第8話 帰還②



 三人で食卓を囲み、オデュッセウス(老人)はこれまでの会話でこれこそ我が子と悟るのですが、黙して主従の会話に耳を傾けていました。やがてテーレマコスが客人の名を聞くと豚飼いは自分が聞いた通りの名前――つまり偽名をそのまま告げます。まぁ仕方ありませんね。



 テーレマコスは横暴な求婚者のために客人をもてなせないのを残念がります。情けないですね。オデュッセウス(老人)もそう思ったのでしょう、厳しい言葉を投げかけます。



「もしもワシがオデュッセウスの子やったら……死を覚悟してでも連中と戦うて見せるっちゅうのに……」



 老人にこんな事を言われてもまだ尻ごみするのがテーレマコス。



「いやでもワイ……兄弟もおらへんし頼る相手も……。どうにもでけへんのです」



 つくづく弱気ですね。本当にオデュッセウスの子なんでしょうか。それでもアテナ様の指図は覚えているようで、豚飼いに母と祖父に自分が無事に帰った事を告げるよう使いに出しました。



 さぁアテナ様の考え通りです。豚飼いの姿が消えたのを見計らって長身の美女の姿を借りてオデュッセウスだけに姿を現しました。犬達には見えた様ですが喋れないので問題なしです。



「ラーエルテースの子、大神の裔であるオデュッセウスよ。今や! おんどれの息子にその身分を明かし、二人して求婚者達の滅亡を謀る時やで!」



 アテナ様が黄金の杖を当てるとオデュッセウスはみるみるうちに若返り、すっかり元の姿に戻るのです。服までも真新しい麻に変わりました。さすがはアテナ様です。



 女神が立ち去ると彼は小屋に帰ります。当然ながらテーレマコスはこの変容に度肝を抜かれます。そりゃそうですよね。私達も目の前でこんな事が起きればぶったまげるでしょうし。



「た、旅の方……これは一体どういう事でっか……。まさか貴方は神様……?」


「いや、よう見てみ。ワシはお前の父親やねん」



 こう言いながら我が子を抱きしめ頬ずりし、これまで堪えていた涙を流すのです。これまたいい場面ですね。



 しかしテーレマコスはすぐには信じられません。いくら神々の助けがあったとしても死すべき運命にある人間が若返ったり老人になったりする筈が無いと。



 これも納得ですよね。幾らなんでも……となる方が普通です。神様自身なら分かるでしょうが、人間までそんな事になるとは考えにくいものです。しかしオデュッセウスが長々と説き明かし、ようやく納得したテーレマコスは父と抱き合い思いのままに泣いたのでした。



 日の沈む頃、やっと父と子はこれから先の相談にかかるのです。



 一方、街へと向かった船はイタケーの街に着くと使いを出します。テーレマコスの指示にはありませんでしたが、報告しておかないと不審船扱いでしょうから当然の事ですね。この船の乗員は常識人のようです。行先は当然ながら領主オデュッセウスの館。その道中、豚飼いのエウマイオスと一緒になり、共々テーレマコスが無事に帰還した事を報告しました。これを聞いたペーネロペイアは歓喜し、求婚者達は動揺します。そりゃそうですよね。息子の帰還=待ち伏せ作戦の失敗が一気に判明したわけですから。



 求婚者達は集まって相談を始めました。リーダー格のアンティノオスはまたもや殺害計画を提言。クズですね。これを知って現れたペーネロペイアから烈しく罵倒されます。それをとりなしたのがもう一人のリーダー格エウリュマコス。本心ではテーレマコスの死を願いながらも優しい口調で両者をなだめるのでした。油断ならない奴ですね。テーレマコスでは太刀打ち出来ないのも分かります。



