第三話

「あら、朝からどうかしたの?」


 ガラリと音を立てて引き戸を開けると、薬剤の香りがツンと鼻の奥を差した。


「なんか体調悪いみたいなんで、連れてきました」

「そうだったの、大久保くんありがとう。えっと、二組の種田さんだったわよね?」


 ケンはよく体調不良を訴えて保健室に休みに来るだけあって、保健医の先生もケンの名前はすっかり覚えてしまっている。

 ほとんどがゲームのしすぎによる頭痛と寝不足なんだけど。


「熱と脈をまず計りましょうか。種田さんそこに座って、大久保くんは授業始まるから教室に戻りなさい」

「じゃあカヨ、俺は先に教室戻っとくから、リュック持ってくぞ」

「うん。ありがとう」


 頭が混乱してるせいで、とてもじゃないけど、たくさんのクラスメイトがいる教室に行く気になれなくて。私はケンに勧められるまま保健室に来てしまった。

 保健室くらい一人で行けるっていうのに、また倒れるといけないからってケンがここまでついて来てくれたけど、ケンってばこういう時だけ妙に過保護だと思う。


「脈は少し早いけど、問題ないわね。熱もないみたいだし……あら、靴紐が解けているわ」

「いえ……なんか、切れちゃったみたいです」


 私は靴の中に入れ込んだ靴紐を取り出して、プッツリと切れたその先を見せた。


「あらら、見事に切れたわね」

「縁起悪いですよね……私は今日、死ぬかもしれないです」


 失敗した。こんな暗い言葉、冗談交じりに言わないと気持ち悪いに決まってるのに。けど、今の私には冗談を言っていられるほど心に余裕はなかった。

 なんで夢のことちゃんと覚えてないんだろう。そしたらなんで私が死んだのかもわかるかもしれないのに。

 靴紐が切れたのも夢の中で起きた光景と同じ。だけど、それだけ。それ以外に新しいことは何も思い出せない。


「言霊っていう言葉があるように、言葉は時に本当になることがあるの。だから悪いことや不吉なことは言わない方がいいのよ」


 言霊。その言葉にはとても聞き覚えがある。


「先生、私たちってそんな話を最近したか覚えてますか?」

「あら、したかしら?」

「いえ、したかなーって思っただけで、してないかもしれないんですけど……」


 自分で言っておいてなんてバカみたいな説明なんだろう。恥ずかしさから少しずつ冷静さを取りもどして来たら、今度は一気に私の頭の悪さが浮き彫りになってしまったのを痛感して、下げた顔を上げれなくなってしまった。


「先生は、正夢って信じますか」

「正夢?」


 さっきから変な事ばかり言ってるのに、先生は変な顔を一切せず、私に真っ直ぐ向き合った。


「今朝からずっと変なんです。変な夢は見るし、それに夢で見た事と同じような事が起きるんです」

「例えば、どういう事があったの?」

「例えば、この靴紐が切れる事も夢の中で見た光景たったり……」


 トラックに轢かれる話をしようとしたけど、言う寸前でやめた。先生が言ってたように言霊というのが本当にあるのなら……言霊を信じてるわけじゃないけど、なんとなく私は口をつぐんだ。


「それって、デジャヴなんじゃないかしら? 初めて来る場所のはずなのにこの景色見たことあるとか、こんな会話初めてするはずなのに前にもした事があるとか、そういうの」

「そうだ、それです!」


 ずっと引っかかっていた事。そうだ、デジャヴだ。今朝ケンとした会話も初めてなのにそんな気がしなかった。


「そもそもデジャヴって、なんなんでしょうか。なんで実際に見た事も起きた事もない事を、知ってると感じるんでしょうか?」


 ずっと感じていた違和感。夢で見た事がある出来事と同じ事が起こっていた。それって私は予知夢を見ていたって事なのかな? それとも正夢って事?

 でも正夢や予知夢よりもデジャヴと言われる方がなんだかしっくりくる。なんでかは分かんないけど。


「人間は寝ている間に魂が離れて別の世界に繋がる、その時に経験した事が後から現実に起こって二度同じ体験をする……それがデジャヴだって聞いた事があるけれど」


 私は普段なら、そういうのあんまり信じないけど、今は先生の説明がとても腑に落ちる。でも、そうだとしたら私はこのままだと死ぬって事……?

 トラックにぶつかったあの瞬間、を思い出して私は思わず体が震えた。


「でもそんなに深く気にする事はないわ。夢って心と体のバランスを整えるために見るものだしね」

「先生は信じるんですか? もし夢と同じ事が起きたり、夢で体験した事がもう一度体験するっていうデジャヴの考え方を」


 先生は、んー? と一瞬天井を仰いだ後、腕を組んでこう答えた。


「そう捉えた方が面白いならね」

「じゃあその夢が死……悪い夢だったら?」

「それなら家に帰って、何もしないでじっとしておくかしら」


 あははと笑いながら先生はそう言って席を立った。


「じっとできるなら、だけど。とりあえず予定は入れないで仕事が終わったらまっすぐに家に帰って、おとなしくする。さっきも言ったように夢は心と体のバランスを整える為にみるものなのだから、もし悪い夢だったとしてもそれが実際は悪い意味じゃなかったりするのよ」


 でも私の場合は悪い意味だと思う。先生の話だと夢は心と体のバランスを整えるためにみるのと、何かの忠告のようなものって発想だけど、私の場合は違う。だって同じことが起きてるんだもん。

 それも一度や二度じゃない。


「人間の脳は賢いけれど、当てにならないものなのかもしれないわね」

「どういう、意味ですか?」

「同じ光景を見たことがあるって感じても、実際はそう感じてるだけで違ってることもあると思うの。だからそんなに思い詰めないで、一時間目はとっくに始まってるから、奥で少し寝ていきなさい。授業が終わったら起こしてあげるから」


 先生に促されるように、ついて行くと奥にはベッドが3台並んでいた。どれも白を基調とした病院を思い出すような簡易なベッド。

 私はその一つに寝そべって、頭からシーツをかぶった。

 考えすぎなのかな……。夢の内容だってろくに覚えているわけじゃないし、きっと偶然重なって、そう思ってるだけなのかも。

 モヤモヤとした考えを押し遣るようにして、私は瞼を閉じた。

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