第2話 紅子とくじらとインターネット②
紅子とそよぎが話し合っている傍ら、みい子は物珍しそうにパソコンのモニタを眺めていた。この少女はスマホは持っているが、パソコンに触れる機会はほとんどどないのだ。
「これがおじょうさまがよく言ってる、レスバトルっていうのですか?」
「そうよ、この『全ての人に生きる権利を』とかいう荒らし野郎が、卑怯なやり方でわたしを攻撃してるでしょ?」
紅子は舌打ちしながらモニタを指差す。『全ての人に生きる権利を』は、紅子の勘違いを契機にここぞとばかりに因縁を付けていた。
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『犯罪者だから死刑にしろ、などという短絡的な考えは非常に浅はかで幼稚で品のないものです。同じ日本人として、とても恥ずかしいですね』
「どうしてこの人がひきょうなんですか?」
「ちゃんとリアルで正々堂々わたしと戦わずに、匿名のネットでコソコソ悪口言ってくるからよ。こんな事するやつは卑怯者に決まってるじゃない」
「え、そうですか? この人いいこと言ってると思いますけど」
「はあ? どこがよ」
「だって、犯罪者でも生きる権利はあるって、いいこと言ってるじゃないですか。みい子も死刑なんてかわいそうなこと反対です」
「みい子! あんたわたしよりこのクズが正しいって言う気なの!?」
「はわわ、そ、そんなことないですけど」
仮に、紅子とみい子にもう少しまともな頭があれば、『全ての人に生きる権利を』の過去のツイートを掘り起こし、この男が実際は死刑賛成派であり、外国人排斥を主張するバリバリのネトウヨであり、一時間前には『死刑大賛成』というハンドルネームを使っており、紅子を叩くためだけに『全ての人に生きる権利を』へ改名し、昨日までの持論とは百八十度異なる主張を掲げているのだ……ということを明らかにしていたはずなのだが、残念ながら二人にはそこまで気付く知能はないのである。
「ねえ、お姉ちゃん」
この中で唯一まともな頭を持つそよぎが、あらたまって切り出した。
「そんなにネットの口喧嘩に勝ちたいなら、イルカさんに戻ってきてもらえばいいじゃない」
途端に、紅子は不機嫌を三倍増しにしてそっぽを向いた。
「…………」
みい子は、しばし紅子とそよぎの様子を見比べ、やがて意を決したようにそよぎに同調した。
「そうですよ、おじょうさま。イルカちゃんのこと、もう許してあげましょう」
しかし、紅子は頑なに二人の提案をはねつける。
「いやよ。なんでわたしがあんな裏切り者に頭下げなきゃいけないのよ。悪いのはあいつのほうよ」
イルカ、というのはもちろん水族館の人気者の、あのイルカのことではない。炎城寺邸の使用人であり、現在休職中――否、紅子の怒りをかって現在逃亡中のメイド、
紅子が最も信頼を寄せていた腹心の侍女であり、親友でもあったイルカ。彼女が密かに紅子のブログを荒らし、「妄想と現実の区別がつかなくなったんだねw」「バカじゃねーの」などと書き込んでいたことが発覚したのが、七月初頭のことである。激怒した紅子に対して、イルカは謝罪するどころか開き直って逃亡、一ヶ月たった今でも帰ってこない――という、実にバカバカしい状況であった。
紅子の奇行を制御できる人間は、この世に九条さつきと千堂イルカの二人しかいない。そういう意味で、イルカは炎城寺邸において極めて貴重な人材である。 そのため、みい子含む炎城寺家の使用人達は、これまで幾度かイルカを許すようにとりなしているのだが、紅子は頑として受け入れなかった。
「ふん、イルカなんていなくても、こんなアンチ共なんか、わたし一人で煽って悔しがらせてやるわ。炎城寺紅子はレスバトルでも最強だって証明してあげるわよ」
「わあ!おじょうさまかっこいいです!」
みい子はなにも考えず、勢いのままに紅子をはやしたてる。
「だから、レスバトルなんて止めてよ。お姉ちゃん」
そよぎはあくまでも平和主義者である。
「でも、どうやってあおるんですか?」
みい子が紅子の戦略を尋ねた。
「ふ、この『全ての人に生きる権利を』とかいうクズのアイコン見てみなさいよ。なんか猫の耳したアニメキャラの絵を使ってるでしょ?」
「そうですね。かわいいです」
「こういうのは萌えアニメって言って、気持ち悪いブサイクな根暗が見るものなの。ってことは、このアイコンを使ってるこいつは自分で『僕は気持ち悪いブサイクです』って白状してるようなもんなのよ」
「うーん、そうなんでしょうか?」
