凍えるほどにあなたをください/滑走

秋色

第1話 記憶

 その日、NFFビルで職場の研修がなければ、僕が彼女について知っているのは中学生時代の思い出だけで終わっていたのだろう。ほんのりとした中学生時代のエピソードにたまに和みながら年を重ね、いつかこの世を去ったのだろう。もしかしたら、家族や友人にもこの古き良き時代の友情のエピソードを何かの折に話して、談笑していたかもしれない。昔のティーンエイジャーってこんな感じだったよ、みたいに。多分クリスマスとか、そんなみんなが集まっている時に。


 NFFビルのロビーで、研修前にふと見かけた横顔に確かに見憶えがあったものの、僕には彼女が誰だか思い出せなかった。そのまま日常に忙殺されていれば思い出さないままだっただろう。だが、その日は土曜日の午後にあった研修の一時休憩が午後三時過ぎにあった。ロビーの休憩スペースで同僚と湯気を立てている珈琲を前に、一時ひとときの安らぎを得ている時、ふと気になった。


「あれ、誰だっただろう?」


 その時、折しもの窓の外の雪が僕に彼女が誰であったのかをか思い出させた。


 ――織田雅絵――


 中二の時、転校前の学校で同じクラスだった女子。よく一人ぼっちで窓際の席にぽつんと座っていた女の子だ。雪が好きと言って、初冬に窓の外の雪を楽しそうに見ていた記憶がよみがえった。


「さっきのあのイベントのとこにいた人? 知り合い?」

 同僚の斉藤が尋ねた。


「ん。中学の時の同級生」


「どっちの方の人? イベント側と招ばれた側……」


「招ばれた方。多分ね」


 さっきの場面を思い起こしてみた。ちょっと着古したようなタマゴ色のセーターに、古い型のコートを羽織った女性が、男性に案内され講演会のようなイベント会場の入り口にいた。童顔だが、もう若くはない女性。あれが彼女なら当然僕と同い年だから三十代前半として過ごす最後の冬だろう。イベント会場は年配の人達で賑わっている。受付にいるスタッフはそれに比べると皆、若く、二十代多めで三十代も混じっているといったところか。彼女を案内していた男性は、彼女より少し若い位に見えた。彼女から目を逸らさない。いいスーツを着た、もの柔らかな態度の、優しげな美男。


「仲が良かった知り合い? そうだったら注意してやった方がいいんじゃないすか? あれ、マジでヤバそう。気になってちらっと見たけど、あの漢方とか、相当ひどいモノやったし」斎藤が言う。


 それは看板を少し見るだけで、僕にも分かった。何とか健康研究開発所なんて主催者名、見ただけで分かる。


 一応は僕達は薬剤師。今はチェーン店のドラッグストアに身を置いているが。

 僕も斎藤も以前はそこそこ大きな病院に籍を置いていた。そして斎藤は、特にその頃漢方薬に詳しい内科医に色々教わっていたそうだ。今でもなかなか詳しくて参考になる。

 今でこそドラッグストアで、お客さん相手にやれ健康ウォーキング週間だとか言って万歩計を勧めたり、やれ健康まつりだとか言って栄養補助食品を勧めたりなんて営業をしているが。でもあんなのとは根本的に違う。あれはただ同然の漢方をとんでもない高額で売るインチキ商法だ。薬局で扱う、大手メーカーがきちんと開発して国のトクホの承認を受けてるような商品じゃない。


「はぁ。でもあんな見るからにあやしい講演会にまた織田がひょいひょい行くとはね……」


「あんなのに騙されにくそうなタイプだった?」


「いやー、逆。まんまと騙されそうな……」


「そっか……」


「何やってんだろ。いい加減、世の中を学べよって言いたい」


 僕は中学時代の彼女を思い出していた。


 中二の頃の彼女は、クラス替えしたばかりの春頃からクラスの主要な女子のグループから冷たい態度をとられていた。結果、一学期、教室では誰も積極的に彼女と話そうとする生徒はいなかった。


