第16話 愛の女神様 玖

「どういう事……?」


 好の説明に、茨は困惑の表情を作る。


「言葉通りの意味だ。奥仲先生の奥さんの名前は浅葱毬。そして、安心院五十鈴にとり憑いている彼女の名前もまた浅葱毬だ」


「待って。それじゃあ浅葱毬さんが二人いる事になるよ? それに、彼女は殺されたって……」


「そも、それが最初の間違いだ。浅葱毬は殺されてなどいない。殺されずしても霊となる事は出来る。それは、君も知っているだろう?」


「――っ。そっか、幽体離脱とか生霊とか……」


「そうだ。今回は恐らく前者だろう。幽体離脱による身体からの魂の排出。君も安心院五十鈴と浅葱毬には違和感を覚えていたのだろう? 何せ、君の眼は特別だ。俺には気付けない事にも気付けたとしてもおかしくは無いからな」


 確かに、浅葱毬の写真を見た時に違和感は覚えていた。それは、安心院五十鈴に関してもそうだ。


 ただ、その違和感を言語化できなかった。ただ、何かおかしいなくらいにしか捉えていなかった。怪異関係の事件である事は明白なので、その特性か何かかと思っていた。


 浅葱毬の身体には別人の魂が入っている。安心院五十鈴の身体には、死人では無い人の霊がとり憑いている。その事に対して、違和感を抱いていたのだろうと、好に説明をされた今なら分かる。


「じゃあ、浅葱毬さんの中に入ってるのって誰なのさ?」


「俺の見立てでは、佐崎智則だ」


「佐崎智則って、確か……」


「文化祭での催し物である愛の女神様の企画者であり、十三年前に自殺している秀星高校の教師だ」


「それは分かるけど、根拠は? 正直、誰が中に入ってたっておかしくないでしょ?」


「偶発的なものであればな。しかし、これは最初から仕組まれた事だ。であれば、浅葱毬の中に誰が居るかなど考える余地も無い。そうだな、まずは始まりから話すとしよう」


 言って、好は指を一本立てた。


「まず事の始まりだ。愛の女神様という降霊術が流行ったのは十年程前。少しは前後するだろうが、大きく変わる事は無いだろう。十年以上前なら、こっくりさんの方が主流だったはずだ。愛の女神様は主流から外れた亜流のようなものだろう」


 愛の女神様は言うなればこっくりさんの亜種のようなものだ。同じ降霊術には変わりないけれど、こっくりさんの流行りの方が早い。


「そして、それを広めたのは恐らく佐崎智則だ。愛の女神様の企画が早すぎる。彼が生前の頃には流行ってすらいなかったはずだ。流行る事を見越しての企画なのだろう。それか、流行った時を見越して企画を用意していたかだな」


 好の頭の中には幾つかの仮説があるけれど、本筋から外れるためにそれは伏せておく。


 次いで、もう一本指を立てる。


「愛の女神様を流行らせようとしたのは佐崎智則。これは、確定事項だろう。次に、それを流行らせた張本人。それは浅葱毬だ」


 言われ、茨は思わず自身の身体を抱きしめている五十鈴を見る。


「彼女では無いが、周りからは浅葱毬だと思われているだろう」


「つまり、その頃にはもう既に入れ替わりが起きてたって事?」


「そうなるな。浅葱毬と佐崎智則が入れ替わったのは、浅葱毬が一年の頃だろう。それも、一年も終わりに近付いてからだろう」


 好はショルダーバッグの中から紙を取り出す。


「そんなの持ってきてたの?」


「いつ何があるか分からないからな」


 好が広げたのは、茨と五十鈴で用意した卒業アルバムで五十鈴が見覚えのある人物にしるしを付けた紙だった。


 しかし、それにもう一枚だけ追加されていた。


「これは君と安心院先輩が作ってくれたものだ。この印を見て最初に思ったのはその数だ」


「数?」


「ああ。浅葱毬は部活には所属していなかった。生徒会には入っていたが、それは二年からだ。一年の頃の交流は殆どがクラス内に留まっているだろう。部活に入っていないならなおさらだ」


