第22話 人狼ゲーム㉒「紅子の謎、イルカの謎」


 最初の脱落者となったイルカが去った後、夕食となった。


 紅子は押し黙りながら、味のしないフランス料理を腹に詰め込んでいく。


(イルカ……)


 イルカが消えた以上、残る人狼チームは紅子ただ一人。この先は、イルカの助けなしで村人チーム五人と渡り合っていかなければならないのだ。


 だが今の紅子は、イルカが脱落したショック以上に、ある一つのことが気になっていた。


『あなたもがんばってね。紅子』


 イルカは最後にそう言った。


(あれは……なに……?)


 イルカが紅子のことを名前で呼ぶのは小学校の低学年くらいまでだった。それ以降はずっと「お嬢様」と呼び続けていた。それなのに、この状況でわざわざ名前を呼んだ。


(なにか意味があるの? イルカが最後に残したヒント……なにかの手がかり……? あいつがわたしを『紅子』って呼んでいた子供時代を思い出せ、ってこと?)


 紅子の脳裏に、もう十年以上前の、かすかな記憶が浮かび上がった。



『じゅういち、じゅうに、じゅうさん……』


『べにこー、またキントレやってるの?』


『そうよイルカ、わたしはねーせかいさいきょうになるんだからー。じゅうよん、じゅうご……』


『そんなのより、おうた歌ってあそぼうよー』



 炎城寺邸の庭先で、イルカと交わした他愛ない会話。


 だが、こんな思い出が人狼ゲームとどう関係あるのか、まるで見当もつかない。


(もしダイイングメッセージ……暗号なら、わたしに解けるレベルのものにしてくれないと困るわよ……イルカ……)




◆――――◆――――◆




 10月5日。午後10時。


 長かった人狼ゲームの一日目が、ようやく終わろうとしていた。


「………………」


 海原そよぎは、中庭のベンチで月を見上げていた。


 今夜の月は真円に近い十三夜。澄んだ空気のなか曇りなく輝いている。


「……イルカさんは倒した。あとはお姉ちゃんだけ。……今の状況は『人狼』チームが一人、『村人』チームが五人。こっちは『騎士』も残ってる」


 それがそよぎの現状認識である。そして、その認識は正しい。


 初日の夜の襲撃を防ぎ、処刑投票できっちり『人狼』である千堂イルカを殺したここまでの推移は、パーフェクトゲームとすら言えるだろう。


 現状、盤面は『村人』チームが圧倒的に有利である。


 だが。


「なんで……?」


 ここに来て、そよぎは迷っていた。


「あのポリグラフ――嘘発見器の結果だけが、どうしても分からない……。『人狼』は紅子お姉ちゃんとイルカさんだったはずなのに……」


 そう確信していたからこそ、そよぎはポリグラフによるテストを行ったのだ。だが、その結果反応したのはイルカと美雷のグラス。紅子のグラスは全く反応を示さなかった。


「どういうこと……? なにが起こったの?」


 これが誰にも反応しなかったとか、イルカにだけ、あるいは紅子にだけ反応したとかであれば、まだ誤差という事で納得できた。


 だが、イルカと美雷・・・・・・に反応したという事が、どう考えても説明がつかないのだ。


「まさか……実は、『人狼』はイルカさんと美雷さんだった……? そんな、でも……あるの? その可能性も……?」


「おい」


「わっ」


 不意に声をかけられた。


「なにをごちゃごちゃほざいている」


 いつの間にか、王我が立っていた。


「王我さん……?」


 土橋王我が、そよぎに話しかけてきたのは初めてかもしれない。


「フン。調子に乗って場を仕切っておいて、結局そのザマか。情けない」


 相変わらず、容赦のない言葉だった。だが間違ってはいない。


「ごめんなさい……」


 そよぎはうなだれ謝罪する。


「それだ」


「えっ」


五輪一族オレたちの世界に『ごめんなさい』なんて言葉はない。もしこれが紅子や他の連中なら、間違いなくオレの言葉に激高して殴りかかってきただろう。そんなだから、貴様は一族として認められんのだ」


