11-9 恐怖心。




 王子はとても楽しそうだった。カールを独占して、ウキウキしている。

 それが恋なのか友情なのかなんなのか、他人が口を挟むものではないだろう。邪魔をするのは憚られた。


(人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んじゃうのよね)


 馬には蹴られたくはないと思った。人の恋路を邪魔するモノは排除されるのだ。


 ツキン。


 胸の奥が急に痛んだ。クラっとした眩暈を覚える。

 一瞬だけ、何かの光景が頭に浮かんだ。だがそれは認識する前に消えてしまう。

 しかし、恐怖だけが残った。何が怖いのかもわからないのに、何かがとても怖い。


 ぶるっとボクは身体を震わせた。悪寒が身体を走る。なんとも奇妙な感覚を味わった。

 例えるなら、肝が冷えるという感じかもしれない。心の奥底が冷たくなっていく気がした。魂が風邪を引きそうだと思う。

 それはとても嫌な感じだ。


「にゃあ……」


 ボクは力なく鳴く。かすれるような弱々しい声が出た。


「ノワール?」


 アルバートは異変を察して、ボクの顔を覗き込む。


「!!」


 眉をしかめた。


「どうした? 顔が真っ青だぞ」


 ロイドが心配そうにボクに問う。

 ボクは自分の頬に触れる。冷たいと感じた。


「……」


 答えられず、ボクは黙った。


(そんなの、ボクが聞きたい)


 心の中で愚痴る。

 にゃあと鳴く元気さえ、今のボクにはなかった。自分でもよくわからないのに、恐怖だけが心の中に残っている。

 ボクはぎゅっとアルバートの服を掴んで、しがみついた。

 身体ががたがた震える。


「カール」


 ロイドがカールに声を掛けた。

 王子と話していたカールがこちらを見て、顔色を変える。立ち上がって、こちらに来た。ボクを覗き込む。


「何があった?」


 問いかける声が聞こえた。


「……何も」


 少し迷って、ロイドが答える。なんとも奇妙な答えだが、それが事実だから仕方がない。

 実際、何もなかった。


「医者を呼ぶか?」


 そう言ってくれたのは王子だ。

 アルバートとロイドが顔を見合わせたのがボクからも見える。2人は考え込んでいた。

 ボクはふるふると首を横に振る。


「いえ、家に帰ります」


 ロイドがボクの代わりに答えた。ボクを医者に診せるのは問題がある気がする。魔法で作られたこの身体を医者に診せても意味がないのではないだろうか?

 家に連れ帰るのが最善だとロイドは判断したようだ。


「そうか。遅くまで引き留めて悪かったな」


 王子の謝罪が聞こえる。


(悪い人ではないんだな)


 アルバートにしがみつきながら、ボクはぼんやりとそんなことを考えていた。

 身体の震えは少しましになる。

 カールは毛布のようなものを借りて、ボクの身体を包み込んだ。寒くないようにという配慮らしい。実際、毛布は暖かかった。冷えた心にもその暖かさは届く。気遣いが嬉しかった。

 毛布ごと、カールはボクを抱える。毛布の重さと嵩がある分、体格的にボクを抱えて運ぶのはカールが適任だ。

 あれよあれよという間に馬車が用意され、ボクたちは乗り込む。

 カールは馬車に乗ってもボクをアルバートには渡さず、毛布ごと自分が抱きしめていた。カールの大きな身体にホールドされて、身動きが取れない。毛布に身体全体を包まれて、顔だけ出したミイラ状態だ。だがその不自由さに安心する。狭い場所が好きなのはネコの習性なのかもしれない。広いところより落ち着いた。


「にゃあ……」


 ボクは小さく鳴く。


「大丈夫か?」


 カールは真っ直ぐボクを見つめた。


(よくわからないけど、心強い)


 守られているのをびしばし感じた。


「にゃあ」


 ボクは返事をする。少し気持ちが落ち着いてきた。冷えていた身体の芯も温かくなる。同時に眠くなってきた。うとうとする。


「少し、寝るといい」


 カールに促され、ボクは目を閉じた。






 目覚めた時にはロイエンタール家に戻っていた。着替えて、ベッドに寝かされている。

 ベッドの上は何故かぬいぐるみで一杯だ。ボクの周りを囲むように置かれている。自分ではよくわからないが、きっと物凄くファンシーな空間が出来上がっているだろう。ボクの人形みたいな容姿と相まって。


(寂しくないようにという気遣いかな?)


 真意はわからないが、ボクのためにぬいぐるみが並べられているのは理解できた。


(写メりたい)


 写真に撮って残したいなと思う。物凄く可愛いことになっているに違いない。

 そんなことを考えるくらいには元気になった。


(一体、なんだったんだろう?)


 自分の身体なのに、自分の変化が理解できない。何かが怖かったはずなのに、それが何なのかがわからなかった。

 心当たりがあるとすれば、一瞬で消えて認識さえ出来なかった頭の中の映像だろう。

 だが、それについては考えたくないと脳が拒否している。


(体調はもう平気だし、何事もなかったのだから深く考えるのは止めよう)


 そう決めた。

 怖いものには蓋をしてしまうことにする。


(きっと、大丈夫)


 自分に言い聞かせるように、ボクは心の中で呟いた。 



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