第6話 小説家になる方法②
「はい、どうぞ。特製コーヒーですよ」
「ああ。ありがとう」
イルカの差し出したマグカップを青年が受け取る。
そのままブラックで一口飲んで、顔をしかめた。
「これ、インスタントじゃないか……」
「店の豆を勝手に使うわけにはいかないので。我慢してください」
結局、ひったくり犯を捕まえたお礼にコーヒーをおごるということになり、イルカは青年と「アサミ」に戻ってきていた。ちなみに、ひったくり犯は無事に生きていた。おそらく二度とバイクに乗れないほどのトラウマを負っただろうが。
「わたし、千堂イルカといいます。貴方は?」
「
「天馬くんですか。それにしても強いんですねえ、天馬くん。なんか格闘技とかやってるんですか?」
「家の方針で、子供の頃に空手とか柔道とかやらされてたんだ。今はやってないけど」
「今は小説家なんですか。なんか書籍化とか、連載がどうとか話してましたもんね」
「聞いてたのか……」
天馬は苦いコーヒーを飲みながら、さらに苦々しげに顔をゆがませた。
「まだ駆け出しだが、英秋社の雑誌にちょっとした連載とかコラムとか書かせてもらってる……というか、いたんだが……」
「打ち切りになったんですよね」
「そこまで聞いてたのかよ。ま、そういうことだ」
「よっぽどつまらないんですね、天馬くんの小説って」
「馬鹿言え、滅茶苦茶面白いっての。実際、人気もあったんだ」
「だったら打ち切られるはずないでしょうが」
「あれは明らかに政治だ」
「政治?」
「偉いさんからのコネやら圧力で、俺の連載枠を奪って他の作家をねじ込もうとしてるんだ」
「……天馬くん、現実は受け入れなきゃ駄目ですよ。そんな被害妄想で自分を慰めていたって前には進めません」
「妄想じゃないっての。昨日までは俺の小説を絶賛してくれて、書籍化にも乗り気だった担当が、今日になっていきなり手のひら返しなんて、どう考えてもおかしいだろ」
「ほーう。じゃあ、その天馬くんの小説っての、読ませてくださいよ」
「ああ、いいぜ。ちょっと待ってろよ……」
天馬がポケットからスマホを取り出し、テキストファイルを表示してイルカに差し出した。
「ふむふむ。それでは拝見……」
『もう二度と日の光が射すことはないだろう。地上全ての人間達をそう絶望させるほどに分厚く、低くたれこめた暗雲が、遠雷と雹を孕んで、生命の気配を微塵も感じさせない風と共に流れてゆく。その光景は、泥沼の戦争に倦み疲れたこの国そのものを象徴しているかのようだった。陰鬱な雲が支配した世界の片隅で、私は』
「すっごくつまらないですね」
イルカはスマホから目を離して、ため息をついた。
「はえーよ! まだ三行と半分しか読んでないだろ! ろくに読みもせずに決めつけるなよ!」
「ろくに読みもせずにつまらないと決めつけるのが悪いことですか? 小説に限らず漫画でもアニメでも、受け手は先入観と偏見で、無責任に面白い・面白くないと決めつけるもんだし、それは別に非難されることでも何でもありませんよ」
「だからって、自分から読ましてくれと言って最初の三行で見限るなよ」
「なに言ってるんです。人は見た目が九割、小説は最初の三行が十割ですよ。ってゆーか、これ百四十字も使って、言ってることは天気の話だけじゃないですか」
「たかが百四十字だろ」
「あのねえ天馬くん。百四十字ってTwiterの字数上限と同じなんですよ? たとえ人気アイドルや大御所ユーチューバーだとしても、字数制限ギリギリ使って『今日は曇りです。雹が降ってます。雷が鳴ってます』なんて延々天気の話するツイートなんか上げてたら、『いいね』なんてろくにもらえませんよ」
「SNSと小説は違うっての」
「違うかどうかは読者が決めることです。今や世間はSNS全盛で活字業界は斜陽、となればSNSの感覚と文化が小説にも持ち込まれることは明白でしょう」
「いや……そう、なのか……?」
イルカの謎理論に押されて、天馬は次第に黙り込んでしまう。
「おっとご無礼。論破しちゃいましたね」
「なにが論破だ。この屁理屈女が」
紅子とは対照的に、イルカはインターネット文化に詳しい。特に、くだらないネットの煽り合い、いわゆるレスバトルが大得意だ。ちなみに、プログラミングやHP作製といった実用的な能力は皆無である。
「ただでさえ小説って読むのにエネルギー使うんですから、もっとサクサク進めてくださいよ。とりあえず最初の三行で異世界に行くか、ヒロインが登場するか、追放されるかしないと」
「それはラノベとかのサブカル小説の話だろ。俺が書いてるのはもっと純文学よりの小説だ。情景や人の心理を細かく描写していくジャンルなんだよ」
「そういうのダルいんですけど」
「嫌なら読むな」
「いえいえ。せっかくですから我慢して……もとい、ありがたく読ませていただきますよ」
イルカは天馬の小説を流し読みしていく。若い恋人達の仲を引き裂く戦争の悲劇、といったストーリーのようだった。
「あ、エッチなシーンがある! この人達セックスしてますよ、セックス!」
「やめろ恥ずかしい。そういう描写も必要なんだよ」
「読者に媚びないと売れませんもんね」
「そういう意味じゃねーよ。主人公と恋人が仲睦まじく愛情を育むシーンがあるからこそ、この後に徴兵された主人公との別れや、望まない相手の元へ嫁ぐことになった恋人の悲哀が増すんだ」
「寝取られの基本文法ですね」
「寝取られ言うな」
その後、イルカは約十万字の小説を十分で飛ばし読みし、天馬にスマホを返した。
「うーん……よく分かりませんが、まあ面白いんじゃないですか。すくなくともエッチシーンはよかったですよ」
「感想それだけかよ」
天馬の小説はかなり堅いジャンルのものだった。小説はラノベしか読まないイルカには荷が重い。
天馬もそれ以上は感想を求めず、話題を変えた。
「なあ、この店ってバイト募集してないかな」
「ここは女性しか雇ってませんよ。……バイト探してるんですか?」
「ああ。連載を切られちまったから、どこかで働かないと今月の家賃も払えない。けど、最近の世情じゃバイトもろくに見つからなくてな」
「あなた自称、実力派小説家なんでしょう。文章書いて稼げばいいじゃないですか」
「自称って言うな。あのな、俺は今日切られたばっかりなんだぞ。今から新作書いて他の出版社に売り込んで、採用されて……なんてやってたら、どれだけかかるんだよ」
「やれやれ、頭固いですね天馬くん。物書きが身を立てる道が出版社への売り込みだけなんて、今時そんな時代遅れな考えとは。現代にはインターネットという便利なものがあるのですよ」
「はあ?」
「この打ち切り小説のデータ、一晩わたしに預からせてくれませんか? わたしが天馬くんのマネージャーとして、仕事をとってきてあげましょう」
「打ち切り言うな。……本当にそんなことできるのか?」
「わたしに任せなさい。財布を取り戻してくれた恩を倍返ししてあげますよ」
「まあ、そこまで言うなら頼むよ。ほら、この中にデータが入ってる」
天馬がポケットからUSBメモリを取り出した。おそらくは今日、担当の編集者に渡すはずだったのだろう。
イルカはメモリを受け取り、にんまりと笑った。
「それでは明日またお会いしましょう。夜九時にこの店に来てもらっていいですか?」
「ああ。ま、あんまり期待はしないけどな」
「いえいえ、存分に期待していてくださいって」
イルカは自信満々に胸をそらした。
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