第7話 転売屋を追いかけろ①
「えーみなさま! 本日は炎城寺紅子トークショー&撮影会にお越しいただき、誠にありがとうございました!」
都内某所のイベント会場に、ステージ上から司会者の声が響き渡った。
「イエーイ! みんなーありがとねー!」
司会に合わせて、紅子も目の前に集った数百人の群衆に向かって声を張り上げる。彼ら彼女らは黄色い声援で応えた。
「それでは本日のイベントの最後に、プレゼントの抽選結果を発表します。…………えー、参加券番号、九三番、一七七番、四五一番の方、おめでとうございます! 年末に日本武道館で開催される、炎城寺紅子VSリア・モンド世界女王決定戦のSS席チケットを差し上げまーす!」
多くの人々が、やっぱりハズレたか……と軽い失望を示す中、わずか三人だけは、この世の春が来たとばかりに大はしゃぎを始めた。
ざわめきが一段落したころ、ステージの隅にいた黒人の中年男が進み出て、おどけた口調で語りだした。
「当選された方、一応申し上げますが転売はしないでくださいねー! この国では、チケットの不正転売は法律で厳しく規制されていますからね!」
しませーん、と当選者が大声で応え、笑いが巻き起こる。
「惜しくも外れてしまった皆様は、来月からのWEB先行販売を申し込んでくださいね。それでは炎城寺さん、最後に皆さんへご挨拶をどうぞ」
「みんな、わたしがリア・モンドを血の海に沈める瞬間を見に来てね! それじゃあ、さようならーーー!」
万雷の拍手に包まれながら、紅子はステージの袖へ引っ込んだ。
「ハハハハ! グッジョーブ! 今日のトークも最高だったぜ、クレナイ!」
楽屋へ戻った紅子のもとへ、先程ステージ上にいた黒人男性がドリンクとタオルを手にしてやって来た。
「ありがと。クリッパーもお疲れ」
「こっちに戻って来てからパソコンオタクになったとか聞いてたから心配してたが、体のキレは衰えていないな。安心したぜ」
「当然よ。引退してもトレーニングは欠かさず続けてるからね」
「今日のパフォーマンスでも、瓦割りをきっちり成功させやがったしな。ハッハッハ!」
紅子のマネージャー、アメリカ人のクリッパー・スミスは豪快に笑った。
クリッパーとは、紅子がアメリカの格闘技界にデビューしたときからの付き合いである。戦う以外何も出来ない紅子に代わって、試合の調整、金勘定、政治、人脈づくり、メディア展開、その他もろもろ全てを取り仕切っている。
紅子は一月前にアメリカの格闘技界を引退しているのだが、クリッパーはその紅子を追って日本までやって来た。そして、イベントだのエキシビジョンマッチだの、勝手に決めたスケジュールをずらずらと並べ立てたのだった。
紅子としても、ネットで煽り合う以外することのないニート生活で暇だったし、ファンサービスのイベントやエキシビジョンマッチくらいなら参加してやろう、と考えて今日に至ったのだ。
「それに、キレてるのはトークの方も変わらねえな! やっぱりお前は最高だぜ!」
紅子のトークというのは九割方「潰す」「殺す」「天才」「最強」を連呼するだけである。
だが紅子を「クラッシャー・クレナイ」としてヒール路線で売り出す方針のクリッパーは、「それがいい」と全肯定している。
「あ、そうだ。頼んどいたチケットは用意してくれた?」
「ああ、招待用のVIPチケットか。一枚でいいんだよな、ほら」
「うん、ありがと」
クリッパーの差し出したチケットを、紅子は受け取る。
先刻、会場のファン達に抽選で与えられたSSチケットのさらに上のランク、最上級のVIP席チケットだった。
イベント会場の裏口を出て、紅子は徒歩で帰路についた。
紅子ほどの有名人なら、普通はボディーガードに囲まれて車に乗り込むものなのだが、「なんで強さを売りにする格闘家が護衛なんか雇うのよ。そんなダサいことできるか」と紅子は主張し、「ハッハッハー! そのとおりだクレナイ!」とクリッパーも同調したので、単身帰宅することになったのだ。
「ふんふんふんー。あー楽しかった」
帰路につきながら、紅子は上機嫌であった。
久々にファンに囲まれてチヤホヤされ、自分は人気者であると再確認できた。ネットを見ていると、この世には卑劣で極悪なアンチしかいないように思えてくるが、やはりリアルは善人ばかりなのだ、と感慨にふける。
「VIPチケットも手に入ったしね。イルカの奴も喜ぶでしょ…………ん?」
イベント会場を出てほどない場所で、歩道の脇にあるベンチに腰掛けている男の姿が目に止まった。なにやら落ち込んだ様子でうつむき、顔に手を当てている。
「う、うう……どうすれば……ああ……ううっ……」
男はすすり泣きと嗚咽の声を漏らしていた。
「あんた、なにやってんの? 泣いてんの?」
そんな様子を見て、ただ通り過ぎるのも釈然とせず、紅子は男の元へ寄って声をかけた。
「あ……え、炎城寺さん!?」
「ん? あんたさっき、わたしのトークショーに来てた人よね」
イベント会場に集ったファンの中で、男の顔を見た覚えがあった。
「は、はい。そうです」
「なんでこんなとこで泣いてたのよ」
自分のファンであるなら、なおさら放ってはおけない。
「その……炎城寺さんの試合のチケット、どうしても欲しかったんですが……抽選に外れてしまったんですよ……」
「え、そんなことで泣いてたの!?」
「お恥ずかしい……。実は、僕には病気の妹がいて……妹は炎城寺さんの大ファンなんです。炎城寺さんの試合を見せてあげられれば、元気が出ると思っていたんですが……」
男はがくりと肩を落とす。
「そう……病気の妹さんがいるんだ。大変ね……」
紅子は深く同情した。
「まあ、諦めるのは早いでしょ。来月のWEB販売に申し込みなさいよ」
「駄目ですよ。うちはド田舎で、クソ貧弱なネット回線しかないんです。ああいう先着方式のWEB販売は、都会で高速回線使ってる奴らに全部持ってかれるんですよ」
「そういうもんなの?」
紅子にそのあたりの知識はまるでない。
「ああ……どうすればいいんだ……楽しみにしていた妹に合わす顔がない……」
また顔を伏せて泣き出す男。
そんな様子を見かねて、紅子は手にしていたチケットを差し出した。
「ほら」
「え?」
「あげるわ、これ」
「こ、これ……最上級のVIP席チケットじゃないですか! いいんですか!?」
「いいわよ。友達を招待するつもりだったけど、あいつも今の話を聞けば、あんたの妹さんに譲ってあげたいと思うはずよ」
「え、炎城寺さん……なんていい人なんだ! ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「気にしないで。妹さんによろしくね」
紅子は男に向かって軽く手を振り、颯爽と身をひるがえして去っていった。
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