第3話

 満月の夜。

風で草木の揺れる広大な草原。 


 宵闇の空の下に広がる広大な大地。

ランタンの光すらない中、ある少年が咳をしながらランタンを片手に街道を歩いていた。


「けほっけほっ」

 その少年こそ……エリック=フォン=ロードナイト。

子爵家の子息でありながら、前代未聞の出奔をした男である。


「確か、この街道を上っていけば公爵領の領都につくはず。夜明けまでにできる限り進まないと」

 落ちこぼれでありながらも、両親に愛され恵まれていた環境にいた彼が何故こんなことをしているのか。

 それは、自身の弟を婚約者に侮辱され婚約を破棄したついでに、自身より圧倒的にスペックの上である婚約者を見返してやろうという、どこか子供らしい思いからであった。


 だが、その内実エリックは真面目である。

そう。元は自身が婚約者よりあのような扱いをされていたのは自身がこのように弱いせい……そのせいで弟まで馬鹿にされてしまった。その実直な思いが彼を突き動かしたのだ。


「アリアを、見返してやるんだ。絶対ッ、見返してやる」

 だが、時刻は宵闇。

獣が出てきてもけしておかしくない時間帯であった。

 そう、エリックも怯えていないわけではないのだ。

エリックは騎士でもなければ勇者でもない、剣の術もそこまであるわけでもない。


 なにより、齢14のエリックにとっては親から離れるというのも当然心細く辛いものに違いない。


 内なる怯えを抑え込み、エリックは暗闇のあぜ道を歩んでいく。

それは、体が努力に追いつかなくても、せめて心は強くあろうとしているエリック自身を表していたのだろう。


「はぁ、はぁ。こ、こんなペースじゃ父さんたちに追いつかれちゃう。っ、はあ、はあ、ペース…上げないと」

 とはいいつつも、努力しようにも自身の体が努力に追いつかなかったエリックである。

 心は前に前に行こうとしても、元来より一般人並みの体は


 次第に、エリックの足並みは崩れ、若干前屈みになりながらゾンビのようにふらふらと歩いてしまう。

 足が痛い、喉が痛い、呼吸がしづらい、頭が熱い。

そうして、いつも以上の負荷が掛けられたエリックの身体は、次第に動きが鈍くなっていく。


「こ、こんなのじゃ、だめ、なのにッ!」

 刹那、ランタンの落ちる音が響いた。

乾いたあぜ道の土が削れ土煙となると共に、エリックの身体も自由が効かなくなっていく。


「はぁ、はぁ、すす、まないと」

 ついにエリックの膝が地についた。

かろうじて四つん這いの状態で意識を保っているエリックは、這いつくばってでも前に、前に進もうと努力する。


 土埃が口に入る。

今まで味わったことのないような苦痛の味が舌に響く。


 だがエリックは腕を前にやり、足を地面になぞらせるように動かして前へ、前へと動こうとしていく。


 だが、力を失った腕は地面をなぞるだけで前に進もうとしてくれない。

 次第に視界がぼやけてくる。

身体も妙な浮遊感に包まれ、体全体が妙な熱に侵されていく。


 そして次第に意識が薄まり……エリックの意識は消え去った。





 

"エリック、正直言ってあなたは無能ですわ!だからこそ努力だけは怠ることのないように!"


"努力なんてするだけ無駄?なにを言ってますの?私の婚約者たる者が軟弱だと笑いものですわ"


”だからエリック。私に並んでみなさい。そうすれば、貴方を馬鹿にするものもいなくなりますわ”


"ふふ、少しはいい顔になりましたわね。それでこそ"


”私のーーーーーー”

 





「あ…」

 懐かしい、夢を見ていた。

遠い、遠い……でもとても暖かい夢。


「そう、だ。そうだ、そうだ!」

 エリックは無理やりに意識を取り戻した。

ある種の意志の強さと言えるソレは、エリックの疲弊しきった体を無理矢理にでも動かしたのだ。


「立ち上がらない、と。立ち上がらないと!」

 エリックが支えもなしに、ふらふらと立ち上がる。

時刻は未だに夜。


 土まみれの服にボロボロの肉体。

それでもなお、エリックはゆっくりと…しかし確実に前へと歩み始めた。








 清流のせせらぎが耳を打つ。

ここ、ゼルレッド皇国は重要地であるオルロス島に於いて生命線と言える大河…ミドラ川のせせらぎである。


 深く、広い川。

エリックはそれを見て急いで川べりに駆け寄り、そのままゆっくりと夜空を写す水面に口づけした。


 喉奥をなんとも言えぬ清涼感が通っていく。

乾ききった喉にボロボロの肉体を癒すその川水。


「ひとまず、ここで休憩かな」

 エリックは川べりの岩に座り、そう言って一息つく。

空を見上げると、満天の星空が広がっている。

 

 そして双子の蒼い月(ブルムナ)と紅い月(レドムナ)。

太古の昔からずっとあるそれは、今も変わらず星空の玉座に座っている。


 ふと、笛の音のようなものが響く。

北方音楽だろうか?神秘的な音にどこか哀愁を匂わせる音…間違いなく、エリックが幼い頃に聞いた北方音楽であろう。


 エリックは音の聞こえる方向を座ったまま探す。

すると、川の向こう岸……自らの座る岩と同じような大きさの岩に腰掛け、瞼を閉じ静かに縦笛を吹く少女が一人いた。


 白い透き通るような短く切り揃えられた髪に肌、そして美しく整った顔に、オルロスの伝統衣装のドレス。


 エリックからすれば、アリアが尖った凛とした美女ならばその女性は儚い美女と判断したものであろう。

 

 女性が、瞼を開けてちらりとエリックの方を見る。

視線が、合った。


 だが、女性はそのまま去るようなことはなく。

ゆっくりと微笑み、そしてまた瞼を閉じた。


「さて、行こう」

 エリックが立ち上がる。

疲れは十分とは言えなくてもそこそこに取れたのだろう。


 そのままゆっくりと彼は立ち上がれば、ゆっくりと双月の月光に満天の星を背に橋を渡るべく足を進めた。

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