 ペーネロペイアは自室に戻り、夫オデュッセウスが居ない悲しみに暮れるのでした。


 やがて陽が落ち、エウマイオスが戻るとアテナ様は再びオデュッセウスを老人に変化させ、彼らはそこで夕餉を済ませて眠るのでした。



 翌朝。遂に作戦始動です。まずテーレマコスはエウマイオスに父オデュッセウス(老人)を案内させ、自分は一足先に館に戻ります。乳母エウリュクレイアはじめ忠実な侍女達に迎えられ、屋敷に入ると求婚者達が急に態度を変え、愛想を振りまきながらやって来ます。怪しさ満載ですね。さすがにお坊っちゃんでも察したのか取り合わず、訪れた占い師のテオクリュメノスを迎えて旅先の事柄を話し合います。



 テオクリュメノスは浴室に案内されたとありますが、まぁこの時代の事ですから……ちょっと臭っていたのかもしれませんね。こうして食卓についた二人は様々な話をするのですが、母ペーネロペイアは息子の傍に座って機を織りながら耳を傾けていました。やがて夫の消息を尋ねます。元々テーレマコスの旅はそれが目的でしたから当然です。



 テーレマコスは旅先での出来事を詳しく語り、メネラーオス王から聞いた海の老人プローテウスの話、テオクリュメノスの鳥占いを語りオデュッセウスはもうイタケー島に帰って来たらしいと母を元気づけます。



 流れからすると「ほんなら早ようオトンを迎えに行かんかい!」となりそうなものですが、そうはなりません。テーレマコスもほとんど顔を覚えていなかったんですから、オデュッセウスが出征した時はかなり幼かったんでしょうね。だから母も無理は言わなかったんでしょう。



 この頃、オデュッセウス(老人)は物乞い丸出しの姿でエウマイオスと街に現れました。手には杖を持っていて、かつての面影はどこにもありません。二人が街の中央にある泉に近付いた時、山羊飼いのメランティオスと出会いました。元々豚飼いのエウマイオスと仲の悪いこの男は求婚者達に取り入って彼らに山羊を提供していました。そして彼らを見るなり罵倒します。



「物乞いは物乞いを呼ぶっちゅうのはホンマやな! ファーッハッハッハ!」



 更にオデュッセウス(老人)の腰を蹴りつけます。最低ですね。オデュッセウス(老人)もブチ切れかけますが、ここで騒ぎを起こすわけにもいきません。必死に我慢してやり過ごします。



 二人は忌々しく思いながらも押し殺し、そこを立ち去りオデュッセウスの館に到着しました。オデュッセウス(老人)は門前の塵の中に身を横たえている一頭の白犬を見つけました。その犬は彼の姿を認めると頭をもたげ、耳を立てたのです。



 この犬はオデュッセウスが仔犬の頃から育て上げた愛犬アルゴスでした。しかしオデュッセウスが出征してからは誰も面倒をみてくれなくなり、老いさらばえ体は汚れて弱り切ってしまい、やっと主を見つけても吠える事も近付く事も出来なくなっていたのです。テーレマコスもペーネロペイアも何をしていたのでしょう。



 オデュッセウスはそっと涙を拭いながら門をくぐりました。そしてこの時、二十年もの間ひたすらに主を待ち続けてきたアルゴスは息を引き取ったのでした。ああ、なんと哀れな……。



 テーレマコスは二人がやって来たのを見て屋敷に招き入れ、オデュッセウス(老人)にパンと肉を与えました。エウマイオスにもあげればいいのに……差別はよくありませんね。この時代では仕方ありませんが。



 するとアンティノオスが豚飼いのエウマイオスを叱りつけ、オデュッセウス(老人)を追い出せと喚き散らします。テーレマコスは計略通りにふるまいます。



「ああ……まぁなんや、腹が減っとるなら皆に物乞いして分けてもらえや」



 実の父にこんな事を言うのはキツイですね……。しかしその実父である智将が考えた計略です。従うしかありません。彼が物乞いをして回ると、人々は食べ物やお金を与えたのですが、アンティノオスだけは彼を罵り、周囲が諌めるのも聞かず、足を乗せる台を投げつける始末です。どういう育ち方をしたんでしょうね、本当に。



