第11話 愛の女神様 肆

「え、先生結婚してたの?」


「へー、いがーい。子供もいんの? ま?」


「見せて見せて~!」


 帰りのホームルームが終わって少しして、教室の前の方で女子達が何やら騒いでいた。


 社会科の教師であり好達のクラスの担任である奥仲おくなか信治しんじが女子生徒に囲まれながらデレデレとした顔で自分の子供の写真を見せているところだった。


 デレデレとしているのは女子生徒にではなく、奥さんと自分の子供にだろう。もう可愛くって仕方が無いと言った様子で子供の成長エピソードを語っている。


「僕も見てこよー」


 興味をそそられたのか、五十鈴が来るまでの時間潰しなのか、茨が軽い足取りで女子の中へと突入していった。


 もし話題の中心が奥仲では無く、大藤であったのならば男子共も群がっていただろうけれど、今の話題の中心は奥仲であり、子供や奥さんの話などには興味の欠片も無いだろう。それに、女子達が居る中に男子が突っ込んでいくのも勇気がいるだろう。


 茨はそこら辺の事はあまり気にしないし、混じってしまえば普通に女子に見えてしまうので違和感が無い。


「わー、可愛いー!」


 にぱにぱと笑みをまき散らしながら茨は奥仲のスマホを覗き込む。その仕草に女子の数名が頬を赤らめる。


「だろ~? もう世界一可愛い娘でなぁ。この間なんか保育園で俺の絵を描いてきてくれてな?」


 デレデレと、嬉しそうに微笑ましい親馬鹿話パパトークを繰り広げる奥仲。


 そんな奥仲の様子に女子達は若干苦笑気味だけれど、奥仲は心底幸せそうな顔のまま話を続けている。


「先生の奥さんってどんな人なんですか?」


 話に区切りがついた一瞬で、茨が話題を娘から奥さんに代える。


「俺には勿体無いくらいに美人で器量が良い人なんだよ。ほら、これこれ」


 言って、奥仲は奥さんの写真を見せる。


「わっ!? めっちゃ美人じゃん!!」


「え、え? 先生、こんな美人さんと結婚したの!? 嘘でしょ!?」


「つ、美人局つつもたせじゃないよね!?」


「残念ながら両方の親族一同集めて結婚式も開いてまーす」


 にいっと嬉しそうに笑みを浮かべる奥仲を見て、女子達は眩しそうに顔の前に両腕をかざす。


「ま、眩しい! これが既婚者の余裕なの!?」


「くっ……おっさんからリア充オーラが全開なのくっそムカつく!!」


「でも幸せならオーケーだわ!!」


 わーぎゃーと騒いでいる女子達を、好は苦笑しながら眺める。


 茨ものりのりで騒いでいるのだろうと茨を見ると、茨は笑みを浮かべたまま微妙に首を傾げていた。その視線は奥仲ではなく、じっと奥仲の手に持ったスマホに向けられていた。


「……?」


 茨の様子を疑問に思った好であったが、教室内が奥仲の事以外で騒めきを見せたのでそちらに視線を向けた。


 教室の扉の方には五十鈴が立っており、教室内に視線を巡らせていた。


「あ、安心院せんぱーい」


 にぱっと常の笑みを浮かべ、茨は奥仲達から離れる。


「じゃ、お昼休みに言った通り卒アル確認してくるから。何か進展があったら夜に電話するね」


「ああ。くれぐれも、気を付けてな」


「あいあーい! ほいじゃまたー」


 リュックを背負って、茨は五十鈴の元へと向かった。


 優し気な笑みを浮かべたまま五十鈴は茨を迎え、そのまま教室を後にした。


 教室内は二人の関係を詮索するように騒めいているけれど、好には答えを教えてやる義務も義理も無い。


 茨も行ってしまったことだし、自分も調べものをしようと席を立つ。


 が、教室を出る前に好も奥仲の方へと向かう。


 奥仲の奥さんに興味は無い。気になったのは、茨のあの表情。


 何かおかしな点でもあったかと思い、好はすっと奥仲のスマホを覗き込む。


 そこに映っていたのは、奥仲とその子供、そして、奥仲の奥さんだ。


 ウェーブのかかった黒髪を肩甲骨辺りまで伸ばした、優しそうな顔をした女性。


 一見して、おかしなところは見当たらない。良くある家族写真だ。


「お、法無も興味あるのか? 可愛いだろ、ウチの奥さんと娘は」


 デレデレっとだらしない笑みを浮かべる奥仲に、好は笑みを浮かべて答える。


「ええ、そうですね。娘さんはおいくつなんですか?」


「もう四歳だ。可愛くてなぁ、将来はパパと結婚するって言ってなぁ」


「それは、父親冥利に尽きますね」


「そうだろ?」


 なははと嬉しそうに笑う奥仲。


 その純粋な笑みを見て、好の疑問は膨れ上がる。


 どこからどう見ても幸せな家族だ。けれど、その家族写真を見て茨の笑みから温かみが消えた。


 なんだ? ワトソン君は何を見たんだ・・・・


 茨には自分には見えないものも見えるし、感じ取ることも出来る。


 茨が何かを見たのは確かだ。けれど、それを好に伝えなかったという事は、大した事ではないのか、それともまだ茨自身にも答えが出ていないのか。


 ひとまずは、好は今の出来事を心の内に留めておくことにする。憶測で手を出す訳にはいかない。


 自然に奥仲達から離れ、好は教室を後にする。


 奥仲の事も気になるけれど、今は愛の女神様についての方が大切だ。