「そうに決まってるでしょ。みい子、これくらいレスバトルでは基本中の基本よ。それじゃあネットの戦場を生きてくことなんて出来ないわよ。ネットってのは誹謗のミサイルや中傷の爆弾で殺し合う、地獄の修羅場なんだからね」
「ふわああ……怖いんですね……」
紅子の言うことはまんざら嘘ではない。当の紅子のSNSは、まさにその地獄と化しているのだから。
「さて、それを踏まえてこいつを煽ってやるわよ。くらえ!」
紅子は意気揚々とツイートを打ち込み送信した。
炎上寺紅子@Red_Faire
『萌えアニメのアイコン使ってる気持ち悪いオタクが偉そうにしてんじゃねーよブサイク!』
「わあ!? だめですよおじょうさま! こんなひどいこと言ったら!」
「ひどいのはわたしを馬鹿にしてくるこいつの方よ。わたしはただやり返しただけだもん」
「だから、やり返すのをやめようよお姉ちゃん……」
「ふん、いいのよこんな奴。さあ大泣きして逃げ出すがいいわ」
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『“虹色ビスケット”を萌えアニメとか……はあ……。徹底的な世界観の作り込みと深いストーリーが織りなす本物の質アニメなんだけどなあ……w まあ君にはこのレベルの文学は理解(わか)らないかなw』
「はあ!? なに言ってんのよこいつ!」
「どうしたんですか、おじょうさま? このひとあんまり悔しがってなさそうですけど」
「そ、そんなはずないわ! ってゆーか、なにが本物だよ! たかがアニメに本物も偽物もあるか!」
砂くじら@uodnes_akuri
『“虹色ビスケット”は私も大好きです。まあ、あの作品はある程度の玄人じゃないと理解(わか)らないですからねw』
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『ですよねw』
「うげ! 横から割り込んで来た奴が加勢しやがった!」
「あの……おじょうさま、もしかして負けちゃったんですか?」
「負けるはずないでしょ! わたしが勝ってるのにこいつが負けを認めないだけよ! なにが『理解(わか)らない』だボケ! わざわざカッコつかって無駄な当て字使うな!」
とはいえ紅子には、これ以上どう頭を捻っても相手を言い負かす方法は思いつかない。
「ぐぐぐ……こんちくしょうがあ……」
だが、紅子が頭を抱えているうちに、リプライ合戦は奇妙な方向へ転がり始めた。
砂くじら@uodnes_akuri
『私は“虹色ビスケット”の二期が好きです。とても面白いですよね」
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『お前頭腐ってんのか!? あんな一期を冒涜した駄作のゴミのどこが面白いんだよ!!! ニワカは死ねや!!!」
これまで余裕の態度で紅子を煽っていた『全ての人に生きる権利を』が、突如猛烈に怒り出した。
砂くじら@uodnes_akuri
『どうして怒ってるんですか? 二期は一期より作画も良くなって、新しい主人公も可愛くてストーリーも面白いじゃないですか。あ、そういえば二期は監督が変わったんでしたっけ』
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『sうやって二をもちあげrて神アニメdったとっきをべつをなくそうとするな!おまえみたいんwなゴミのせいでかすあにめがkんとくの一期がるんだろうあ!!!死ね死ねいsしねしねしね!!!ごmおんあnす!!!』
「え、なにこいつ? なんでいきなりキレてるのよ?」
「『砂くじら』さんは『全ての人に生きる権利を』さんのお気に入りのアニメが面白いって言ってるのに、どうしてなんでしょうね」
紅子とみい子は面食らう。
「きっと日本語もまともに理解できないバカなのね。いままで偉そうにしてたけど、化けの皮がはがれたんだわ。いい気味よ」
結局、それきり『すべての人に生きる権利を』からのリプライは途絶えた。
「なにも言って来なくなりましたね」
「そうね…………ん? ってことは、このバトルわたしの勝ちじゃない! やったあ!」
「え、どうしてですか?」
「あいつはわたしに論破されて、顔真っ赤になって発狂して逃げたでしょ? だからわたしの勝ちなのよ」
「そうですか……? おじょうさまはちっとも『ろんぱ』できていなかった気がしますけど…………」
「あああ!? みい子、あんたわたしの完璧な勝利にケチつける気なの!?」
「ふええ! そ、そんなことないです!」
紅子に睨まれ、みい子は慌てて首を振った。
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