第17話 宿命の対決・紅子VSイルカ⑥
「ちょっとイルカ!」
戦いのゴングは、紅子のその一声だった。
ついさきほど、しおらしく「ありがとうイルカ」などと言っていた態度はどこへやら、紅子はまた不機嫌な表情でイルカの部屋にやって来た。
「どうしたんです、お嬢様」
「……あんたがさっき言ったアク禁の仕方をさ、友達が試したらしいのよ。友達がね」
「はあ」
「そしたら、なんか自分もブログを見れなくなったんだけど! どういうことよ!?」
「ええっ?」
「おかしいでしょ!」
不可解な話だった。
パソコン初心者が「これはおかしい」などと世迷い言を口にする時は、百パーセント「おかしいのはお前だよ」となるのだが、今回の紅子の主張は、イルカにとっても奇妙な話であった。
「荒らしをアク禁にしたから仕返しされたのかしら?」
「仕返しも何も……ブログ主自身が自分のブログをアク禁になるなんて、第三者に出来るはずがありませんよ」
「わたしはわたしのファンサイトをアク禁にされたわよ」
「それとはまったく関係ないです」
「じゃあなんで、わたしのブログが見れなくなってんのよ!!! どういうことよ!!!」
もはや「友達の話」という設定を忘れて、紅子は喚く。
「お嬢様、ちょっと落ち着いてください。とりあえずドアを閉めてくださいよ。開けたままであまり騒ぐと――」
あまり騒ぐと怒られますよ、とイルカが言いかけたその時。
「なにを騒いでいるのです!」
さつきが現れた。
「さ、さつき……」
怒れるメイド長の登場に、紅子もイルカも揃ってたじろいだ。
それもそのはず、さつきの右手には、生身の包丁が握られていたのだから。
「紅子様。貴方の叫び声は屋敷中、どころか屋敷の外まで響いています。……私はいま、旦那様の大切なクライアントと電話中だったのです。そこに、貴女の下品な喚き声が割って入ってきたんですよ。先方にも、その声をばっちり聞かれてしまいました……顔から火が出る思いでしたよ……」
さつきは包丁を見せつけて恨めし気に凄む。
そんなものを見せられたら、さすがの紅子も謝るしかない。
「ご、ごめん……」
「だいたい、近頃の貴女の態度は目に余ります。毎日毎日怒鳴り散らして、貴女が異常者で奇行者で頭のおかしい気違いであることはもう仕方がありませんが、人に迷惑をかけることだけは慎みなさいと、常々言っているはずです」
はたから見れば、異常者は包丁を持っているさつきのほうなのだが、そもそも炎城寺紅子にビンタや拳骨を体罰として与えたところで、ダメージなどまるでない。それどころか逆ギレして殴り返してくる始末なのだから、もう武器を持ち出すしかないではないか……というのが、紅子の教育係である九条さつきの言い分である。
「はい。ごめんなさい」
紅子はあくまで素直に頭を垂れる。こうなったさつきに口答えすれば、本気で刺してくることを知っているからだ。
「それで、一体何があったのですか?」
ひとしきり小言を並べたあと、さつきが尋ねた。
紅子はしばし説明することを躊躇したが、結局さつきと包丁のプレッシャーには勝てず、素直に話しだす。
「えっと……その、友達のブログがさあ……あ、ブログってのはネットに上げる日記のことね」
「それくらい知ってますよ。私をインターネットもわからない年寄りだと思っているのですか。私はウインドウズ95の深夜販売に並んだこともあるのですよ」
「え、マジですか? あの伝説の!」
衝撃を受けたイルカは、つい口を挟む。
「ええ。あのころ私はまだ幼かったのですが、新しもの好きの母に連れられて秋葉原にね。真夜中なのにすごい行列でしたよ」
「へええ……」
イルカは歴史の生き証人の話に感嘆するが、先月初めてパソコンを買った紅子は20年以上前のOSなど知る由もない。
「ウインドウズ95ってなに? ウィンドウズ10の前のバージョン?」
「いえ、おそらく前の前くらいですね」
「前の前の前の前の前の前の前の前です」
イルカは訂正した。
「それで、紅子様のブログがどうかしたのですか?」
「いや、わたしのじゃなくて、友達の話なんだけど」
「そういうのいいですから。めんどうな誤魔化しなしで簡潔に話してください」
「いや、ほんとに友達の」
「刺しますよ」
さつきが包丁を振り上げる。