 現状、愛の女神様で分かっている事は、流行った時期と、歴代の愛の女神様の名前、そして愛の女神様をした事によって起きた怪事件のみだ。


 肝心の、何故愛の女神様という降霊術が流行ったのかが分からない。


 愛の女神様を紐解くには、流行った理由を探る必要がある。


 安心院五十鈴の中から彼女を祓うだけであれば簡単な事だ。そういった専門の祓い屋辺りに任せれば良い。


 実際、最初は安心院両親は専門家に祓ってもらうつもりだったらしい。が、安心院五十鈴がこれを激しく拒否をしたために、仕方なしに好に話が回ってきたのだ。


 つまり、好の仕事は安心院五十鈴を納得させる事。愛の女神様と今の状態がどれだけ危険な事であるかを教えてあげる事だ。


 彼女の同意があれば好の知り合いの祓い屋に頼んで彼女の中から愛の女神様を祓う事が出来る。


 それが、一番無難なやり方だが、恐らくはそれについても彼女の方から説得をされているだろう。であれば、それは両親と同じアプローチの仕方になる。


 好が取ろうとしている方法は、安心院五十鈴の意思や彼女の意思を無視した解決方法だ。


 好の予想では、今、愛の女神様は継続されている状態のはずだ。彼女は愛の女神様を行って相手に乗り移る事で、愛の女神様という降霊術を継続している状態なのだ。恐らくは、『お帰りください』などの終わりの言葉も言われていない状態だろう。


 愛の女神様を紐解いて、強制的に愛の女神様を終わらせる。それが、好が取ろうとしている方法だ。


まずは、始まりを知る必要がある。


 好は淀みない足取りで目的の場所へと向かった。



 〇 〇 〇



「だーめだったねー」


「そうね……」


 落胆した様子で二人は資料室から出てくる。


 卒業アルバムを見たは良いものの、どんぴしゃりと当てはまる人物はいなかった。


「けど、収穫はあったね」


「まぁ、かもしれない程度だけどね……」


 しかして、何も収穫が無かった訳では無い。


 十一年前の卒業アルバムに彼女が見た事がある気がすると言った生徒が大勢居たのだ。その中でも、強く心に引っかかると言った生徒が四人居た。


 杉並すぎなみ希望のぞみ


 荒井あらいなぎさ


 浅葱あさぎまり


 冷泉れいぜん盟子めいこ


 この四人の名前と顔写真に見覚えがあると五十鈴は言った。


 覚えがあるという事は、五十鈴が殺される前に友人だった可能性が高い。


 伊鶴の知らない学校の構造を憶えていた事もあり、五十鈴の覚えがあるという言葉をある程度信じる事は出来る。理屈は大変重要だけれど、直感も時には重要な事件解決の要因ファクターになる。


 しかし、五十鈴は沈んだ様子だ。


 確証を得られる情報が無かった事がショックなのだろう。


「事件解決に大切な事ってなんだか分かる?」


「え?」


 突然の茨の質問に五十鈴は困惑の表情を浮かべる。


 そんな五十鈴に、茨はにっと笑みを浮かべる。


「ずばり、こつこつと情報を集める事! 最初からなんでも答えが分かったら、警察も探偵も必要無い。物事には追及という行動が必要となる。その追求という行動の果てに真実がある。って、ホームズが言ってたよ」


 人差し指をぴーんと立てて得意げに言ってのける。まぁ、好の受け売りなのだけれど。


「急いじゃ駄目だよ。ゆっくりゆっくり、一つずつ掴んで行かなく――」


「そんな悠長にしていられる訳無いでしょ!!」


 茨の言葉を五十鈴の金切り声が遮る。


「十年よ!? 十年もこんな事繰り返しているのよ?! ゆっくりやってる時間なんて無いわよ!!」


 苛立ち交じりに五十鈴は茨に言葉をぶつける。


 しかし、茨は笑みを消さない。


「そっか。ごめんね、無神経だったね」


 苛立ちのままに乱暴に言葉をぶつけた。にも関わらず、茨の笑みは変わらない。その笑みに含むものは無く、また、笑みの質も先刻と変わった訳でも無い。


 苛立ちを、怒りをぶつけられたのに、茨は笑っているのだ。


「――っ」


 言い知れぬ気味の悪さに、思わず息を呑む。


 普通の人間であれば委縮するか、今の五十鈴のように怒って返すかのどちらかだ。


 怒鳴られたのに、声を荒げたのに……。


「――っ、ま、また明日! それじゃあ!」


 謝る事もせず、五十鈴はそれだけ言って早足に茨から離れて行った。


 手伝ってもらっている手前、こんな事を思うのは酷いのかもしれないけれど、今の茨はどうしようもなく気味が悪かった。


「……」


 去っていく五十鈴の背中を、茨は眺める。


 その顔には笑みは無く、感情を伺わせない無表情が前面に押し出されていた。


「そっか、今のじゃ駄目なんだ……」


 言って、茨は自分の頬をむにむにと弄くり、最後に口角を指で吊り上げて無理矢理笑みを作る。


「うん。ぐっどすまーいる」


 にぱっと笑みを浮かべ、茨は帰路に着く。


「人間って、分からないなぁ……」


 ぼそりと呟かれた茨の言葉は、廊下に小さく響いて消えた。

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