東西南北ダマシアンズ

久慈あみだ

南の章

   しょせんこの世は騙し合い。

   あいつを騙して、なにが悪い?


誰かにじっと見つめられながら指輪を抜くのは、ひどい緊張をもたらすものだ。それも正面切って睨み付けられていれば、なおのこと。それでも男は平静をよそおいながらシルバーを外し、甘いマスクの差し出す羊皮袋に、沈ませた。


「これでいいかい?」


「先生は、鉄鉱物に対して感受性が鋭いのです。正確な鑑定のためにベルト、スマートフォンもお願いします」


ぬ、と一歩分だけ影がかぶる。アズマと名乗る端正なスーツ姿が、袋の口を広く開けて迫る。

急かされた男は苦笑して、抜いたベルトとスマートフォンを、見せつけるように放り込んだ。


「お告げの時間です」


東の手で厚い無垢材のドアが開かれた。

まず一歩。ほの暗さが男の視界を覆った。


「あの……」


男は眉間を軽くしかめ、室内ぐるりを見渡した。壁の左右はムスリム古典のモザイク文様で覆われており、正面には深紫のベルベットカーテンがたっぷりとしたドレープを落としている。その中央から――。


「おはいりなさい」


かわいらしい声がした。

白の燭台にゆらめく灯り。大きな水晶玉の向こう側には、純白のブルカで覆われた若き占術師。その左目は緋色の眼帯で覆われており、清らかな鼻梁に映えていた。


「はじめまして、霊能者の南ましろです。どうぞお掛けください」


片目の視線にほんの一瞬とまどってから、男は正面の猫脚チェアに腰を下ろした。


「ようこそ、コート・オブ・ホワイトへ。ここでの話は他言無用。どうぞ安心して、まずはあなたのお名前を」


男は憑かれたように口を開いた。


「賀集穂高です」


かしゅうほたかさん、と口の中で繰り返すと、ましろは眼帯に触れ、すうっと背を伸ばした。そして物悲しい異国の歌をくちずさみながら、華奢なてのひらを水晶にかざした。永遠とも思われる何分かが流れ、ぴく、とましろの指先が止まった。柔らかな睫毛が上下して、こう語りはじめた。


「かしゅうさん、あなたは今、深い悲しみを抱えていらっしゃいますね。大切な誰か……いや、人よりも小さい生き物……犬……ではないですね、猫……いや違う。イタチ? イタチのような生き物と、悲しいお別れをされましたね」


「おお……」


賀集と名乗った男は唇を噛み、しばし絶句した後、独り言のように言葉を吐いた。


「たしかに先週、長年飼っていたペットのフェレットとお別れをしたけど……なぜそれを……」


「フェレット、と言うのですか。ふふ、かわいい女の子。ドライフルーツの……そう、それは……パパイヤ? かな……美味しそうに食べているところが視えます」


フェレット、パパイヤ、美味しそうに――。

ましろの唇から言葉がこぼれ出すたび、男の眼は見開いた。


「モモコだ! 先生、それはうちのモモコです」


「ええ、そう、そう……。モモコちゃんは、あなたと過ごして幸せだった、って言っていますよ」


それにですね、とかわいらしい声が続けた。


「女性の姿も視えるんです。同じ会社……糸……繊維を扱う、そんな会社の、同じフロアにいる女性……ショートカットで、関西のほうの言葉を使う……」


男はがくんと首を垂れた。


「先生、それは……陽葵です」


小さく頷くと、ましろは痛ましそうに唇を結んだ。


「……事故、大きな事故。陽葵さんの心のなかにあなたがいっぱい広がりながら、命の灯の消えていった様子が伝わります。モモコちゃんも、陽葵さんも、あなたのことを大好きだって言っています」