「わ、わかったから。それ下ろしてよ」
紅子にとって、並の人間なら包丁どころか銃を持っていても恐ろしくなどないが、九条さつきは並ではないのだ。
「……まあ、その。わたしのブログに荒らしが現れたのよね。あ、荒らしっていうのは……」
「知ってます。ネットに『逝ってよし』とか書き込む、破廉恥な輩のことでしょう」
さつきのIT知識は、ウィンドウズ95の時代で止まっているらしい。
結局、実際に見ながら説明するということになり、三人は紅子の部屋にやってきた。
「これが紅子様のパソコンですか。こうして近くで見るのは初めてですが……なんだか派手ですね。私のパソコンとは随分違いますよ」
「基本的にゲーミングパソコンですからねえ。まあ、ゲーム機だからって派手派手にする風潮は、いい加減どうにかしたほうがいいと、わたしは思うんですけどね」
「そういうものですか」
モニタの画面には、先程まで紅子が見ていたのであろう、ブラウザが開かれていた。
真っ白い殺風景なページの中央に、そっけない一文が表示されている。
【ERROR:このページへのアクセスは禁止されています】
「なるほど。たしかにアクセス禁止になってますね」
イルカは画面を見て言った。
「とりあえず、もう一度ブラウザから検索してアクセスしてみましょうよ。お嬢様のブログのタイトルはなんというのですか?」
自分でそう聞きながら、イルカはなにか猛烈に嫌な予感がした。
「え、ここで言うの……。恥ずかしいじゃない……やだあ……」
「なに女の子みたいな事を言っているのですか。時間の無駄だから、さっさと仰ってください」
さつきがまた包丁をチラチラさせる。
「えっと……漫画の布教ブログなんだけど……」
イルカはなぜか耳をふさぎたくなった。
「『“宿命の対決”応援ブログ』ってタイトルなの」
「うヴェえええええええっっ!?」
カラスとカエルを混ぜ合わせたような叫び声が漏れた。
「なんです、イルカ。急におかしな声を出して」
「い、いえ! なんでもありません!」
イルカが慌てふためいているうちに、紅子が『“宿命の対決”応援ブログ』のキーワードで検索すると、同名のブログへのリンクが表示された。しかし、そのリンクをクリックした結果、表示されたのは先程と同じ『このページへのアクセスは禁止されています』の文字であった。
「ほらね、おかしいでしょ。なにもしてないのに壊れたのよ」
「なるほど、たしかに。まあ、何もしてないのにパソコンが壊れることは、よくありますからね」
(あ、あば……あわ……あわわわわ……)
紅子とさつきの会話をよそに、イルカは心中を震わせていた。
「まあ、編集ページの方は開けるんだけどさあ。これだと、実際に読者の側からどういうふうに見えてるのかわからないし……」
紅子が、今度はブログの編集ページを開く。
「これが紅子様のブログですか。ふうん……『この“宿命の対決”という漫画は超面白い最強の漫画です。どこが面白いかというと、主人公のアルが超かっこいいからです』……」
「声に出して読むんじゃないわよ!」
「はいはい。それで、荒らしというのは?」
「ほら。このコメント欄で、荒らしが下品なコメント連発してるでしょ」
「……紅子様の書き込みも相当下品ですよ」
コメントを読んださつきは呆れて言った。
「あんまりうざいから、こいつのIP割り出して書き込み禁止にしたのよ。あ、IPっていうのはね……」
「だから知ってますって」
「そしたら、わたしまでアクセス禁止になったのよ!」
以上が、現在の紅子の状況だった。
どう考えても「何もしてないのに壊れた」と言える状況ではないのだが、紅子もさつきも、不思議なものだ、と頭を捻ねる。
「で、どうよ。なんかわかる?」
「私にはなんとも。わかりかねますね」
「でしょうね」
さつきに聞いても無駄なことはわかってた、と言いたげに紅子は肩をすくめた。
「イルカ、どうなの?」
紅子とさつきが、揃ってイルカへ視線を向けた。
(あ……あ、やばい……やばいですよこれは……)
イルカの背中に大量の冷や汗が浮かぶ。
(荒らしをアクセス禁止にしたら、自分もアク禁になった? それは、自分と荒らしが同じ回線を使っているってことですよ、あはははー…………なんて言えるかーーーー!)
