第7話 狐狗狸さん 伍

 四人が新藤家を出て二時間程経った頃。


 結局、雲母と石嶌の二人は四人が心配で新藤家に居た。それに何より、母親の方も心配だった。


「すみません、厚かましくしちゃって」


「良いのよ。むしろ、一緒に居てくれて心強いわ」


 謝る雲母に、母親は優しい声音で返す。


 三人はテーブルを囲んで夕飯を食べていた。せっかくだから食べて行ってくれと、夕飯を作ってくれたのだ。


「ただいま」


 三人で食卓を囲んでいると、玄関から男性の声が聞こえてきた。


 一瞬四人の内の誰かかと思うけれど、四人はただいまなんて言わない。ましてやインターホンを押さないなんて事は無いだろう。


 リビングに入って来たのは、スーツを着た男性だった。


「あなた、おかえりなさい」


「ただいま。その子達は……美々花のお友達かな? いらっしゃい」


 夜分も遅いというのに、美々花の父親は優し気に笑った。


「お、今日の夕飯はハンバーグか。妻のハンバーグは美味しいだろ? 私も大好物なんだ」


 言いながら、スーツの上着を脱いでソファに掛ける父親。笑みを浮かべてはいるけれど、その顔に疲れがある事は分かる。


「あの、夜分遅くまですみません。私達、お夕飯をいただいたら帰りますので」


「あぁ……私の事は気にしなくて良いよ。ゆっくり食べてくれ。食べ終わったら送っていくから」


「いえ、それは申し訳な――」


 言葉の途中で雲母のスマホから着信を知らせるメロディが流れる。


 かけてきたのは、好だった。雲母は慌ててスマホを持って応答を押す。


「もしもし!」


『烏口、君はまだ新藤家にお邪魔しているか?』


「う、うん、居る! お夕飯食べてる!」


『厚かましいな君は……』


「だ、だって!」


『まぁ良い。今は助かった。スマホを持ったまま石嶌と一緒に美々花さんの部屋まで行って欲しい。後、音声出力はスピーカーで頼む』


 雲母の言葉を遮って口早に言う。


「――っ! 見つかったの!?」


 雲母の言葉に、母親と石嶌は目を見開いて驚く。


『ああ、見つかった。だが、恐らくはそれだけじゃ駄目だ。正しく終わらせる必要があるだろう』


「良く分かんないけど、分かったわ! 新藤さん、つつじ、美々花さんの部屋に移動してだって!」


「わ、分かったわ!」


「う、うん!」


 二人は頷くけれど、父親だけは何が起こっているのか分からないと言った顔をしている。


「いったい何がどうしたんだ? それに、今美々花は……」


「説明は後でします! 今は美々花さんの部屋に行きましょう!」


「そうね。あなた、今は美々花の部屋に」


「あ、ああ……」


 何が何だか分かっていない様子ながらも、父親は三人の気迫に押されてとりあえず頷いた。


 四人は足音荒く二階に上がり、美々花の部屋に向かう。


 美々花はと言えば、今までと変わりない様子で唸っており、部屋に入って来た四人を睨んでいる。


「入ったわ」


『スピーカーにはしてあるな?』


「ええ」


『そのまま少し近付いてくれ。唸り声に掻き消されずに聞こえる距離まで』


「分かったわ」


 唸る美々花に近付く。


 その度に美々花の敵意が雲母に向かう。


 それ自体は恐ろしいけれど、恐らく大丈夫だ。何せ、好の指示だ。危ない事はさせないはずだ。


「寄ったわ」


『よし。聞こえるか? 名は知らないが、今はあえてこっくりさんと呼ばせてもらう。聞こえる事を前提で話を進める。単刀直入に言おう。君の御神体を見付けた』


 御神体を見付けた。好がそう言った直後、美々花が唸るのを止めた。


 その事に、美々花の両親は目を見開いて驚愕する。


 今まで、何を言っても、何をしても人が居る間はずっと唸って暴れていた美々花が、唸らなくなった。その衝撃は、ずっと美々花を見てきた二人にとっては大きい。


『採掘も、明日最優先で行ってもらうよう神主さんとも話を付けた。君は明日には御神体に帰れる。もう一度言う、君の御神体は見つかったぞ』


「……」


 目を見開き、固まる美々花。


 しかし、こっくりさんが抜けた様子は無い。


『烏口。そっちはどんな状況だ?』


「唸り声が止まって固まってはいるけど……」


『抜けてはいない。そうだな?』


「うん……」


『大丈夫だ。そんな事だろうと思った』


 御神体を見付けたのにこっくりさんが美々花の身体から出て行かない。


 当初の目的を達成したというのに結果が伴っていない事に、しかし好は焦ってはいない。


 淡々とした声がスピーカーから流れる。


『周りはある程度掘り起こした。もう苦しくは無いはずだ。明日になれば全部掘り起こされるはずだ。良いか? 明日には、君は助かる。今だって、もう苦しくは無いだろう?』


 美々花がすぅーっと深く呼吸をする。いや、その呼吸はおそらく美々花のものではない。美々花に憑りついた山神こっくりさんのものだろう。


『どうだ? 様子は落ち着いているか?』


「うん。なんか、深い呼吸を繰り返してる……」


『ならば重畳。さて、後は仕上げだ。こっくりさんの終わり・・・だ。終わらせ方は、各々方ご存知だな?』


 皆が、視線を合わせる。


 好の意図はきちんと皆に伝わっている。


『では各々方、御唱和ください。せーのっ!』


 ――こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻りください――


 全員の声が重なる。こっくりさんの終わりの言葉が紡がれる。


 一度びくりと美々花の身体が震える。


 直後、ゆっくりと美々花の目蓋が落ちて、穏やかな寝息を立て始める。


 その寝顔に険しさは無く、どこまでも健やかなものだった。


「美々花……?」


 母親が美々花に近寄る。


 そして、眠る美々花の頭を撫でる。


 今まで、美々花に触る事は出来なかった。触ろうとすれば、首を必死に動かして噛み付こうとさえした。起きている時はそれが常で、寝ている時は部屋に入っただけで起きて唸り声を上げていた。