「それと数の何の関係があるの?」


「分からないか? 彼女が印を付けた人数は三十八人。ざっと、クラス一つ分・・・・・・だ」


「あ」


 そこまで言われれば茨でも気付く事が出来る。


「一年の頃だ。彼女が印を付けた全員が同じクラスになってる。まぁ、二人程抜けてはいたが、誤差の範囲だろう。一年近く一緒のクラスに居ればクラスメイトだけは憶えるものだろうさ。二年の後半であれば、もう少し覚えのある生徒はばらけていただろうし、生徒会に入っていればもう少し他者との交流があるだろうからな」


「なるほど。じゃあ、二年の頃の浅葱毬さんが愛の女神様を流行らせたって事?」


「そうなるな。その頃には入れ替わりが済んでいる頃だろうしな。生徒会に入ったのも人脈を作るためであり、文化祭に一枚噛めるようにするためだろう。後は、人望を得るという目的もあるだろう。何か失敗をしても、誰かに自分をフォローしてもらえるようにな」


 一年の後半に入れ替わりを行ったのは、春休みを利用して他人から見た浅葱毬を演じるための練習をするためだろう。加えて、乗り移る相手を選定する期間でもあったのだろう。


「そして、残りの二年を使って十分に愛の女神様を流行らせる事に成功した。森宮伊鶴さんの時に愛の女神様を開催したのは下準備が済んだからだろう。今では愛の女神様はお遊び程度であり、実際にやる者は少なくなってきたけれど、当時は話題の遊びだっただろうからな。同名の企画を推し進めるのも難しくは無かっただろう」


「でも、伊鶴さんの時には浅葱毬さんは卒業してたはずでしょ? 本人は主導できないはずじゃない?」


「だからこそ生徒会に入ったんだろう。人望もあれば人脈もある。後輩に愛の女神様と同名の企画の面白さやメリットを説明しておいて、在学中にやりたかったとでも寂し気にこぼしておけば、頑張って推し進めてくれるだろうさ。ましてや、それが意中の相手だった場合ならなおさらだ。まぁ、実際にその後輩に恋心があったかどうかは知らないだろうがな」


 ただ、非人道的行為を行える人物だ。相手の純情を弄ぶくらいの事は平然とやってのけたっておかしな話では無い。


「うーん……なんとなくは分かったよ。でも、佐崎智則はなんで入れ替わったの? これって、自殺してまでやらなくちゃいけない事なの?」


「それは分からない。手段と結果は追えたが、その目的までは不透明なままだ。直接聞くしか無いだろうな」


 ただ、入れ替わりなどという有り得ない事を考える輩だ。真っ当な理由ではない事は確かだろう。


「ともあれ、最後に入れ替わった手段の話をしよう。利用したのは愛の女神様だ。愛の女神様は人の霊を呼ぶ傾向のある降霊術だ。まず、浅葱毬と他数名で愛の女神様をする。人数はどうでも良い。重要なのは浅葱毬が愛の女神様をするという事だ」


「まぁ、入れ替わりたいと思ってた人物がいなくちゃ話にならないしね」


「ああ。そして、愛の女神様を開始した事を確認した後に、本人は自殺を計る。これは自身を霊にするためだ。霊にしなくては降霊術に呼ばれないからな。ただ、これは相当な賭けだ。自分が死んでいる最中に別の霊を呼ばれる可能性もあるからな」


