第20話 人狼ゲーム⑳「嘘発見器―ポリグラフ―」

 紅子のみならず場の全員が、そよぎを同じ目で見ていた。


 人狼ゲームに嘘発見器を持ち出した海原そよぎは、はたして正気なのだろうか……と。


「PH測定は学校の理科の実験でやったことあるよね、みんな」


 そんな視線も意に介さず、そよぎは説明を続けた。


「あいにくわたし中卒なのよね」


 紅子は肩をすくめて答えた。


「小学校でやるんだよ」


「その馬鹿は無視していいから、続けて」


 美雷が先を促した。


「人間は、嘘をついた時に決まった反応が現れるものなの。心拍数が上がる、血圧が上がる、汗をかく……まあ、正確には嘘をついたときの体の緊張がそういう生理現象を引き起こすんだけど。その反応を検出して嘘をついてるかどうか調べる機械が嘘発見器――ポリグラフなんだ」


「ええ、知ってますわ」


 本当は絶対知らなかったくせに、紫凰が頷く。


「ポリグラフの中には、ものすごく高度な機械で体のあらゆる生理現象を複合的に調べるものもあるんだけど、今回用意したのは単純に発汗――汗の量を検出する仕組みになってるの」


 そよぎがグラスの縁に手をあてた。


「人間の汗はPH5から6くらいの弱酸性。嘘をついて体が緊張・動揺している人間が汗をかけば、グラスに塗られたPH測定液が反応して赤く変色するっていう仕組みなの。……ほら、そんなふうにね」


 そよぎがイルカの手元を指さした。


「え!?」


 全員が目を見張る。


 数分前は確かに透明だったイルカのグラスは、薄紅色に染まっていた。


「こ……こ、こんな、汗なんて誰でもかくでしょう……! 何の証拠にもなりませんよ……!」


 イルカは慌てて主張する。


「うん。たしかにそうだね。イルカさんのグラスだけを見て、この人は嘘つきだなんて断言はできない。だから、比較のために全員にグラスを配ったんだよ」


「なるほど。全員の反応を見れば相対的に疑いが濃い、薄いを判別できるわけか」


「そう。そのために、皆には一人ずつ検証に付き合ってもらいたいんだけど、いいかな?」


 ここまで来て、嫌だなどと言い出すものがいるはずない。


 紅子は死ぬほど嫌だったが、それを言えばもう自分が『人狼』だと認めるのと同じだ。


 そよぎは皆の反応を確かめると、おもむろに立ち上がり、左隣に座っている天馬へ顔を向けた。


「じゃあ、まず天馬さん。グラスを手に持ってわたしの質問に答えてください」


「分かった」


 天馬が自分のグラスを掴み、目線の高さまで持ち上げた。


「……あなたは『人狼』ですか?」


 実にストレートな質問だった。


「いや、違う」


 天馬は真実を答えた。


 そよぎはじっと天馬の持つグラスを見つめる。


 そのグラスに付着した水滴の色は、透明のまま変わらなかった。


「もういいか?」


 天馬の言葉に、そよぎはこくりと頷いた。


 天馬はグラスを置いた。


 そよぎは天馬の隣に座っていた紫凰に目を向ける。


「じゃあ次は紫凰さん」


「え、ええ」


 紫凰も兄と同じようにグラスを手に取った。


「あなたは『人狼』ですか?」


「ち……違いますわよ……」


 緊張気味に答えた紫凰のグラスに、うっすらと赤みがかかった。


「おい。色が変わったぞ」


「ちょ!? 違いますわよ! わたくしは嘘なんてついてませんわ!」


(チャンスだわ! ここで紫凰が『人狼』だって喚きたてて、吊るし上げてやれば――――)


 そう考え、紅子は口を開きかけたのだが。


「落ち着いて。嘘つきじゃなくても、こんな雰囲気だと誰でも少しくらい緊張するよ。大切なのは、その変色の度合いだから」


 そよぎがあっさりとフォローした。


「そ、そうですわよね! わたくしは『村人』ですもの、潔白ですわ!」


(くそ、なんで紫凰は許されるのよ。ひいきだわひいき!)


 内心でぶつぶつ文句を垂れる紅子だが、もちろん口には出せない。


「次に行きます。……王我さん」


 そよぎが、紫凰の隣の王我に向き直った。


 王我は仏頂面を晒しながらも、何も言わずグラスを手に取った。


「あなたは『人狼』ですか?」


「違う」


 変化なし。


「それじゃあ、次」


 王我の隣に座るのは、イルカである。


 イルカは、ゆっくりと手を伸ばして目の前のグラスを手に取った。


 その表情は、心なしか緊張気味に見える。


(……大丈夫よね、イルカ)