 無茶苦茶な言い草だ。


 だが王我の口調は、これまでの攻撃的なものとどこか違っていた。


「貴様に欠けているものは何か分かるか」


「……力、ですか」


 王我の問いに、そよぎはおずおすと答える。


 素手で熊を殺せることが五輪一族の条件ならば、自分には一生無理だ。


 だが、王我はそれを否定した。


「自信だ」


 そのまま、王我は身をひるがえし屋敷の中へ戻っていった。




◆――――◆――――◆




 空峰天馬は、バルコニーに出て夜風に当たっていた。


 昨夜、この場所で語り合ったイルカはもういない。天馬自身が主導して吊るし上げたからだ。


「………………」


 そのことに微塵も後悔はないが、寂しい気持ちもまるでないと言えば嘘になる。二人が次に会う時は、もう今までの関係ではなくなっているかもしれないのだから。


 ふと、人の気配を感じて天馬は振り返った。


「お兄様」


 背後にいたのは妹――――空峰紫凰だった。


「なんだ、紫凰か」


「悪うございましたわね。あのメイドじゃなくて」


「別にそんなこと言ってないだろ。で、何の用だ」


「わたくし、もう訳わかんないんですけど。一体、誰が『人狼』なのですか? あのイルカってメイドは本当に『人狼』だったのですか?」


 紫凰は、あの迷走しまくった処刑投票を思い返すように首を傾げた。


「さあな。ってか、そんなことを俺に聞いてどうするんだ。俺が『人狼』かもしれないのに」


「えええっ!? そうなのですか!」


「かもしれない、って言っただけだろうが。そもそも、俺にとってはお前が『人狼』かもしれないって疑いも当然あるんだからな」


 と言ったものの、天馬はその可能性はほぼないと思っている。紫凰が『人狼』なら、一目でわかるほど態度に出ているはずだ。


「わたくしは『村人』ですわよ! 信じてください!」


「分かった、分かった。……まあ、とりあえずは朝まで待つしかないだろ。今夜、誰が襲撃されるかでまた展開は変わる。ま、もしかしたら『騎士』がまたガードを決めるかもしれないな」


「『騎士』は誰なのですか? お兄様ならもう分かっているのでは?」


「さあな。さっき言ったようにお前が『人狼』って可能性もあるんだ。分かっていたとしても教えるわけにはいかない」


「おに……」


「紫凰。人に聞いてばかりじゃなく少しは自分でも考えろ。お前は空峰家の次期当主なんだぞ」


「……冷たいですわね。あのメイドとは喜んでおしゃべりしてたくせに」


「別に喜んでない」


「あんなにイチャイチャしておいて、いざ投票始まれば吊るし上げて処刑するなんてドン引きでしたわよ」


「そういうゲームだろ。っていうか、別にイチャイチャしてない」


 紫凰相手には言葉を濁した天馬だったが、実際にはほぼ確信していた。


(『人狼』は紅子と千堂でまず間違いない……。美雷のポリグラフの結果はよく分からないが、イレギュラーだと思ったほうがいいだろう……)


 そよぎと違い、天馬はポリグラフの結果にこだわらなかった。


(そして『騎士』。これも目星はついている……)


