第12話 愛の女神様 伍

「空ぶった……」


 夜の帳は降り、辺りは静寂と宵闇に包まれる。


 まだ肌寒い公園で、好は一人ベンチに座って珈琲を呷る。


 用務員が十年前から秀星高校に勤めていると聞いて話を聞きに行ったけれど、結果は空振りに終わった。


 用務員が知っていたのは愛の女神様がいつの間にか流行り始めたなという実感した時期と、歴代の愛の女神様についてだけだった。


 完全に、既出の情報ばかりで、成果はまったくと言っていいほど無かった。


「はぁ……」


 思っていた以上に難航している事に、思わず意気消沈してしまう。


「お、やっぱり法無か」


「む」


 不意に名前を呼ばれ、声の方を見やればそこには先日会ったばかりの少年が立っていた。


「なんだ、目盛か」


「なんだって……まぁ、確かに会えても嬉しかないだろうけどさ」


 好に声をかけたのは、こっくりさんの怪にて危険物を使用した張本人である目盛慎太郎だった。


 目盛は好の素直な反応に思わず苦笑を浮かべるも、好の隣に間隔を開けて座る。


「改めて、ありがとな。新藤を助けてくれて」


「依頼を受けた。事件を解決した。ただそれだけだ。気にする事は無い」


「それでも、だ。助かったのは事実だ。新藤も、俺も……」


 そう言った目盛は自虐的な笑みを浮かべており、好の指摘と叱責が心底効いたのが見て取れる。


「今度、皆でお礼に行こうと思ってたんだ。新藤も、良くなってきたしさ」


「そうか。なら良かった」


 その後を訊ねる間も無く忙しくなってしまったため、すっかりと美々花の様子を聞くのを忘れてしまっていたので、目盛の報告自体は素直に嬉しかった。


「お礼は気にするな。その言葉だけで充分だ」


「そうもいかないんだよ。新藤と花菱の奴が絶対にお礼をしに行くって聞かなくてさ。気付いてたかどうか分かんないけど、花菱は新藤の事が好きだからさ」


「わからいでか。新藤の部屋に行くときに一番過敏に反応を示していたからな。その後も、気がありそうな反応はしていたしな」


「ははっ、お見通しか。ま、あいつ分かりやすいからな」


 好の返答を聞き、目盛は楽し気に笑う。


「好きな人を助けてくれた奴にはちゃんとお礼したいって。見た目に反して律義な奴なんだよ。だから、今度時間を作ってくれると助かる」


「今の件が落ち着いたら考えよう」


「もう別件に移ってるのか? 忙しないんだな、怪異探偵ってのは」


「こっくりさんよりも以前に受けていた依頼に戻っただけだ。どうにも、難航してるがな……」


 一つ息を吐いて、好は珈琲の最後の一口を呷る。


「それで、要件はそれだけか?」


「ああ。……いや。けど、蛇足になりそうだしなぁ……」


「なんだ? 何か他にあるのか?」


「あると言えばある。けど……」


「遠慮せずに言えば良い。依頼ならば後回しになるが、場合によってはそっちを優先する事も出来るかもしれない」


「いや、依頼って訳じゃないんだ。前回の件で、もう一つ報告があっただけで」


「前回の件? ……なるほど。こっくりさんに使った紙と十円玉の件だな?」


 途端、好の視線が鋭くなる。


 こっくりさんの一件の後、好は目盛にこっくりさんに使った紙と十円玉の入手経路を先輩から聞き出して欲しいと頼んだのだ。


「ご明察。本当に、鋭い奴だな」


「君が俺に報告があると言えばそれくらいだろう。それで、なにが分かったんだ?」


「あの紙と十円玉の元の持ち主だ。先輩の従弟いとこが中学生なんだが、その従弟が通ってる中学の先生から貰った物らしい」


「教師が?」


「ああ。先輩も名前までは憶えてないらしいけど……必要なら調べてもらうか?」


「……そうだな。この件が終われば、協力してもらうかもしれない」


「分かった。まぁ、なんだ。俺に出来る事なら何でも言ってくれ。それで報酬代わりになるかどうかは分からないけどな」


「協力してくれるだけで充分だ」


「そか。んじゃ、俺は帰るかな。腹も減ったしさ」


 言って、目盛はベンチから立ち上がる。


 腕時計を見れば、時間は既に九時近い。高校生はそろそろ帰らなければいけない時間だろう。


「そういや、どうして法無は探偵なんてやってんだ?」


 振り向きながら、目盛が純粋な疑問を好に訊ねる。


 好は常の安い笑みを貼り付けて、気楽な様子で言った。


「一身上の都合だよ」