 そんな美々花に、今触る事が出来る。


「美々花……!! 美々花ぁ……っ!!」


 泣きながら、母親は美々花を抱きしめる。


 父親も涙を流しながら母親の背中を撫で、美々花の頭を撫でる。


 その光景を見て、雲母は全てが終わった事を悟る。


「終わった……! 終わったわよ、法無!」


 涙ぐみながら、雲母は好にそう報告する。


 途端、電話の向こうから花菱と目盛の喜び勇む声が聞こえてきた。


『助かった、烏口。今からそちらに霧生さんを送るから、霧生さんに家まで送ってもらってくれ』


『はぁっ!? 俺帰ってドラマを――』


『夜中に女子を一人で帰らせるつもりですか? 何かあったらどうするんですか』


『くっ、このっ……ああもう分かったよ! やりゃぁ良いんだろ!』


『お願いしますね、霧生さん。烏口、私のスマホに新藤家の住所を送ってくれ』


「うん、分かった」


『お疲れ様。帰ったらゆっくり休むと良い。では、また明日学校で』


 それだけ言って、好は通話を終わらせた。


「良かったぁ……」


 全て終わったという実感が湧き、雲母は張り詰めた空気を吐き出した。


「後で、お礼しないとね……」


 依頼には報酬が必要だ。何せ、好は探偵なのだから。


 そして雲母は依頼主なのだから。


「ありがとう。名探偵」





 霧生に新藤家の住所を転送してから、好はスマホを仕舞う。


「ホームズ」


「ん、っと。ありがとう、ワトソン君」


 茨に呼ばれて振り向けば、茨からスポーツ飲料を投げ渡される。


 疲労で震える手できちんとキャッチしてから、好はスポーツ飲料を一気に身体に流し込む。


「良い飲みっぷりだね」


「……ぷはっ。そりゃあ、これだけ重労働をすればな」


 言って、好は御神体の方を見る。


 御神体の全容は分からないけれど、上部はいくらか露出しており、確かな曲線が見て取れる。恐らくだが、球体に近い形をしているのだろう。


 此処から先は専門家プロの出番だ。好の出る幕は無いだろう。


「見つかって良かったね」


「そうだな。正直、御神体が見つかるかどうかは賭けの要素が強かった。何せ、推理ではどうしようもない部分だからな」


 見た事も無い御神体が土砂崩れに巻き込まれてどこに埋まっているかなんて、そんな予測を立てる事は好には出来ない。恐らくはどんな名探偵にだって出来る事はでは無いだろう。出来るのはフィクションの中の人物だけだ。


 好はホームズと呼ばれているけれど、シャーロック・ホームズその人ではない。出来る事には限界がある。


 自分に限界がある事を名探偵法無好は知っている。


「あの狐、あれも山神だったのかな?」


「さぁ、どうだろうな。そっち方面の事でワトソン君に分からない事は、には分からないからな」


 少なくとも、好には普通の狐に見えた。


 そして、恐らく五人が五人ともただの狐に見えただろう。


 その正体は分からない。けれど、そういう事もあろう。怪異には説明がつかない事も多い。今回も、その内の一つだと思えば良い。


「狐につままれたとでも思えば良い。たまには、そんな事があっても悪く無いだろ」


 言って、好は疲れ切った顔に笑みを浮かべる。


 いつもの安い笑みではない。事件が終わった事に対する安堵と喜びから出る、心底からの笑み。


 ずっとそうやって笑っていれば良いのにと思うけれど、彼が笑顔という仮面を付けている理由を知っている茨にはそんな事は言えなかった。


「俺達も帰るとしよう。事件解決。中々、骨の折れる事件だったな、ワトソン君」


「そうだね。もう手がしびしびだよぉ……」


「俺も暫くは地面は掘りたくないな」


 好の視線は既に御神体から離れている。その視線の先は、ふらふらと疲れた様子で歩いている花菱と目盛に向けられている。


 最後に美々花の様子だけでも見ていきたいとのことで、霧生と一緒に新藤家へと向かうらしい。


 大勢で行っても迷惑になる事は分かりきっている。二人は後日様子見も兼ねてお邪魔する方向で決めていた。


 立ち上がり荷物を持って御神体に背を向ける。


 直後、かぐわしいこうの香りが鼻孔をくすぐる。


「世話になったな。わらべよ」


「「――っ」」


 この場に居ない誰かの声。


 聞こえた途端、背筋が粟立つような、そんな感覚を覚える。


 慌てて振り返ってもそこには誰も居ない。


 一瞬、美しい金毛が見えたような気がしたけれど、ほんの一瞬の事なので見間違いの可能性もある。


 が、声は聞こえた。何せ、二人が同時に振り返ったのだ。二人とも同じ声を聞いた事の証左だ。


「今の、聞こえた?」


「ああ……」


「綺麗な声だったね」


「君は……」


 にっと笑って言う茨に、自然と肩の力が抜ける。


 怖いとか、そんな感覚を超えた何かを感じた。自分にはどうにもできない。自分が触れてはいけないところがある。その触れてはいけないところの存在。


人はそれをきっと神様と呼ぶのだろう。


 御神体なんだから、当たり前か。


「さ、今度こそ帰ろう」


「うん。そーだね」


 今度こそ、御神体に背を向けて歩き出した。


 これにて、狐狗狸さんの怪、一件落着。

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