 僕はその主要な女子のグループのリーダー的存在、吉田さんから理由を聞いた事がある。きっかけはしょーもない事だ。一学期になって間もない頃に、吉田さんは織田さんとロッカー係になった。これは二週間ごとに二人でペアになって体育の後、使ったロッカールームの鍵を責任持って返す係だ。必ず二人で確認してから閉める事……と決められている。男子も同様の係はいるが、女子の場合はもっと繊細な問題もあるのだろう。


 とにかく二人がペアの時、なぜか織田さんは、夕方六時すぎにまだロッカールームが開いているのに気付いたか何かで、わざわざ帰宅している吉田さんの自宅まで電話をかけたらしい。悪気はなかったのだろう。決められた事をその通りにしないとイヤな性分というだけで。


「そんなの、中を調べてみて誰もいなかったら鍵締めて職員室に返せばいいのに、わざわざなぜ?」

 吉田さんはそう織田さんにも言ったらしい。でも「二人で確認しないといけないから」と相手はほとんど謝ったりはしなかったらしい。それを吉田さんは悪意と受け取った。そんな事する勇気はなさそうな、いつもぼんやりした感じの気の弱そうな子だ。単に気が利かないだけだと僕は思った。重要なリスクの発生する現場で働けば、彼女の規則を遵守する姿勢は称賛される事だろう。


 とにかく僕はその時クラス委員で、そういう、いつも一人ぼっちで寂しそうにしているクラスメートがいるのは好ましからざる事だと認識していた。だから、なるべく織田さんに話しかけようという意識が日常的にあった。無理して話題を作っていたわけではない。なぜなら僕と彼女には共通の趣味があったからだ。七〇〜八〇年代前半の洋画と漫画。特に少女漫画である事を告白しよう。


 なぜ僕がそのような趣味を持っているかと言うと、その頃母方の叔母が美容院を経営していたので、少女漫画雑誌の古本を母がたくさんもらってきていたからだ。また、そこではお客さんにカラーリング、パーマ等で待ち時間が長い時は、その間ビデオを見てもらっていた。そのため近所のレンタルビデオ店から、レンタル落ちした女性向けのビデオをよくタダ同然で買い取っていたのだ。それも最終的には僕の家に回ってくる事となった。


 僕には五才上の姉がいて、漫画やビデオの感想を話し合ったりもした。だからそんなジャンルに詳しくなってもおかしくはなかった。


 一方、織田さんの方にも、年の離れたお姉さんがいて、その影響で少し昔の少女漫画や洋画が好きになったらしい。


 また、織田さんには、レンタルビデオ兼貸マンガ業を個人経営する親戚がいて、その事も彼女の趣味に大いに影響していたようだ。九〇年代までは、チェーン店の進出もそこまでではなかったから、町の小さなレンタルビデオ店は、そこそこの需要があったのだ。ただ、二年前この町に戻ってきてみると、そんなレンタルビデオ店も、大型チェーン店の波にのまれて、今では影も形もなかった。


 時代はバブル期終わりし頃。少女漫画の世界でも時代の波は訪れ、よりナチュラルな感覚が受け入れられるようになっていた。でも僕も織田さんも、それより割と前の時代の物が好きだったので、話が合った。


 クラスには他にも洋画の好きな女子がいて、三人で話したりもした。彼女を嫌ってるグループもそんな様子を見て、少しは彼女のキャラを認めたような、やっぱり認めないような、ビミョウな感じではあった。


 でも自分なりには、彼女との趣味についての会話は、楽しかった思い出だ。たまに結構盛り上がる時もあったし。


「やっぱ織田さんに、注意しといた方がいいかな、漢方薬とか健康食品とか、高額のものを買ってしまう前に……」

 僕は思わずつぶやいていた。







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