第14話 愛の女神様 漆
好の前に立ちはだかったのは、一人の少女だ。
百八十を超えようかという長身に、腰元まで伸びた艶やかな黒髪は、しかし目元を完全に覆い隠しておりその相貌を見やる事は出来ない。女性的な曲線を描いた身体は妖艶で、自然と男の視線を釘付けにするほどに色を見せている。
ただ、髪が長く、目元覆っているためその様相は不気味の一言に尽き、好の前に立ちはだかるその姿はホラー映画のワンシーンのようにしか見えない。
突然の出現に驚きつつも、同時に相変わらずだなと思う。何と言う事は無い。知り合いと放課後の学校で遭遇しただけだ。
「お久しぶりです、クレア先輩」
好がそう声をかければ、少女――クレアはむすっとした雰囲気を漂わせる。
彼女は二人の中学からの知り合いである
話せる異性は茨と好、そして父親だけである。
「
ぽそぽそと何やら口を動かすクレアに、はてなんのことかと一瞬戸惑うけれど、そう言えばと思い当たる節を見付ける。
「ああ。すみません。後で行くと言っておいてすっかり忘れていました」
「
「すみません。ちょっと、こちらも色々立て込んでおりまして」
「
言って、クレアはぎりっと悔しそうに奥歯を噛みしめる。
「
相変わらずそうなクレアの様子に、好は思わず苦笑する。
「ともあれ、丁度良かったです。実は、今から会いに行こうと思っていたところなんですよ」
先刻、そう言えばクレアに依頼していた依頼が完了していたという事を思い出した。それに、情報通のクレアであれば好の補完しきれていない情報を持っているかもしれない。
「
ぽそぽそっと残念そうにこぼしてから、クレアはとぼとぼよ歩き出す。
他の者には何を言っているのか分からないくらいの声量だけれど、好には会話が可能だ。とはいえ、好は読唇術が出来るので、クレアの唇の動きを見て辛うじて会話が出来ている程度。
「
「分かりました」
歩き出したクレアの後を追う。
好がクレアに頼んだ依頼はこの学校で起きた怪異絡みの事件の件数、及びその内容の調査だ。その中には勿論愛の女神様の事も含まれている。
元々好が入学する前に依頼をしていた調査である。愛の女神様の件を最優先に調査してもらい、その後で別の怪異事件をまとめて貰った。
その依頼が、つい先日終わり、その後の音沙汰が無かったためにわざわざ報告に来てくれたのだ。
調査内容自体は大藤とそう変わらないだろうけれど、クレアも所謂見える人だ。クレアは好よりも一年長く秀星に通っている。好達が気付かなかった事にも気付いているかもしれないし、生徒の間でしか噂されていない事も知っているかもしれない。
二人が向かったのは特別教室棟の一室。その一室のネームプレートにはオカルト研究部と記されていた。
「
扉を開けてぽそぽそと何かを言ったクレア。後ろを向いていたので、何を言ったのか分からないけれど、恐らくは入ってと言ったのだろう。
オカルト研究部に入ると、中は意外と普通だった。高校の一室にあってもおかしくない内装。棚があって、机があって、椅子がある。ただそれだけだ。
クレアが椅子に座り、机を挟んだ対面に好は座る。
机の上に置かれたノートパソコンにUSBメモリーを差し、ファイルを開いて画面を好に見せる。
好はまとめられている情報に素早く目を通す。
「……これは」
その中に、一つ気になる項目があった。
『男性教員一名が謎の自殺。
秀星高校に通う男性教員、
佐崎智則は自殺前も通常通り勤務しており、その様子もいつも通りだった。職場での立ち位置も悪く無く、酒や賭博などの趣味も無かった。また貯金もそれなりにされていた事から、借金を苦にしての自殺では無く、警察は他殺の線で捜査をする。
しかし、捜査をしても特に佐崎智則には他者間のトラブルが無く、前日にも異様な行動は見受けられなかったため、捜査は打ち切り。警察は自殺と断定した。』
「クレア先輩。この項目を入れた理由は何ですか?」
「
「なるほど。確かに原因不明の自殺であれば、怪異絡みの可能性も高い。何か危険な怪異に遭遇してしまった可能性だって否定できないですからね」
好の言葉に、こくこくと頷くクレア。
更にリストに視線を滑らせる。
「これは……」
佐崎智則の項目の後、もう一つ気になる項目を見付けた。
その項目は特に目立った特徴のない事件だ。この街の中であれば、ただただありふれた事件の一つに過ぎない。
けれど、たった一つ入っている固有名詞が、今回の件への関与の疑惑を好に抱かせる。
「……先輩。因みになんですが、この学校で出た死者のリストって持ってますか?」
「
「見せてください」
ノートパソコンを操作し、クレアは死者のリストを見せる。
何故こんなリストを作っているのかはさて置いて、今はこれがあるのはとても助かる。
好は死者リストに素早く目を通す。
性別、役職、年代、状況、その全てを頭に叩きこむ。
「この二つのデータをいただいても良いですか? 勿論、相応のお礼はさせていただきます」
「
クレアはあらかじめ準備をしていたUSBメモリーを好に渡す。
「ありがとうございます。お礼の件は後で俺にメッセを送ってください」
