第1章 恋愛お約束条項⑦

「……は?」


「私と疑似恋愛してみましょう。カレカノお試し期間、恋愛ごっこ、恋人(仮)です。私と男女交際をするのではなく、恋愛シミュレーションをしてみましょう」


 美月は微笑んでそう言った。


 まあ、話の流れから意図は予想できる。できるが――


「私はセンパイと親しくできて、センパイは私が恋人という日々を体験することによって私への理解が深まる――うぃんうぃん!」


「……はぁ」


 美月の謎テンションに思わず曖昧な相づちを打つことしかできない。


「ルールは簡単です。お互いに恋人のつもりで接するだけ! ただしこれはシミュレーション。あくまでごっこです。私はセンパイに彼氏の責任を求めませんし、センパイも私に彼女の責任を求めないでください。お互いにカレカノとしての責任を果たさなくていい。ここ重要! つまりセンパイは、恋愛シミュレーション中に他の女子が好きになったらシミュレーションを打ち切ってそっちの女子に告白してくださっても構わないってことです。私も他の男子が気になったらそうします」


 ……なるほど。


「デートとかも頑張ってくれなくていいです。センパイは勉強やバイト忙しいですよね? 時間が空いてるときとか、ちょっと気分転換とか、時間が空いたときとか、そういうときにちょこっと構ってもらえれば全然OKなので!」


 どうですか! と美月が身を乗り出して圧をかけてくる。


「……言いたいことはわかった」


「――じゃあ!」


「……俺に都合が良すぎないか? 互いにって言うけどお前はシミュレーションのつもりなんてないんだろ? これじゃあ俺が一方的に打ち切れる恋愛と同じじゃねえか」


「はいです。でもセンパイに都合がよくて当然じゃないですか。私を知ってもらうためのプログラムですから。それに私にデメリットがないです。このままセンパイとお付き合いできないより、恋人ごっこができるなら大歓迎――ビックウェルカムです」


 言って美月はにこりと笑う。


 俺はそんな彼女に、話しているうちに湧いてきた疑問を投げかけた。


「……そうまで俺にこだわる理由はなんなんだ?」


「理由、ですか?」


「十年片想いしてたんだろ? 目の前で他の女と付き合うところを見てきて――タイムリープしてもまだ、今度こそ俺とって――十年の間に他の男に乗り換えようとか思わなかったのかよ」


 そんな俺の至極当然な疑問に美月は笑顔で、


「よくわかんないです」


「――は?」


「最初はただ諦められなかっただけなんですよ。センパイを好きになって、彼女になれたらいいなって――でもセンパイは深町先輩と付き合い始めちゃって。今思えばその時に諦めきれなかったのが全てですかねー。高校と大学じゃ逢う時間も限られるだろうし、まだチャンスあるかなーって思ったんですよ。それから根暗だった性格変えて、センパイと沢山お話しできるようにセンパイの趣味を理解しようと思って――結局大学まで追っかけて。そこまでして深町先輩と別れた時に出遅れたわけじゃないですか。ここまで来てそこで諦める選択はないですよねー。それでそのままずるずると」


 えへへ、と美月。


「タイムリープには大感謝ですし、恋愛シミュレーションも是非。きっとセンパイに気に入られて見せます」


「そんなに夢中になるほど劇的な出会い方だったのか?」


「うーん……どうでしょう? 格好よくはありましたよ。輩っぽい他校生二人に絡まれてた私の前に現れて、毅然な態度で相手を追い払ってくれました」


 美月が記憶を辿るように目を閉じてそんなことを言う。


「……それ、俺じゃないだろ? 俺にそんな度胸ないよ? 輩二人の前に出られる気がしない。普通に考えて先生呼ぶだろ、そこは」


「間違いなくセンパイでしたよ? 相手が立ち去った後、センパイが『怖かったー。俺が怖かったくらいだから、一年の君はもっと怖かったろう。大丈夫か?』って。すっごいきゅんとしました。一発でやられちゃいましたねー」


「いや、そんな綺麗な俺、いるか……?」


「私から見ればとてもセンパイらしいですよ。何気に困ってる人は見過ごせない人ですからね、センパイは。深町先輩とだってそんな風に知り合ったんでしょう? ……まあ、そのせいでいつの間にかライバルが増えているってことが多々あったのでモヤることもありますけど――でもセンパイのカッコイイところなんですよねー」


 当時のことを思い出しているのか、美月の頬がにへらっとだらしなく緩む。


「後はセンパイ以上のオトコのヒトが現れなかったってのも大きいかもです。ちょいイケメン風で、理屈っぽくて頭固いところもありますけど、善人で、男らしくて誠実で。運動神経抜群で成績も鬼努力で上位キープ。何気にハイスペックなんですよねー」


 美月は改めて俺を眺めるようにして、


「これでもう少し社交的だった満点だったのに。惜しかったですね! 少なくとも十年後までは友達作るのすごく下手くそなままなんでもう少し頑張りましょうね?」


「うるせえ」


「どんまいです!」


「それフォローじゃねえからな?」


 高校はもう諦めたから大学で頑張ろうと思ってたのに、こいつのせいでその夢は砕かれた。俺は大学でも禄に友達作れないのか……


「未来のセンパイ見てるせいか今のセンパイは可愛く見えたりして色々捗りそうです! これもあれですかね、ギャップ萌えって言うんですかね?」


「知るかそんなもん」


 そして彼女と話しているうち、いつの間にか絆されてしまったのか――いや、確実に絆されてしまったのだろう――彼女の提案する恋愛シミュレーションを断って別れを告げるのは簡単だったが、彼女の気持ちを考えたらそうはできなかった。


