第33話 大炎上⑰

「お疲れさまでした、お嬢様」


 イルカは路上のポルシェの前に立って、紅子を待っていた。


「ネットの方、どうなってる?」


「それはもう、とんでもないことに。生放送の視聴者が百万人を超えて、コメント欄は怒声と罵声と嬌声の嵐で……SNSや掲示板にも速攻で拡散されてます。これからまたしばらく、ネット界全域で炎上でしょうね」


「あいつはどうなると思う?」


「奴が語っただけでも放火、家宅侵入、器物破損、営業妨害の常連。スーパーの食品に毒物混入したとかも言ってましたし、間違いなく警察が動きますよ。そうなれば、犯行の決定的な証拠も見つかるでしょう」


「逮捕されて刑務所に行くわけね」


「そうですね、懲役十年は確実にくらいますよ。それにプラスして、民事訴訟で億単位の損害賠償を請求されるでしょう。奴の名前と汚点はネットに永久に残りますから、この先まともな職にもつけません。……よーするに、社会的に死んだも同然ってことです」


「あのゴミが破滅したのはいいけど、残った信者どもが春奈さんに迷惑かけたりしないかしら?」


「まさか。教祖がああなった以上、もはや信者はとばっちりを避けて逃げるだけですよ。今頃、震えながらジャスティス仮面に加担していた痕跡を削除してますよ」


「そう。なら良かった」


「でもね、お嬢様も結構やばいですよ。マスコミへの暴行の件もありますし、今回は窓ガラスぶち破って奴の部屋に押し入って、自白を強要したんですからね。それなりに情状酌量の余地はあるでしょうが、ばれたら補導されちゃいますよ」


「警察に説教されるくらい、黙って聞いてやるわよ」


「本当に黙って聞いてられますか? 腹たっても殴っちゃ駄目ですよ」


「そんなことしないわよ。……多分」


 イルカのスマホが鳴った。さつきからの着信だった。


「はい、九条さん。ええ、動画は見てたんですね。……はい、万事すみました。お嬢様がやってくれました。……これでもう、明日から心配なく暮らせますよ。それでは、今から戻ります」


「あ、待って」


 通話を切ろうとしたイルカを、紅子は止めた。


「しばらくドライブしてから帰るって伝えて」


「ドライブ……ですか?」


「免許とったら、ドライブに連れてってあげるって約束してたでしょ、イルカ」



 

 三十分ほど首都高を気ままに流し、海の見えるサービスエリアに車を止めた。


 紅子とイルカは、並んで夜の東京湾を眺めていた。


 花火大会はとっくに終了し、車も人も、まばらな深夜だった。


「んー、夜風が気持ちいいわね」


 紅子は、ため込んだ疲れとストレスを振り払うように、大きく伸びをした。


 さすがの紅子も、ここ数日の騒動で精神がかなり削られていたのだ。


 それもようやく肩の荷が下りた。


 ……イルカのおかげだった。


「…………」


 イルカは先ほどから、黙ってちらちらと紅子の様子をうかがっている。


 彼女が何を考えているのか、何を言いたいのかは、紅子にもわかっていた。


「……あの、お嬢様」


 意を決したように、イルカが口を開いた。


「んー?」


「ところで、ですね……」


 さすがのイルカも、言い難そうだった。


 もぞもぞと手のひらをこすり合わせて、曖昧な笑いを浮かべている。


「なによ」


「あのこと……お嬢様のブログの件は、もう許してもらえたのかな〜、と……」


「…………」


 それは、確かに怒っていたはずだった。


 この二か月、紅子は「イルカの奴ぶっ殺してやる」と何度も喚いてきた。


 だが実際に今日、イルカと再会して紅子が気付いたのは…………自分は結局、ブログを荒らされたことよりも、バカにされたことよりも……イルカがいなくなったことに怒っていたのだ、ということだった。


 あの日、イルカが去り際に残した言葉。


 ――あなたも、ちょっとはわたしと同じ思いを味わえばいいんですよ――


 その意味がわかったような気がする。


「あの……」


「イルカ」


「は、はい!」


「そういえばさ、まだあんたに言ってないことがあったわ」


「え……」


 紅子はイルカと向かい合った。


 二ヶ月ぶりに、紅く鋭い切れ長の目が、黒く丸い大きな瞳と出会う。


 自然と、笑みがこぼれた。


「おかえり、イルカ」


 それが紅子の答えだった。






 同じ頃。


 炎城寺邸では、深夜の来客を迎えていた。


「……ということです。なんとか、今回の騒ぎは鎮静いたしました」


 重蔵は、来客の青年に騒動の経緯を説明していた。


「そうですか。この自供動画は、やはり紅子が仕掛けたものなんですね」


 青年は、スマホに流れるジャスティス仮面――否、田沼原ひとしの動画を停止して、ポケットにしまった。


「このたびは、本家、分家ふくめ五輪一族の皆様全員に、大変なご心配をおかけいたしました」


 重蔵はかしこまって深々と頭を下げた。


 粗相があってはならない。


 目の前の若者は、日本最大の財閥グループを牛耳る『五輪一族』において、最高クラスのVIPなのだから。


「いや、こちらこそ夜分遅くに押しかけてしまってすみません。あまりに情報が錯綜して訳がわからないから、もう直接行って聞いてこい……と、父に命じられましてね」


「お父様にも、申し訳ありませんでしたとお伝え下さい。……天馬様」


「承りました」


 来客の青年――――空峰天馬が答えた。


「それで、紅子は今どこに?」


「はあ。それが……ドライブしてから帰る、と連絡がありまして。お気に入りのメイドが、久しぶりに帰って来たのが嬉しいようです」


「ははは。紅子に気に入られるとは、その娘も大変だな」


「戻るまでお待ちになりますか?」


「いやいや、どうせ会っても喧嘩になるだけですから。俺たち、いとこは昔から仲が悪いんです。たまに親戚の集まりで顔を合わせても、いがみ合ってばかりでしてね」


「そうでしたな。五輪一族で、紅子様が仲良くしているのはそよぎ様だけでした」


 だから、紅子はめったに親戚について話さない。


 天馬のことを知っているのは、炎城寺家の使用人でも重蔵とさつきだけだった。


「まあ、それにしても騒動が早めに収まってよかった。今、本家の方で大きな動きがあるようですからね」


「と言いますと?」


「五輪一族の後継者を決める時期が来た、と」


「とうとう、ですか……。やはり、紅子様や天馬様が候補者になるのですか?」


「ええ。本家は、俺たちの世代から五輪グループの次期総帥を選ぶつもりです。ま、俺に家督を継ぐ気はないので、空峰家の代表は妹の紫凰になると思いますがね」


 天馬のスマホが着信音を鳴らした。


「『早く戻ってきて状況を説明しろ』……か、やれやれ。親父がうるさいので、これで失礼しますよ」


「かしこまりました。お気をつけて」


 重蔵は玄関まで付き従い、天馬を見送る。


 天馬は最後に言い残した。


「多分、紅子とは近いうちに会うことになるでしょう。他のいとこも交えて……。ふっ、俺たち六人が全員集まるのは、何年ぶりかな……」


 紅子や天馬ら、五輪一族の黄金世代の集結。


 それは取りも直さず、新たな嵐の到来を告げていた。

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