 こっくりさんなどの降霊術を現実的に解釈するのであれば、不覚筋動という例が挙げられる。


 同じ体勢をしているとそのまま止まっている事は人間には不可能だ。僅かながらに人の身体は動き続けてしまう。その上、直ぐに疲労が蓄積してしまう。


 その力がコインに集中し、コインが動く。そうすると、今度はコインが動いた方へと力を入れて動かそうという意識が働いてしまうという物である。


 それ以外にも、参加者の潜在意識が反映され、無自覚に指が動いているという説もあるけれど、今回はそのどちらでも良い。


 こっくりさんにしろ愛の女神様にしろ、占いをかたどっただけであれば成功率はそう高くは無い。幽霊が来たとしても、そんなに強くも無い浮遊霊だろう。


 それでも、集団ヒステリーが起きたりして危険ではあるけれど。


 ともあれ、触りはどうでも良いし、実際に見ていないために確証は無い。問題は、その降霊術に対して始めから行こうという意思を持っていた佐崎智則が近くに居た事だ。


 彼はタイミングを見計らって自殺をし、霊体となった。そして、浅葱毬達が行っていた愛の女神様にお邪魔をした。


「後の要領は恐らくは新藤美々花の時と同じはずだ。何かしらの手段を用いて浅葱毬の指を外させ、降霊術を中断させる。そして浅葱毬の魂を体外へ弾き出し、自分が居座る。まぁ、そんなやり方が可能であるかどうかは、疑問が残るところだがな……」


 ただ、完全に有り得ないとは言えない。現実に、浅葱毬が他の者の身体に乗り移っているところを見てしまっている。それが出来たとしても不思議ではない。


「そこら辺は当人に聞くのが一番だが……」


 自身の身体を抱きかかえて震える五十鈴を見る。


「まぁ、今は無理だろう」


「うん。……因みに、聞いても良い?」


「なんだ?」


「どうして浅葱毬さんだと思うの? その時期なら、数は少ないだろうけど、愛の女神様をしてた人ってそこそこいるよね?」


「クレア先輩に見せて貰った秀星高校の怪事件の記録には、十三年前に意識不明になった生徒として浅葱毬の名前があった。時期は冬。俺の推理の時期とも合致する。逆に、浅葱毬以外考えられないんだよ」


「そっか」


 確かに、茨も五十鈴と浅葱毬を見て違和感を覚えていた。その観点から言えば好の答えに不思議は無いのだけれど、事実に則した証拠と言われると弱い。


 好は、それすらも用意してみせた。少ない手掛りから状況と結果を鑑みて答えを出している。茨には、到底できない事だ。


「霧生さんには行方不明者のリストを作ってもらっているみたいだが……申し訳無いが無駄足になるだろうな」


「そうだね」


 誰も行方不明になっていない。魂だけは迷子になってしまっているけれど、それは現代日本では観測しきれないところだ。


「俺の方が先に答えにたどり着いたな、ワトソン君」


「そうだね、ホームズ」


 その言葉の意味が分からない訳では無い。彼の言葉を覆せる程の弁も茨には無い。


 ただ、あの時と状況が違う。


「まさか、問答無用で祓うつもりなんて無いよね?」


「当り前だ。俺が祓うのは幽霊のみだ。彼女は、まだ生きてる・・・・


「――っ!!」


 生きている。その言葉に、五十鈴が反応を示す。


 涙を流したままの顔を上げ、虚ろな眼で好を見る。


「生きてる……? だったら何……?」


「何?」


「身体を取り戻したって私のこの十年は返ってこないわ」


 止めどなく涙が溢れる。


「死んでると思ってたから、成仏する前に犯人を見付けてやろうと思ってた……でも、生きてるなんて思ってなかった……」


「なら、身体を取り戻して君の人生を歩みなおすと良い」


「歩みなおす? 今更……? 伊鶴の身体に入る前も合わせれば、十二年も経ってる。私、二十八歳なのよ……?」


「やりたい事もしたい事も出来なかったとでも言うつもりか? それは君もやって来た事だろう」


「私に選択の余地なんて無かったじゃない!! 身体を勝手に奪われて、殆ど記憶を失くして!! 死んだものだと思って諦めれば良かったって言うの!?」


「遊び半分で降霊術に足を突っ込んだのは誰だ? 危険があると分かっていながらスリルを求めてやったというのは免罪符にはならないぞ。今回の事は、予防しようと思えば出来た事だ。結果的に君は被害者だ。だが、なる必要の無い被害者だ。君の危機管理能力の欠如が今回の事件を招いたと言っても過言ではない」