 そこには正義感も大義名分も、ありはしない。



 〇 〇 〇



 翌日。平日の最終日である金曜日。


 朝から土日の予定を立てている生徒達もいれば、部活の練習試合の話をしている者もいる。


 しかし、好にとって休日は平日よりも動ける時間が多いだけの日だ。明日も明後日も、事件解決のために動くのだ。


 朝の早いうちに登校して事件の事を考えていれば、ふらふらーっとした足取りで登校してきたばかりの茨がやって来る。


「ホームズー。拙者、やらかしざむらいでござそうろう~」


 ふえぇ……と変な泣き声を上げながら、茨は好の前に座る。


 こういう時、大抵茨は言葉通りろくなことをしてないのを、好は知っている。何せ、何度も被害を被ってきたからだ。


「今度は何をしたんだ?」


「安心院先輩のご機嫌をそこねてしまいました」


 くすんとわざとらしく泣いて見せる茨。


「何があったんだ……?」


「実は――」


 素に戻った茨は、申し訳なさそうに事のあらましを説明した。


 茨は申し訳なさそうにしているけれど、全てを聞いた好は特に驚いた様子も呆れた様子も無かった。むしろ、拍子抜けした様子ですらあった。


「なんだ、そんな程度か」


「ホームズにはちっぽけな問題でも、僕には大きな問題なんだよ」


「普通にごめんなさいで大丈夫だろう。俺はワトソン君がまたとんでもない事をやらかしたのかと冷や冷やしたぞ」


「またとは酷い言い草だね。まぁ、事実だけど」


 自覚があるのか、ぶすっとむくれたような顔をする茨。


「ともあれ、昨日はどうだった? 収穫はあったのか?」


 好の言葉に、茨は指を四本立てる。


「十一年前の卒アルに、先輩が見覚えがあるって言った人が四人居たよ」


「ほう」


 茨の報告に、好の雰囲気が変わる。


 にっと茨は笑って、リュックの中から紙を数枚取り出す。


「この四人だよ」


 茨が取り出した紙は、卒業アルバムの四クラスの顔写真が載った見開きページのコピーだった。


 カラーコピーされた紙に、四角い赤色の枠が四つ。その赤枠で囲まれた四人が、五十鈴の言った見覚えのある人物達である。


 因みに、四角い青色の枠もあり、それは四人に比べてみれば覚えは薄いけれど見覚えのある人物である。感覚的には、見た事あるなぁ、くらいである。


「赤の四人が先輩が強く覚えがある人で、青の枠が先輩が弱く覚えがある人達」


「そうか」


 四クラス分の見開きページに、赤と青の枠がランダムに記される。


 数は、十四人。これが十一年前の卒業アルバム。


「……」


 ふむと考えこむような仕草を見せた後、好はスマホを取り出して何やら操作をする。


「何か分かったの?」


「分からない。が、もし当たればより情報が洗練されるだろう」


 言って、スマホをしまう。


「今日の放課後、君はどうするんだ?」


「僕は、先輩に謝ってから、森宮伊鶴さんに会いに行ってみる。先輩、住所は知ってるみたいだったし」


「そうか。確かに、彼女が一番十三年前に近しい人物だからな。何かしらの手掛りくらいは貰えるだろう」


「うん」


 ただ、三年間という隔たりは大きい。もしかしたら、思うように情報が集まらない可能性はある。


 それに、五十鈴の知っている住所に当時のまま住んでいるとも限らない。無駄足になる可能性も十分にある。


「ホームズはどうするの?」


「俺はもう少し当時の事を聞いてみようと思う。もっとも、そう期待はできないがな……」


 一番の有力候補であった用務員がまったくの空振りだったのだ。彼以上にこの学校に精通している人物などいないだろう。


「そっか。僕の方でも何か分かったらすぐに連絡するよ」


「そうしてくれると助かる」


 ちょうど会話のきりが良いところで、ホームルーム開始の予鈴が鳴る。


「お。ではさらばだー」


 ばいばーいと手を振って茨は好の席から離れて行く。


 お互いに進展は遅れている。どちらが先に答え・・にたどり着くのかは分からない。


 ただ、好はこの事件に関して少しだけ違和感を覚えている。


 最初は、愛の女神様がただの悪霊の類だと思った。幾つもの怪事件に関わってきた好にとって、悪霊が人にとり憑いている事はそうおかしい事ではない。けれど、彼女は身体は乗っ取っているけれど、何か悪さをしようという意思は感じられない。


