックに轢かれたあの時もとても曖昧だし、記憶は徐々についてきているような気がするからそのせい……?


「カヨは事故には遭わなかった」


 未来のケンがそう言った後、私の心臓はぎゅっと引き締まるのを感じた。


「カヨはって、どういう意味だ?」


 現在のケンが未来のケンの揚げ足を取るように、話を繋いだ。私もそこが引っかかったし、話には続きがあることは百も承知だった。だって、そうじゃなければ未来のケンは何度もタイムリープするはずがない。

 未来のケンは苦しそうにシャツの胸元をぎゅっと握りしめて、私からも、現在のケンの視線からも逃れるようにして、顔を背けた。


「……カヨママが、死んだよ」


 目の前が一瞬で色を失った、気がした。


「お母さんが……? なんで……」


 未来のケンは目尻にできた深いシワをさらに深く刻んで、目を閉じた。

 思い出すのも、あの時の状況を口に出すのも苦しいんだろうってことは、その表情を見ればよくわかる。

 けれど私も現在のケンも、未来のケンが口を開くのを黙って待った。聞きたくないけど、聞かずにもいられない。

 いい結果を聞けるはずもない。聞いたってどうすることもできない。正直聞くのが怖い気持ちが優ってるけど、それでも未来のケンの言葉を遮ることができない。

 それほど私達は、すでに地獄をみてきているのだ。


「空き巣だ。カヨママが買い物に出かけた後、空き巣に入られた。けど、その後すぐにカヨママは忘れ物をした事に気がついてすぐに家に戻った。そして泥棒と対面してしまったんだ……慌てた泥棒がカヨママをナイフで刺して、逃走した……」


 ぞくっとした悪寒が背筋を走った。足元から脳天にかけて一瞬で駆け抜けた寒気が、私の体温を奪い去ったように思えて、私は自分の体を抱きかかえるようにして震える体を抑えつけた。


「お、お母さん……知らせなきゃ……!」


 今すぐ家に戻って、お母さんにこの事を知らせなくちゃ。今ならまだ間に合う!

 私が慌てて駆け出そうとした時、未来のケンが私の腕を掴んだ。


「安心しろ。俺が手を打って前回は食い止めた。だから今回もそうするつもりだ」

「どっ、どうやって食い止めるつもりなの?」


 上手くろれつが回らない。頭の中はパニックによって何も考えられなくなっていた。


「前回お前らが俺にしたのと同じ手だよ。空き巣に入られる時間帯に合わせて警察に不審者情報を流して巡回と警備を依頼する。あと、カヨママには俺が連絡を入れて忘れ物もしないよう、買い物もなるべく長くなるように仕向ける」

「それで、上手くいったんだよね……?」

「ああ、前回もその前も上手くいった。だから安心しろって」


 未来のケンはまっすぐ私を見つめて、頷いた。ケンのその目には嘘偽りが一切写っていないのを確認して、私は初めて肩に力が入っていた事を知って、それを解放した。


「カヨママが亡くなった時、俺はもう一度タイムリープする事を決めた。そしてカヨが言う1回目、実際俺は3回目になるタイムリープをしたんだ」

「……トラックの時のことだよね」


 未来のケンは再びゆっくりと首を縦に振った。


「オリジナルで言うならば、カヨはトラックに轢かれて死んだ。だから俺はそのトラックの運送業に入り込んで、ドライブコースを変える選択を選んだ。けど、結局俺はお前とかち合った上、いざって時にブレーキが効かなくて……俺はお前を轢く結果になった」


 未来のケンは息苦しいといったような苦々しげな表情を浮かべたまま、空を仰いだ。


「あれは、本当に最悪だった」


 未来のケンは私を助ける為にこの時代のこの日にやって来たって言った。それなのに、幼馴染の私を自分の手で殺す事になるなんて、その時の気持ちがどんなものだったのかなんて、想像するのはなかなか容易ではないと思った。

 あのトラックで運転していた未来のケンは恐怖の色をその顔に滲ませていた。それはそういう事だったんだ……。

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