「だって誰も教えてくれなかった!! 占いだって、ちょっとした遊びだって――」


「馬鹿を言うな!! 君の知らない世界に足を踏み入れる事が遊びで収まる範疇な訳があるか!!」


 五十鈴の言葉を遮り、好は五十鈴を一喝する。


「君だって知ってたはずだ!! 霊的なものは恐怖の対象だと!! 幼子だって分かる事だ!! その世界に足を踏み入れる事が遊びだと?! それが危機管理能力の欠如だと言うんだ!! それで君は何を得た?! 失っただけだろう!! 十二年の歳月を!! 君自身の人生を!!」


 心霊スポットに遊び半分で足を踏み入れて恐ろしい目に遭う、なんていうのは良くある話だ。けれど、恐ろしい目に遭うだけならまだ良い。今回のように酷い目・・・に遭ってしまえばそれはもう最悪な事態だと言っても良い。命を落としてしまう場合だって考えられるのだ。


 世の中には、人知の及ばぬ事象というものがある。オカルトの世界がその最たるものだろう。


 五十鈴を叱責する好を、茨は止めない。彼が此処まで激怒するのには理由があって、その理由を茨は知っているからだ。


「――っ!! あんたに……あんたに何が分かるのよ!! 急に記憶を失くして、知らない人の身体に乗り移って、誰も私を知らないで、死んだと思ったら生きてるって分かって!! でもその私は知らない男と結婚して、セックスまでして子供作って!!」


 顔を歪め、大粒の涙を流しながら両手で顔を覆う。


「此処から……どうやってやり直せって言うのよ……!! 子供の育て方なんて……知らないわよぉ……っ!!」


 好の言う事ももっともだと、茨は思う。けれど、五十鈴の言う事だって理解できてしまう。


 危ないと分かっている事に首を突っ込むな。こっくりさんというものが流行ってしまって、それを行う事のハードルが下がった。恐らくは、愛の女神様を流行らせたのもそれが理由なのだろう。


 危ない事だという事は分かっているけれど、他の人がやっているから大丈夫だと、愛の女神様を行う事に対して心理的なハードルを下げたのだ。


 ともあれ、五十鈴のショックは茨が思っている以上に大きいだろう。


 何せ、知らない内に自分の純潔を知らない男に捧げており、知らない内に一児の母になっているのだ。


 もし元の身体に戻ったとしても、彼女は奥仲信治と夫婦にならなければいけないし、その娘を育てなければいけない。


 知らない二人と一緒に生きていかなければいけないのだ。命を育てるという責任に対する覚悟も出来ないまま子供を授かってしまったのだ。


 根が真面目な彼女の事だ。その事に重い責任を感じているのだろう。


 その事に気付けない程、法無好という男は愚かではない。


「……すまない。言い過ぎた。少し、頭を冷やしてくる。ワトソン君、彼女を任せた」


「えー……丸投げ……」


「すまないとは思ってる」


 茨の肩を一つ叩いてから、好は二人の元を離れる。


 おいおいおーいと思いながらも、茨は隣に座る少女を見やる。


 慰めるなんて事は茨には難しい事だ。


「ねぇ、五十鈴さん。ううん、毬さんって呼んだ方が良いのかな?」


 そう訊ねるも、当然五十鈴――毬から答えは無い。


今はどんな言葉だって彼女にとっては軽く聞こえてしまう事だろう。今の軽薄な茨の口調であればなおさらだ。


 だからこそ、茨は自分の中で一番重い言葉を吐いた。


「僕のとっておきの秘密、毬さんには教えてあげるね。僕、毬さんの秘密知っちゃったわけだしね」


 にこにこ。いつも通りの笑みを浮かべながら、茨は言う。


「僕ね、三年間だけ殺人鬼と一緒に暮らしてたんだ」

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