 そよぎが噓発見器なんて言い出した時は驚いたが、よくよく考えてみれば所詮は汗を測るだけの仕掛けだ。


 汗さえかかなければ問題はないのだ。


 イルカは、緊張だの動揺だの、そんなもの1ミリも感じずに嘘がつける女だ。この程度で尻尾を掴ませる筈がない。


 そう信じながらも、紅子の不安は消えなかった。


「イルカさん、あなたは『人狼』ですか?」


「違います!」


 そう答えたイルカのグラスは。


 見る見るうちに、赤く変色していった。その度合いは紫凰の比ではない。


「な……ななな……なっ……」


 紅子以外の全員の目が、イルカに集中した。


「変わったね」


「明らかに紫凰より濃い赤色だ」


「あー、これはどう見ても……」


「ま、待ってくださいよ! こんなもので『人狼』扱いするなんておかしいでしょう! 嘘発見器で認定されたから有罪、なんてどこの国の裁判でもやってませんよ!」


 イルカは慌てて主張する。


 だが、それを言うならこの試験を行う前でなくては意味がない。自分に不利な判定が出てからルールに文句を付けても、説得力などないのだから。


「さっきオレが言っただろうが。人狼ゲームは現実の公式裁判とは違う。疑わしきを罰する・・・・・・・・、魔女裁判だ」


「で、でも……!」


「千堂、今は静かにしてろ。まだ全員終わってないんだぞ」


 天馬の言う通りだ。まだ全員の検証は終わっていない。


 イルカの隣に座っているのは、紅子だった。


「次は紅子お姉ちゃん。いいね?」


「……ええ」


 紅子は、覚悟を決めてグラスを持ち上げた。


 こめかみに一筋、冷や汗が流れるのを感じる。


「紅子お姉ちゃん、あなたは『人狼』ですか?」


 そよぎは、ゆっくりと紅子の目を見て言った。


「違うわよ」


 紅子も、そよぎの目を真正面から見つめ返す。


「………………」


 三秒……五秒……十秒。


 グラスの色は、変化しなかった。


「え……?」


 そよぎの口から、らしくもなく間の抜けた声が漏れた。


「変わらない、ですわね」


「そうだな」


 弛緩した、拍子抜けしたような空気が場に流れる。


「……え……あれ……」


「どうしたの、そよぎ。グラスの色が変わらないなら、わたしは『村人』なんでしょ」


「あ……いや……別に『村人』確定ってわけじゃないんだけど……」


「次に行きなさいよ」


「う、うん」


 紅子にうながされ、そよぎは右隣りに座っている美雷へ顔を向けた。


「えっと、じゃあ美雷さん。あなたは……」


 言いかけて、そよぎは絶句した。


 美雷の目の前のグラスが、真っ赤に変色していたからだ。


「ちょっと美雷、あなたのグラス……なんですのそれ……!?」


 その色は、紫凰はおろか、イルカのグラスと比較しても濃い。


「え、な、なにこれ!? 知らない! 知らないわよ、あたし『村人』だもん……!」


 美雷は慌てて首を振っている。


 予想外な現象を前に、そよぎも美雷も、他の皆も困惑していた。


「ねえ、そよぎ」


 紅子はそよぎに向かって言った。


「まだ最後に一人、そよぎ自身が残ってるわよ。当然あんたもやるのよね?」


「あ、うん……」


 そよぎは自分のグラスを手に取った。


「わたしが聞くわ。そよぎ、あんたは『人狼』なの?」


「違うよ」


 グラスの色は変わらなかった。


「変化なし、か。まー、このグラスはあんた自身が用意したものだもんね。自爆するような仕掛けを作るわけ無いか」


「なに言ってるの。わたしは公正のために、お姉ちゃんたちがグラスを選んだあとで最後の一個を取ったんだよ?」


 それは確かにその通りだ。


「…………ま、いいか。とりあえずこの嘘発見器の試験の結果、処刑するのは美雷に決定ってことね」


「おぉぉおい!? なに勝手なこと言ってんのよ紅子!」


 美雷は当然、猛反発する。


「候補としては、美雷さんとイルカさんだよ」


 そよぎが渋い顔で訂正した。


 そよぎが本当はイルカを殺したがっているのは明らかだ。だが嘘発見器の結果を公平に見れば、そう言うしかないのだろう。


「わたしには、美雷のグラスのほうがイルカより色が濃いように見えるけどね」


「はああああ! アンタ目腐ってんの!? その眼球くり抜いてやろうか!?」


 美雷は激昂するが、紅子の言葉は決して嘘ではない。


 微妙な差ではあるものの、比較すれば美雷の方が変色度合いが大きいのは明らかであった。


「確かにな。美雷の方が濃い色だ」


「そうですわね」


 他の者たちも同意見を示す。


「けど、これは……」


 異議を唱えようとしたそよぎを、天馬が制した。


「まあ待て」


 仮に――――そよぎが美雷をかばい、イルカを殺すべきだと強硬に主張していれば、彼女の立場は悪くなっていただろう。自分で噓発見器を提案しておいて、不都合な結果が出た途端に手のひら返しでは反感を買うに決まっている。


 そうなる前にそよぎを止めた天馬の判断は冴えていた。


 紅子とイルカにとっては、はなはだ厄介なことではあるが。


「確かに嘘発見器の結果では、美雷が一番、千堂が二番、大きく離れてその他ってところだな。しかし、当たり前だがそもそも発汗量ってのは個人差がある。体質や習慣、その他の影響を大きく受ける」


 天馬は噓発見器の精度についての疑問を提唱した。発案者のそよぎや、不利な結果の出たイルカと違い、直接的な損得のない立場の天馬が言うのは説得力がある。


「そこでだ。美雷、お前もしかして、ここに来る前にスマホでゲームやってたんじゃないか? FPSとかを長時間すると手が汗でびっしょりになるだろ?」


「ゲーム……そ、そうよ! うん、やってたやってた!」


 天馬の言葉に、美雷は即座に飛びついた。


 もちろん、それが本当か嘘かは本人以外には分からない。


「逆に千堂。お前は、さっきまで俺と一緒にバルコニーにいたよな? 乾燥した屋外にいたから手も乾燥していたはずだ」


「…………う……」


 イルカは否定しない。出来ないのだ。


(天馬……こいつ……!)


 事ここに至り、紅子も気付く。


 イルカを一番殺したがっているのは、そよぎではない。


 この男――――空峰天馬なのだ。

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