男が動揺に煙った。

ましろはそっと立ち上がり、男の肩に触れた。


「あなたが望むのであれば、この水晶を通して彼女たちに感謝を届けることができますよ」


ましろが指先に力を込める。

すると、


「なるほどな、それが『1回30万円』と言うわけか」


寒々とした男の声が放たれた。


「30万円? なんの話をしていらっしゃるの?」


柔らかなましろの声は、びくともしない。


「とぼけるな。『水晶を通して死者と会話をする』のに、30万かかるんだろ?」


「なにをおっしゃるんですか? わたくしどもではそんなお金をいただきません」


「嘘だ」


空気がぴんと張りつめた。

男は一気に吐き出した。


「俺の婚約者は1回につき30万を支払って、『亡くなったお父さんに想いを伝えた』と言っている。それを10回もだ。『合計300万円も騙し取られてしまった』と、昨日、泣きながら俺に告白してきたんだよ」


「昨日? 陽葵さんは、3ヵ月前に交通事故で亡くなっているのに」


ましろのブルカが動揺する。


「南センセ。あんた、釣られたんだよ」


男の顔に、命乞いをなだめるギャングのような高慢が浮かんだ。


「陽葵なんて女は居やしない。俺のほんとの名前は北悟朗。そして婚約者は『西のどか』。どうだ、聞き覚えあるだろ」


あっ、という驚き声が上がった。


「あんたが騙したのどかから事情を聞いた瞬間、すぐにカラクリが分かったよ。ここではホットリーディングが使われてる、ってな」


女の顔は苦しげに歪みはじめた。

悟朗と名乗った男は、じゃあ言うぜ、と人差し指を唇に当てた。


「ホットリーディング、つまりあらかじめ相手の情報を知った上で、さも『視えてる』ように話すテクだ。どうせこの部屋には隠しマイクがあるんだろ? 俺が名乗った瞬間、部屋の外にいるやつが爆速で検索。SNSとかから情報を抜いて、あんたに……そうだな、その被り物からして、音声で伝えた、ってとこか」


男が耳をとんとん、と叩いた。


「そんなことしてません! 本当に、視えているんです」


「観念しろよ! あんたは引っかかったんだよ。俺の、すっごく単純なトリックにさ」


「トリック……」


「いいかい? この世に存在しない賀集穂高のフェレットが死んだことや、フィアンセが事故で死んだってストーリーは、俺がSNSに仕込んだ数年分のニセ情報だ。投稿の日付をさかのぼる裏技を使ってな。あんたはそれに釣られたんだよ。つまり? あんたは、インチキってこと。違うって言うんなら、その被り物を取って、耳、見せてみろよ」


ましろの顔に憎悪が映った。

一方の悟朗の頬は紅潮し、充血した瞳がらんらんと輝いている。


「ひどい話じゃねえか。数年前にコロナで経済がぶっ壊れてから、ひもじい人間が日本人口の9割を超えたっていうのに、あんたはここに来る苦しむ人たちから大金むしり取って、ひろーい部屋で、アントワネットみたいに暮らしてる。知ってるだろ、いまのこの国の惨状は」


唇を噛みしめたましろが、とつとつと呟いた。


「『放火強盗』『集団自殺』『臓器売買』『取り込み詐欺』……ひどい話ばかり。そう、嫌なんです、そんな現実。だからわたしは、苦しむ魂の救済として……」


待たずに、悟朗は声をかぶせた。


「そーゆーのはいいよ、もう。さっさと本性あらわしてさ、現実的な取引をしようぜ」


悟朗は内ポケットから紙を一枚ひらりと出した。

「誓約書」。

ましろの顔がぐにゃりと歪んだ。


「……内容を、伺いましょうか」


商談成立。

悟朗は本心からおかしそうに笑った。


「いいねえ、人は本音で語り合うのが一番だ。な、俺からはこう。のどかから奪った300万を、いま、ここで、キャッシュで、返せ。返すのなら、その『誓約書』に書いておいた通り、俺が見破ったことを、絶対ヨソで言いやしない。『ようこそ、コート・オブ・ホワイトへ。ここでの話は他言無用』ってわけ。現実的だろう?」


「わかった、のるわ。そしてあなたは300万を持ち逃げするの?」


「まさか。それじゃあ窃盗罪でブチこまれる。俺は、そんなに馬鹿じゃないよ」


くく、と悟朗が意味深に笑った。


--北の章へ続く

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