 テーレマコスはこの間じっと悔しさを押し殺し、ひたすら耐えていました。



 宴は続き夕方になった頃、イタケーの物乞いイーロスがやって来ました。彼は自分の取り分を奪われるとでも思ったのでしょう、オデュッセウス(老人)追い払おうとしました。が、オデュッセウス(老人)も立ち去るわけにはいきません。怒鳴り返すのですがイーロスも生活がかかっています。執拗に食い下がり、遂には決闘を申し込んでくるのです。智将もこれは想定外だったでしょうね。



 人々はこのやり取りを楽しみ、中でもアンティノオスは格好の座興とばかりにけしかけます。典型的な「嫌な奴」ですね。



 オデュッセウス(老人)は襤褸の服を脱ぎ捨て筋骨逞しい体を披露し、驚く人々を尻目にイーロスをあっさりと倒してしまいます。老人バージョンでも筋肉は残っているようです。或いは必要に応じてアテナ様が変えてくれるのでしょうか。



 とにかく勝敗は決し、やんやの喝采を浴びる事になったオデュッセウス(老人)。求婚者の一人アンピノモスも杯を与えて彼の行く末を祝福するのです。



 そこでオデュッセウス(老人)は彼に向ってこう言います。



「人の運命ほど儚いもんはないで。あんたらもええ加減にしといた方がええんとちゃうか? オデュッセウスはんももうすぐ帰ってくるやろうし」



 こういう事を老人が言うと重みがありますね。実際アンピノモスもしおたれて自分の席に戻るのでした。



 この時アテナ様はペーネロペイアに悪戯心を起こさせました。彼女は化粧をし、二人の侍女を連れてあらわれ、求婚者達の心を奪ってしまいます。年齢を超えた美しさなんでしょうか。



 彼女はまず、テーレマコスが哀れな老人が人々の慰み物になるのを黙って見ていた事を責めます。そりゃそうですよね。そして求婚者の一人エウリュマコスの褒め言葉に答え、こう言いました。



「夫は自分が帰らへんかったら……好きな相手と再婚したらええ言うたなぁ……。今がその時やろか……なぁ……」



 欲に目が眩んだ求婚者達は一斉にあらん限りの贈り物をします。それを受け取ったペーネロペイアはホクホク顔で自室に戻るのです。えげつないですね。



 やがて日が暮れ、侍女達が火を熾すとオデュッセウス(老人)は自分が火の番をするから帰るように侍女達にいいました。仕事を奪われた侍女達は彼を嘲り、特に古顔のメラントーは事更に罵るのでオデュッセウス(老人)も切れてしまい大声で彼女達を追い出します。



 すると今度はエウリュマコスが彼の禿頭が燈火のようだとからかうのです。文字通り火に油ですね。オデュッセウス(老人)も腹立ちまぎれに口答えをすると、今度はエウリュマコスが切れて足の台を投げつけます。ああ、もう……。



 見かねたテーレマコスが「ええ加減におんどれら自分の家に帰れや!」と追い返してこの場は収まったのでした。



 こうして広間には自分とテーレマコスだけとなり、オデュッセウス(老人)は作戦を進めます。テーレマコスと二人で屋敷にある武器を全て奥の間に隠すのです。この時テーレマコスは乳母のエウリュクレイアを呼び、作業の間は侍女たちを女部屋に閉じ込めるよう指示しました。謀は密なるを以て良しとす――ですね。



 親子二人で武器・防具を運び始めた頃には既に暗くなっていましたが、アテナ様の御力で二人には真昼のような明るさがもたらされていたので問題なく作業が進められました。神の御加護は便利ですね。



