第4話 婚約はお断りします


 この国の王妃は三年前病死した。

 後継がいない事もあり、国王は再三再婚を勧められてきたが、王妃の喪が明けるまではと頑なに拒んだ。

 喪が明けて、さあそれではと家臣が迫った時、国王はヴィオリーシャの名前を口にしたのだそうだ。


 弟の婚約者。

 国のトップが女の一人二人諦められないのかと、周囲は諫めようとしたが、その話を聞きつけたヴィオリーシャが国王の気持ちに応えたのだ。


 皆の呆れる顔に気づかないまま。


 マリュアンゼもよく人から呆れられてきたものだが、この話ばかりは、母親から口を酸っぱくして言い聞かされた。


「人の男を盗らない。色目を使わない。婚約者がいる立場なら尚更、他所に目を向けてはいけません!」


 マリュアンゼは別にふしだらでは無い。けれど、ジェラシルはそれと同じ事をしても許されるのかと残念に思った。彼の事も、誰かが諌めてくれたら良かったのにとも。


 (フォリム様もそれと似た────もっと辛い経験をした事があるのね)


 顔を俯けたマリュアンゼに、ふっと影が落ちたかと思うと、長い腕に抱き竦められていた。


「愛人とは失礼な事だ。私の新たな婚約者だ」


「?!」


「な、何を言っているの? 誰なのその方??」


 マリュアンゼは、思わず背負い投げをしそうになる両手に力を込め拳を作り、身体を強張らせた。流石に公爵を投げ飛ばす訳にはいかない。


「────あ、フォリム様こちらに、マリュアンゼ様が先程お見えになって……」


 ここで、先程フォリムを探しに行った従者が戻って来て、この状況を見て目を丸くしている。


「マリュアンゼ……? そうだ、マリュー。私たちが密会している事が早くも噂になっているそうだよ。恥ずかしがる君に配慮して別邸で過ごしていたのに。君は嫉妬の女神にでも目をつけられているのかい? これじゃあどこにも隠れられそうにない」


 マリュアンゼは震え上がった。

 巻き込まれる────!


 この面倒臭そうな修羅場に、そして万が一新たな醜聞でもこさえて持ち帰りでもしたら……母の般若の形相が目に浮かぶ……


 マリュアンゼは首をぶんと振った。自分は婚約者でも恋人でも無い。咄嗟にヴィオリーシャへの弁明を口にしようと、顔を振り仰げば、頭上から舌打ちが聞こえて顎を取られた。

 ぐきっという自身の首が上げた鈍い悲鳴と共に、マリュアンゼは初めての口付けをフォリムとしていた。



 ◇



「死んでください」


 通された応接室。

 据わった目で告げれば、向かいの紳士もどきも少しばかり動揺を見せた。


 自分は未婚女性だ。なのに、ひ、人前で……

 思わず茹で上がる顔を叱咤し、キッとフォリムを睨みつける。


 その様子を目を細めて受け流すと、フォリムは楽しそうに口にした。


「殺せば良かったじゃないか」


 あっさりと口にするフォリムに、マリュアンゼはぐっと喉を詰まらせた。


 あの時────


 意識が飛びそうになったマリュアンゼよりも先にヴィオリーシャが気を失った。

 放心するマリュアンゼから身体を離し、平然と従者に指示を出すフォリムにマリュアンゼは意識するよりも身体が動き、フォリムを攻撃していた。が────


 彼は強かった。


 (歯が立たなかったわ……)


 マリュアンゼは唇を噛み締めた。

 何が強いって……分からない。

 けれど打ち出す攻撃を全て受け流され、次手つぎしゅに迷いの生じたマリュアンゼの隙を見逃さず、気づいた時には拘束されていた。


 赤子にでもなったような気分だった。

 力に物を言わせる男も、知恵を絞り技巧を尽くす猛者たちにも、マリュアンゼは勝ってきた。

 思い通りに身体を動かして、自分の読んだ結果に結びつかなかったなんて初めてだ。


 (悔しい……)


 知らずフォリムを睨みつける。

 それを受けてフォリムは肩を竦めてみせた。


「褒められた態度じゃないな、マリュアンゼ嬢。私は公爵だ。先程の振る舞いも、到底許されるものではないよ」


 マリュアンゼは、はっと目を瞬かせた。


「そ、それは……」


 先に無体を働いたのはフォリムなのだが、素直な脳筋マリュアンゼは動揺に瞳を揺らす。


「それにしても、本当に強いんだな。ジョレットが勝てなかったと言うのも頷ける」


 その言葉にマリュアンゼは先程の、屋敷に不釣り合いな印象のエンブレムを思い出した。


「あ、あなた、もしかして騎士団団長────?!」


 ジョレットは騎士団副団長で、剣術大会で優勝者────マリュアンゼと手合わせをした近衛の精鋭だ。


「か、勝てなかったのはこちらの方です……あの方はとても強くて」


 マリュアンゼが勝てなかった者は片手で数える程しかいない。その中の一人。マリュアンゼが心震わせる者の一人なのだ。思わず瞳が煌めく。


「私は彼より強いけどね」


 何でもないように口にするフォリムに、のぼせかけた頭が冷えた。

 騎士団のエンブレムは二双槍と守護の盾を輪が囲む。

 近衛は輪が二重。カサブランカを掲げられるのは、王族であるフォリムだけなのだ。

 初見では王族の────オリガンヌ公爵家の家紋だと思い、気づかなかった。


 騎士団団長は、何故か匿名だった。

 平和な世でその名を掲げる必要は無いと、表に出て来ない人物。高貴な人物だと噂で聞いた事があるが、成る程。確かに……とはいえ……


「いずれにしても、私は公爵閣下のお望みの人物像では無いようですから、この件は無かった事にした方がよろしいかと」


 兄には悪いが、実験の話は受けられない。何故ならもう二度と顔も見たくないのだから。

 

「そうだね」


 足を組みソファに肘をついたまま公爵は首肯した。

 けれどマリュアンゼが立ち上がると同時に声を掛けた。


「でも君は今から私の婚約者だ。明日もここに来なさい」


 その言葉にマリュアンゼは一度足を止めたが、そのまま足を進めた。


「聞こえたかいマリュー・・・・


 ばっと振り返れば楽しそうに笑うフォリムと目が合った。


「仕方ないだろう。ヴィオリーシャの前で婚約者宣言して口付けたんだ。君だって……」


 その言葉にマリュアンゼは勢いよく答えた。


「お断りします!」


 そしてさっさと退室して行った。

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