 その上、人体への影響だってない。少なからず、何かしらの悪影響があってしかるべき状況のはずなのに。


 考えれば考える程、今回の件は例外が目立つ。


 何か一つ。何か一つでも新しい情報さえ入れば……。





 一日中考えてみたけれど、結局既出の情報だけでは仮説にすらならず、飛躍した妄想を繰り広げる事しか出来なかった。


「それじゃあホームズ、行ってきまーす」


「ああ」


 びしっと敬礼をして、とたとたと走っていく茨を見送る。最早見慣れつつある光景だ。


 さて俺も調べものをと思った矢先に声をかけられる。


「法無く~ん。ちょーっと良いかなー?」


「ああ、大藤先生」


 好に声をかけてきたのは笑みを浮かべた大藤だった。しかし、眉はぴくぴくと動き、口角は引き攣っている。


「ああ、じゃないわよね? とりあえず話があるから体育教官室まで来てくれるかしら?」


「分かりました」


 教師、それも大藤に呼ばれるような事態になっている好を、皆が好奇の目で見る。


 大藤の後に続き、好は体育教官室へと向かう。


 体育教官室にたどり着くまで大藤は振り返る事は無かった。しかし、だからこそ大藤が怒っている事が如実に伝わってきた。


 体育教官室に入った途端、大藤は机の上に数枚の紙束を叩き付ける。おそらく、紙束それは好が朝に大藤に頼んだ仕事の結果だろう。


「法無君。もうこういうのはこれっきりにしてくれるとありがたいのだけど? 確かに発端は私ですけど! 悪いのは私ですけどね! こうもこき使われるとは思ってなかったわ!」


 不機嫌そうに椅子に座る大藤。


「他の先生には変な目で見られるし、仕事の合間にこなさなくちゃいけないし、給料だって出ないし、おまけに直接渡す相手は好みでもなんでもない男だなんて!! なんにも楽しく無いわ!! 私が悪いんですけどね!! 私が悪いんですけどね!!」


 嘆くように言いながら、机に突っ伏してしまう大藤。


 自覚はしているけれど、好のやっている事は立派な脅しである。大藤としては気が気じゃないし、生きた心地がしないだろう。


 丁度良いから何かとお願いをしていたけれど、そろそろ潮時だろう。好としても、このまま大藤が不調になって他の教師に知られ、大藤が全て話をしてしまう事の方が面倒だ。


 それになにより、相手を困らせて楽しむ趣味など好には無い。


「大藤先生、調べてくださってありがとうございます。これに懲りたら、もう二度とあんなことはしないでください」


「……ううっ、反省してるわよぉ……」


「猛省してください。あの日の事は映像に残している訳じゃありません。ですので、言葉限りにはなりますが、今回の依頼をもって大藤先生にはもうお願いする事はありません。安心してください」


「え、ほんとに!?」


 ぱあっと晴れやかな表情で顔を上げる大藤。その変わり身の早さに呆れながらも、目尻に涙を浮かべているのを見て、あながち精神的に疲弊をしていたのは間違いではないのだろうと覚る。


「ええ。まぁ、また同じような事をしたら容赦はしませんが」


「しないしない! 絶対しないわ! 教職者の鑑になるくらいの立派な人間になるわ!」


「そこまで行くと逆に胡散臭いですけどね……」


 大藤の物言いに苦笑しながら、好は大藤の用意してくれた紙を眺める。頼んだ内容に沿っているかどうかを確認するためだ。


仕事は早かったけれどそれが正確かどうかは見てみるまで分からない。もし不備があったら大藤には申し訳無いけれど、もう少し仕事をしてもらう事になる。


数枚、紙をめくったところで好の手がぴたりと止まる。


「これは……」


「え、何か不備でもあった?」


 好の反応に、不安そうな顔をする大藤。


「違います。いや、もしそうなら……」


「何? 凄く怖いんだけど?!」


 頤に手を当てて考え込む好。


 好の目に映っているのはとあるクラスの顔写真付きのクラス名簿。


「――ッ!!」


 そして、一人の生徒に目を移した時、好は思わず息を呑む。


「これを見て何故気付かなかったワトソン君……!!」


 いや、茨なら仕方の無い事だろう。何せ、茨は他人の顔を憶えるのが壊滅的に苦手だ。それに、歳もとっている。気付けという方が無理があるかもしれない。


「先生。お願いを一つだけ聞いて貰っても良いでしょうか?」


「ええ!? 私解放されたんじゃないの~?」


 ふえぇっと泣きそうな顔をする大藤に申し訳なさそうな顔をしつつ、好は言う。


「これは法無好個人としてのお願いです。断ってくれても構いません。奥仲先生の奥さんの旧姓とフルネームを聞いておいてください」


「え、そんな事? なーんだ。身構えて損したわ」


 弱った態度から一転、大藤は大きく肩の力を抜く。


「それくらいなら、まぁ良いわよ。対した事でも無いし、奥仲先生直ぐにべらべら喋るから」


「お願いします。それと、本当にありがとうございます。とても助かりました」


 紙束をリュックに仕舞い、好は体育教官室を後にしようとする。


「あ、ちょっと! 貴方本当に何してるの? 危ない事してないでしょうね?」


「この後の進展によります。ただ、危なくならない事を祈ってますよ」


 それだけ言って、好は体育教官室を出る。


 大藤のもたらした情報は好の中で大きな進展を見せた。


 後もう一つ何かがあれば、この事件の確信に触れる事が出来る。


 逸る気持ちを抑えながら、もう一度用務員のところへと向かおうと駆け出した好の前に、しかし、何者かが立ち塞がった。


 その者は聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で言った。


 見付けた、と。

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