 一仕事終わるとオデュッセウス(老人)は一人広間に残り、作戦を練っていました。同時に妻や侍女たちの様子もうかがっていました。



 するとペーネペロイアが大勢の侍女を引き連れてあらわれ、散らかされた食卓を片付け、燭台の火を薪にうつして夜の寒さに備えるのでした。その最中、侍女のメラントーがまたもやオデュッセウス(老人)に悪態をつくのです。嫌な性格ですね。



 ペーネペロイアはそれを窘め、椅子を運ばせて夫とは知らぬままオデュッセウス(老人)に勧めると故郷と父母の名を尋ねました。彼はまことしやかな作り話で切り抜けます。その出来のいい事、ペーネペロイアはすっかり信じて涙を流す程でした。



 今度はペーネペロイアが身の上を語ります。夫の出征から続く一連の出来事。多くの求婚者に悩まされる日々。彼等の目を欺くための機の計略。それを不埒な侍女のせいで見破られた事。今は両親さえも再婚を勧める事。夫の帰還への絶望。



 嘆く彼女を慰める為にまた作り話を重ねるオデュッセウス(老人)。



「ご主人は今テスプロートイ人の国で土産物を集めとるっちゅう話や。国王のペイドーンはんから直に聞いたんやから間違いない。じきに帰って来る筈や!」



 しかしペーネペロイアはすっかり諦めてしまっている様子。仕方ありませんね、初めて会った物乞いにそんな事を言われても……。



 彼女は乳母のエウリュクレイアに客人が休めるように足を洗ってあげるよう言いました。老女は主の境遇を嘆きながらやってくると、旅人の体つきや声が主によく似ている事に気づきます。そして足を洗うと主と同じ傷跡を見つけてしまいます。



 ハッとする老女。ペーネロペイアに知らせようとするも出来ませんでした。この時アテナ様の計らいでペーネロペイアは考え事に耽っていましたし、それよりも早くオデュッセウス(老人)が老女の頸をとらえて声を出させず、黙っているように合図したからです。「しーっ!」とやったんでしょうね。



 オデュッセウス(老人)の洗足が終わるとペーネロペイアは自分の見た夢の判断をして欲しいと頼みます。



 それは彼女の飼っている二十羽の鵞鳥が小麦を食べるのを見ていると突然大鷲が飛んできてこれを全て殺してしまうのです。悲しんでいるとその大鷲が屋根に止まり、自分がお前の夫で鵞鳥達は求婚者だから嘆くなというものでした。これを聞いたオデュッセウス(老人)は求婚者達が今に死ぬという事だと答えます。そのまんまですね。と言うか他に解釈があるのでしょうか。



「夢の国から出る門は二つあって、一つは象牙、一つは角で出来とるっちゅう話や……象牙の門からの夢は偽りの夢、角の門からの夢は真実を伝えるんやとか。けど、どうも角から出てきた夢とちゃうような……」



 と、ペーネロペイアは信じたくない様子。人死にが嫌なのか、怪しげな旅人がイマイチ信じられないのか……。後者なら最初から聞かないでしょうし、前者でしょうね。



 彼女は翌日になったら求婚者達にテストを課し、勝者に従う意思を表明しました。オデュッセウス(老人)はこれに賛成し、ペーネロペイアは自室で運命の夜明けを待つのです。



 オデュッセウス(老人)は館の戸口に毛皮を分厚く敷いて横たわりました。休もうとしても求婚者達への復讐の算段が浮かんできて眠れません。



「落ち着け……ワシの心よ、耐え忍ぶんや。キュクロープスの洞窟なんぞこんなモンやなかったで。それを切り抜けてきたお前やないか……」



 それでもなかなか寝付けないのでした。



 明け方、オデュッセウス(老人)は妻の咽び泣く声で目を覚まします。彼は大神ゼウスに祈り吉兆を求めます。ゼウスはこれを聞き入れ、オリュンポスは雷鳴を轟かせます。これを聞いた粉ひき女の一人が「もう求婚者達が来ぇへんように」と呟きました。



 それらを聞いたオデュッセウス(老人)はこれこそ神のお告げと確信するのです。



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