本当のことも言えず、さりとて上手い嘘も思い浮かばず、結局イルカはとぼけるしかなかった。
「さ、さあ……なんででしょうね。ちょっとわからないですねえ……あはは」
「おや。パソコンの大先生にも、わからないことがあるのですね」
「え、ええ。まあ、あまり気にせずに……」
「仕方ない、そよぎに聞いてみるわ」
(!?)
紅子がスカイプの準備を始めた。
「あ、さつき。これはスカイプって言ってね、相手の顔見ながらパソコンで電話できるのよ」
「…………知ってます」
スカイプのことは知らなかったんだな、とイルカは悟るが、今はそんなことどうでもいい。
「お、お嬢様! お待ちください、いま気づきました。お嬢様がアクセス禁止になった理由がわかりました」
イルカは、慌てて紅子のスカイプを止めた。紅子がそよぎから本当のことを聞けば、自分が知らんふりしていた事がバレかねないからだ。
「ほんと。で、なんだったの?」
スカイプを止めさせることは成功したが、当然、紅子はイルカに答えを求めてきた。
「えっと、それはですね……」
「うん」
事態が悪化することがわかっていながら、それでも自分の口からそれを言わなければいけないという状況。自分で自分の首を絞める思いで、イルカは説明した。
「ええと……その、お嬢様がアクセス禁止にした荒らしのIPが、お嬢様のIPと同じだった……んじゃないのかな……と……」
「ええ!?」
案の定、紅子は衝撃を受ける。
「紅子様のIPアドレスというのは、いくつなのですか?」
「いや、知らないし。イルカ、自分のIPアドレスってどうすれば見れるの?」
「……このIP解析サイトでわかります」
またも自分で自分の首を絞めるがごとく、イルカは真正直に紅子の問いに答えた。
紅子とさつきの前で、「教えてあげませーん」などと言えるはずがないのだから仕方がない。
紅子はブログの編集ページとIP解析サイトを見比べる。そして当然、結果はイルカの言うとおりである。
「あ、ほんとだ! わたしのIPと荒らしのクソ野郎のIP、まったく同じじゃないの!」
荒らしのクソ野郎ことイルカは、もはやメイド服の下に滝のような汗をかいていた。
この次に紅子がイルカに何を言うかなど、火を見るよりも明らかだ。
「なんでこんなことになってんのよ、イルカ」
イルカは破滅を覚悟した。
しかしその時、さつきが言い出した。
「そういえば、IPアドレスというのは、まれに偶然同じになることがあるらしいですね」
(うおおおおおおお!!!)
まったく思いもよらぬ援護射撃だった。
(メイド長ナイス! ナイスフォローです! この状況でなんという僥倖! 助け舟!)
イルカの脳内世界では、スタジアムの観客が総立ちで、ゴールキーパー九条さつきのスーパーセーブに盛り上がる光景が展開された。
「ああ、そうですね! ぐーぜん! ぐーぜんですよ! なんていう偶然でしょうね! たまたまです! たまたま、お嬢様のIPと荒らしのIPが! ぜんぜん違うとこから書き込んでいるのに、たまたま同じになってしまったんですよ!!!」
ここぞとばかりに、イルカはさつきの説に同調する。
「そう……なの? こんな長いアドレスがたまたま同じになるとか、そんな偶然あるかしら?」
「それ以外ないじゃないですか! そうに決まっています!」
半信半疑の紅子に対して、イルカは強硬に主張する。
ここはもう徹底的に押し切るしかないのだ。
「うーん。さつきもそう思うの?」
「わたしには何ともわかりかねます。まあ、いつもパソコンやスマホをいじっているイルカが言うのですから、そうなんじゃありませんか」
さつきは、さほどこだわりもなさそうに言った。
(よっし! 九条さんも賛成してくれました! 日頃の行いが功を奏しましたね!)
イルカは心の中でガッツポーズする。
それでも納得がいかないのか、紅子はしばらく眉を寄せて考えていたが、やがて諦めたように頭を振った。
「まあ、いいわよ。荒らしとわたしのIPがたまたま一緒だったから、わたしまでアク禁されちゃったと、そういうことなのね」
結論は出た、ということになった。
「それでは私は仕事に戻ります。紅子様、くれぐれも申し上げますが、今後二度とこのような事がないようにお願いします。次に同じことをすればもう、私は何をするかわかりませんよ」
さつきは、そんなことを言い残して部屋から出て行った。
「あ……それじゃあ、わたしも失礼しますね、お嬢様……はは……」
この空気の中で、紅子と二人になることが耐えられず、イルカも急いで逃げ出した。
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