USBメモリーをポケットに仕舞うと、好はオカルト研究部を後にする。
「まずいな……」
オカルト研究部を離れる好の表情に余裕は無く、険しく顰められている。
佐崎智則の自殺の項目を見て、好の頭の中でとある考えが浮かび上がった。突拍子も無く、信憑性の欠ける考えだ。
だが、時節は合致する。それに、それを裏付ける証拠は目の前にあった。
五十鈴の口から殺されたという言葉が出た時、まず最初に思い至ったのが怪異絡みの事件だ。五十鈴は殺されたと言っていたけれど、その相手が人間だとは言っていなかった。そもそも記憶が無いから明言を出来ないのは当たり前ではあるのだけれど、それでも怪異に殺された可能性も十分にある。
もし仮に怪異に殺されたのであれば、それは公的には殺人では無く変死、もしくは自殺である。これは、佐崎智則にも当てはまる事だ。
しかし、クレアの持っていた死者リストの中には十年以上前になると女子生徒はいなかった。
好はスマホを取り出し、霧生に電話を掛ける。
『あいもしもし。どした? なんかあったか?』
「霧生さん、すみません。女子高生の行方不明者リストと並行してもう一つ調べものをしていただけませんか?」
『あ? なんでまた』
「一つ気になる事がありまして」
『……はぁ。別に良いけどよぉ……』
疲れたような声を出す霧生。それはそうだろう。通常の職務もあるだろうに、好と茨の二人に個人的な頼みごとをされているのだから。
「お願いします。最悪の場合、近日中に死者が一人出るかもしれない」
『……おいおい。そいつは穏やかじゃねぇなぁ』
好の言葉に、霧生の声音が低くなる。
『お前がそういう時は大抵その通りになんだよなぁ、おっそろしい事によぉ……』
「そうならないために動きます」
『ったく……んで、何について調べりゃいいんだ?』
「佐崎智則という男性について調べてください。十三年前に死亡していて、秀星高校の教師でした」
『了解。後で飯驕れよ。ラーメンで良いからよ』
「ええ。ではまた」
『おう』
通話を切り、スマホをポケットに仕舞う。
「俺の考えが間違えていれば良いんだが……」
そう呟くけれど、こういう時に自分の考えが間違えていなかった試しが無い。
突拍子も無い仮説だ。けれど、怪異絡みの時は得てして突拍子の無い事が起こる。そういう時に限って、事が起こった後に辻褄が合うのだ。
「いや、まだ仮説だ。もっと情報を精査してからでも遅くは無いはずだ」
そう思うのに、好は嫌な胸騒ぎが止まらない。
「これは、二手に分かれてる場合じゃないかもしれないな……」
険しい顔付きのまま、好はその足で資料室へと向かった。
〇 〇 〇
「いやぁ、久々に霊ちゃんと話せて良かったよぉ」
伊鶴はにこにこと満面の笑みを浮かべて五十鈴を見る。
「私もよ。元気そうで良かったわ」
満面の笑みを浮かべる伊鶴を見て、五十鈴も思わず笑みを浮かべる。
笑みを浮かべてはいるけれど、進展は無かった。結局のことろ、伊鶴は五十鈴が知っている事以上の事は知らなかったし、彼女からしても高校時代は既に十年も前の事になる。そんな前の事を一般人は事細かに憶えてはいないだろう。
しかし、何も収穫が無かった訳では無い。
愛の女神様を決めたのが文化祭の出し物であり、それを企画したのが佐崎智則という教師であり、その教師が既に亡くなっている事が分かった。
分かった事は増えた。けれど、その増えた事が茨の中で成果になっている訳では無い。
「ねぇ、霊ちゃん」
「何?」
「もし何も分からなかったら、何も解決しなかったら……もう一度私にとり憑いても良いよ」
「え?」
伊鶴の突然の申し出に、五十鈴は思わず呆けた声を出してしまう。
「だって、霊ちゃんと一緒に居て、私楽しかったもん。色々あったけど、高校生活凄く充実してた。また霊ちゃんと一緒に過ごすのも、悪く無いって思うんだ」
「伊鶴……」
「だから、もう何もかも諦めたら、私のところに来て。もう一回、一緒に暮らそう」
優しい笑みを浮かべて、伊鶴は言う。それは、まごう事無き伊鶴の本心なのだろう。自分にもう一度とり憑いて良いだなんて、伊達や酔狂で言える事ではない。
しかして、五十鈴にとっては予期していなかった言葉だ。
もうこれ以上誰にも迷惑を掛けない。そう決めて、五十鈴は今回の事件に挑んでいる。逃げ道を用意されるとは、思っていなかったのだ。
「私は……」
何も言えなかった。
喜び勇んで頷けなかった。何せ、とり憑くという事そのものが本来はよろしくない行為だからだ。
けれど、伊鶴の提案を魅力的だと感じてしまう自分もいる。
犯人捜しを止めて、全て忘れて、今までを無かった事にして、伊鶴と十年前のように楽しく暮らす。
それは、きっと悪く無いだろう。
もう自分の人生は終わってしまっているのだから。誰かの人生を見守るのも、悪くはない。
「考えておくわね……」
「うん」
曖昧な五十鈴の言葉に、しかし、伊鶴はしかと頷いた。
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