 この時点で、天馬はプレイヤー全員の正体を看破していた。


 一方、紫凰は。


「あーーもうっ! 何が何だか全然分かんねーですわ……!」


 そう言って頭をかきむしるのだった。




◆――――◆――――◆




「ちっ……一体何なのよ……!」


 天津風美雷は、ベッドに寝転がりながら一人毒づいた。


 これまで上手い具合に傍観者の立ち位置をキープできていたのに、あの噓発見器だか何だかいう実験で、いきなり『人狼』候補として疑われる羽目になってしまった。


 もちろん美雷は『人狼』ではない。すなわち、あの実験は的外れだったわけだ。


「やっぱ、そよぎなんか当てにならないわよ。ったく」


 学校のお勉強は出来るらしいが所詮ガキだ。今日一日、そよぎのやったことは単に場を混乱させただけではないか。


「五輪一族の仲間入りがしたいばっかりに張り切って自己アピールして、その結果勇み足ってか。あーあ、そんなに気違いの血統が欲しいなら、あたしと変わってよ、マジで」


 美雷にとって、そよぎが養子であること、そのせいで疎まれていることなど何の興味もない。 そよぎを排他しようとは思わないが、可哀そうな立場に同情する気もない。とにかく、そういう面倒なゴタゴタには関わりたくないのだ。


「ってか、そよぎと紅子が『人狼』って可能性もありそうよねー……。見かけは対立してるようにアピールしといて、なんだかんだで紅子が処刑されるとこまではいかないように調節して……実際ちゃっかり二人とも生き残ってるんだし……。だとしたら……明日処刑するべきなのは紅子? それとも、そよぎか……」


 美雷は、そよぎへの不信感を膨らませていた。




◆――――◆――――◆




「……大勢は決したな」


 土橋王我は勝利を確信していた。


『人狼』は紅子と千堂イルカで99パーセント間違いない。


 その片割れのイルカが脱落。明日の処刑投票で紅子を吊るせば、三日目を待たずして決着だ。

ポリグラフの結果は紫凰や美雷、そよぎにも混乱をもたらしているようだが、さほど問題ではない。


 明日、朝一番であの事・・・を全員に通知する。そうすれば紅子殺しの票を集めることは容易だろう。


「残る問題は、今夜の襲撃か……」


 今夜、自分が殺されてしまえば脱落だ。そうなれば、たとえ最終的に『村人』チームが勝利したところで意味はない。


 ただ、こればかりは自分ではどうにもならない。己の強運と紅子の頭の悪さを信じて祈るしかないだろう。


「チーム戦といえど、途中退場した奴と生き残った奴では周囲の評価はまるで違う。オレのおかげで勝てたのに、他の連中がチヤホヤされるなど許せんからな」


 五輪一族の中でも、傲慢さはトップクラスの王我である。


 彼の興味は既に、チームの勝利ではなく自分の勝利へと移っていた。




◆――――◆――――◆




「うーん。想像以上に酷いですねぇ……」


 イルカは、天井の隅に張った蜘蛛の巣を眺めながらぼやいた。


 ゲームを脱落して移送されてきた別館は、かなり老朽化していた。


 この建物は、かつて五輪グループでも特に体育会系の企業が合宿に使っていたとのことだ。元々貧相な設備の上に十年以上も手入れされてなかったという事で、もはや廃墟に近い。


「ひいい……すきま風が寒い……敗北者というのは惨めなものですね」


 イルカを連れてきた本家の使用人は、すぐ本館へと戻ってしまった。


 今後は朝晩にわずかな食料が届けられるのみ。ゲームの決着がつく明日か明後日まで、この別館の敷地から出ることは禁止とのことだった。


 もちろんゲーム中のプレイヤーへの連絡は禁止ということで、スマホまで取り上げられてしまった。


「ゲームの演出とはいえちょっとひどすぎませんかね。もはや人権侵害ですよ、これ……」


 こうなってしまっては、もはやイルカに出来ることはない。


 あとはただ、紅子の勝利を祈るのみである。


「お嬢様、頑張ってくださいよー。わたしのクルーザーのためにー」


 現状、イルカ同様に紅子もかなり疑われてしまっている。


 だがポリグラフが美雷に反応したことが、多少なりとも隠れ蓑になっているはずだ。


「それにしても……なんであのポリグラフは、お嬢様でなく美雷様に反応したんでしょうね……?」


 それはイルカにとっても謎であった。

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