「――そのシミュレーション、条件を出していいか」


「――! 恋愛お約束条項というわけですね? 聞きましょう!」


 俺の言葉に美月は目を輝かせる。


「お前の言う恋愛シミュレーションをするにあたって、恋愛交渉を禁止する。恋愛交渉禁止令だ。それを守れるなら……うん、してみてもいいかなと思ってる」


「恋愛交渉禁止令?」


「ああ、恋人らしい……恋人ならではのコミュニケーションは互いにしない、求めない。これが前提なら――お前を知るって意味でも、前向きに考えたい」


「恋人らしいコミュニケーション……キスやそれ以上の行為ってことでいいですか?」


「まあ、そうな……あとは過度なボディタッチも駄目だ」


「手を繋ぐのは?」


「ナシ……と言いたいとこだけど、恋人シミュレーションなんだろ? 関係が進めばそのくらいはアリじゃねえの」


「恋人つなぎはありですか!?」


「雰囲気による」


「――やった!」


 美月がぐっとガッツポーズをとる。


「ホントにわかってるのか?」


「わかってます、わかってますとも。実質友達以上恋人未満シミュレーションですよね。大丈夫です、センパイとの恋愛お約束条項も守ります! ……なるべく」


「なるべく?」


「いや、ちゃんと……多分」


「お前な……」


 本当にわかってんのか? そう言ってやろうとして――ぎょっとした。美月の両目に大粒の涙が浮かび――ぽろりと零れたからだ。


「おま――」


「ごめんなさい、感極まっちゃって――ああ、大丈夫です。私睫毛地毛だしアイメイクはしてないのでパンダ目にはなりませんよー。すぐ泣き止みますね」


 鼻声で言いながら彼女はポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う。しかし言葉とは裏腹に彼女の目からは止めどなく涙が溢れてくる。


 二、三分ほどだろうか――俯いて嗚咽をかみ殺して泣いていた美月が、ぐすっと鼻を啜り顔を上げる。


「ごめんなさいです、お見苦しいところを――いやあ、先週――いや、十年後ですかね? もう涙なんて出し尽くしたと思ってたんですけど……泣けるものですねー」


「時間が巻き戻ったから補充されたんじゃねえの?」


「タイムリープジョークですね、わかります」


 泣き笑いでサムズアップする彼女。


「――俺が言うのもなんだけど、そんなにか」


「そんなにですよ……十年センパイを想い続けて始めて後輩から一歩進めたんです。これまでのことを思い出したらもう嬉しくて嬉しくて……幸せです。生きてて良かったです」


「一回死んでるくさいけどな」


「……………………私、この十年で初めてセンパイにイラッとしてます、今」


「健全でいいんじゃねえの。盲目的に愛されても怖いよ。お前はこれを機に俺をどんどん疑ってけよ。別のいい男が目に入るかも知れないぞ」


「……ちょっと腹立たしいですけど。でも水を差すのも恋愛お約束条項もセンパイが私の為にしてくれてることがわかるから嬉しいですよ。私をどれだけ虜にすれば気が済むんですかね、センパイは」


 どきりとする。


「私がセンパイ以外の男の人と結ばれる可能性がーとか考えているんじゃないですか?」


 美月がもったいないと――俺が美月を好きになる可能性を指してもったいないと言ったように、俺も美月が見てない選択がもたらす可能性をもったいないと思っていた。


 彼女がタイムリープを機に、まったく新しい人生を歩む選択をすれば――俺ではない他の誰かを好きになれば、彼女が自ら語ったような不毛とも言える十年を過ごすことはない。きっと全く別の十年になるだろう。


 痛い重い怖いはあっても、美月が悪い人間でないことはもう十分伝わっている。加えて彼女のこの容姿――視野が広くなれば、そして彼女自身がそれを望めば――俺より彼女に相応しいオトコなどいくらでも見つかりそうだ。それは無限とも言える可能性だと思う。


 しかし――


「それでも私はセンパイがいいんです」


 不意に美月が俺の心を見透かしたかのようなことを言った。目をぱちくりさせる俺に、美月が涙の跡が残る顔でふっと微笑む。


「私はセンパイの後輩ですけど、今の私の心はセンパイより少しお姉さんなんですよ? その上もう十年もセンパイを見続けているんですから、センパイの考えていることはお見通しです。大丈夫です、私はセンパイがいい。っていうかもう十年ですよ? 少しぐらいはセンパイと親密になれないと報われません。だからシミュレーションでセンパイに好きになってもらえるように張り切っちゃいます」


「……見透かされてるとちょっと恥ずかしいんだが?」


「大丈夫です! むしろ私のこと色々考えてくれてるセンパイ、オトコのコしてるなーって感じできゅんきゅんします、ご馳走様です!」


 むふーっと美月は頷いて、


「で、恋愛シミュレーションは?」


「……明日からそういうつもりでいようと思う」


 そう応えると、美月はその場で折り目を正した。テーブルに手をついて頭を垂れる。


「不束者ですが末永くよろしくお願いします」



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