391話 広まる悪評

「くそ、これじゃ大損だよ」


 ルアンは店のさらに奥、従業員用スペースにある専用の椅子に深々と座り込むと、ふかふかの背もたれに体を預けながら独りごちた。


 あれほどあっさり諦めたのは、日を改めて出直すことの証左だろう。このまま待っていれば、またやってくるに違いない。


 慌てる必要はなかった。ただ、待てばいいだけの話なのだ。


  *


 あの人族の女が店に来てから、今日で2週間になる。彼女が来店したのはあれっきりで、今まで何の音沙汰もない。


 巷ではシェイの屋敷がドレイクに襲撃されたという話でも持ち切りだが、連中のシンパには人族も混ざっていたと聞く。もしかすると、奴もその一派なのかもしれない。


 そう考え始めた矢先のことだった。3人組のマオレンがルアンの店を訪ねてきたのは。


「おう兄ちゃん、開いてるかい?」

「あーはいはい、いらっしゃい」


 3人組は全員がほぼ無毛の、ピンクの地肌をさらけ出したイエネコで、目が細く宇宙人のような印象だった。


 このタイプのマオレンは、ルアンもあまり見ない部類のものだ。服装も古ぼけたベストや半ズボンなど、おおよそ裕福な者とは考えにくい。


「今日はどのようなご用件で?」

「人族の奴隷を欲しがってる奴がいるんだ。ここにいる奴全員売ってもらおうか?」

「ぜ、全員、ですか……」


 よくも思い切った者がいたものだと、ルアンは内心呟いた。


 いや、もしかすれば例の人族の女かもしれない。奴が送り込んできた刺客、という話も十分にありうる。


 外面ではへりくだるふりをしながら、その依頼人とやらの正体を探る必要がある。


「その、つかぬことをお聞きしますが、ご依頼人様というのは、人族だったりとかは……」

「んなわけあるかよ。金持ってそうなマオレンのおっさんだったぜ」

「なるほど、そうでございましたか。いやはや、失礼いたしました」


 男はすぐに笑いながら白状した。依頼人は人族ではないと。


 しかし、全員を売るわけにはいかなかった。あの女が戻ってくれば、今度こそ高値で売れる。そのためにも、あの女が目を付けた奴隷だけはキープしておかねばならない。


「ええ、全員お譲りしましょう。4名の合計で200万リーンとなります」

「4人? まだいるんじゃねえのか。どっからどう見たって、6、7人は店にいるみたいだが?」

「いえ、残りの人族は買い手がついておりまして……」


 ルアンは下手に出て、何とか購入を回避しようと画策する。そうでなければ、本当に安く買い叩かれてしまう。


 だが、男たちはニヤニヤと不気味に笑いながら言う。


「ははーん、やっぱりな。買い手がついたとか言って値段を吊り上げる悪徳業者がいるって話だったが、お前のことだったとはなぁ?」

「な……誰がそんなことを!」

「最近のウワサだぜ。誰が言い出したのかは知らねえけどよ、そういうことを言い出す奴は悪徳業者だから引き下がるなって言われてんだ」

「冗談だろ、くそう……」


 あの女にまんまとハメられた。しかも、買い手がついたという、その場限りの苦しい言い訳まで正確に見抜かれていたようだ。しかも、それを別の客に取られてしまうときた。


 一度失った信用は、簡単には取り戻せない。あの女に大見得を切ってしまったことは事実だが、それが本当にウワサとして流れてしまうなど、あってはならないことだ。


 もはや手はなかった。こうなれば、あの女の好きにはさせたくない、という思想が生まれ、それが優位になることは当然の帰結だった。


 ここで売ってしまうしかない。ルアンはその場で決断を迫られた。


「わかった。もういい、残りの人族も全員持っていってくれ。4人で100万リーンだよ」

「ほら、売れるんじゃねえか! 嘘つきやがったんだ、30万リーンにマケろよな。それと、口封じもやってやるから、その分も引いてくれや。ま、4人で8万リーンでいいか」

「は、8万……くうっ……」


 あの女の思い通りにさせたくないから売りたいと思ったとはいえ、4人で8万リーンは安すぎる。1人当たりを計算しても、あの女に売った少女より安いではないか。


「いえ、それではさすがに大赤字で……」

「30万リーンで売るってことなんだな? このことはしっかり知り合いに伝えておくかなっと」

「いやいや、それだけは……」

「んじゃ8万リーンだな」

「16万リーンで……」

「これ以上マケねえって言ってんだよこっちはよぉ?」


 男たちはずいずいと嫌なオーラを発しながら迫ってくる。


 ここまで安く買い叩かれるとなれば、迷惑な客と断罪して別の客を待つ方がいいだろう。


 悔しいが、ここで商売は終了だ。この男たちには帰ってもらうしかない。


「もういい、君たちは客じゃない。ほら、帰った帰った!」

「チッ、今度は客を選ぶのかよ。帰ろうぜ」

「ああ」


 ルアンが男たちを追い払うと、彼らは舌打ちをしてルアンを睨みつけながら帰っていった。


 彼らの言っていることが本当ならば、店の評判はさらに落ちたことになる。とはいえ、それ以上に利益は大事だ。


 これでよかったんだ。ルアンはそう思い込むことにして、自身の心の平穏を保とうとしていた。


  *


 それで済めばよかったのだが、あれから3日、4日と日を空けてからも、何人かの客がやって来た。


 それだけなら問題はないのだが、ほとんどの客が悪徳業者のウワサを耳にしていたのだ。人族だけに限らず、エルフやゴブリンを買う客までもが言い出す始末だ。


 そのせいで精神が参ったルアンは、仕方なく女が目を付けた人族4人を1人1万リーンで売るしかなかった。もはや在庫処分セールと言っても差し支えなく、他の奴隷も安く買い叩かれるハメになった。


 あの女のせいで、ルアンの奴隷商店は大損だった。ほかの品目はさほど影響はないものの、奴隷商売だけはかなりの赤字を出してしまっている。


 この状態では、いつ店が潰れてもおかしくない。もはや限界に近い。そう思っていた時のことだった。


「おーい、誰かいるー?」


 聞き覚えのある声、いや、絶対に忘れることのできない忌々しい声が、店の軒先に響いた。


 ルアンが対応に出てみると、やはりというべきか、前回と同じ格好をしたローブの女がいるではないか。


「はぁい。元気してるかしら?」

「元気なもんか! お前のせいで、お前のせいで! うちはもう商売あがったりなんだよォ!」

「元気そうで何より。ところで、あたしがツバつけた人たちはまだいるの?」


 ルアンの気も知らず、女はヘラヘラと薄ら笑いを浮かべていた。それが癪に障ったルアンは、掴みかからんとする勢いで女に迫る。


「もう売っちまったよ、あんな疫病神ども!」

「売った? ふうん……」


 女はルアンを突き刺すような冷たい視線をよこすが、次の瞬間には烈火のごとく怒りを爆発させていた。


「マジで売っちゃったの!? この!」

「あんたが変な噂を流すからいけないんじゃないか! こっちの責任じゃない!!」

「事実でしょうが! バカみたいに値段を吊り上げて、あれで許されると思ってるわけ!?」

「そ、それは……」


 ルアンには反論できる術を持たなかった。実際、商売できると踏んで値段を大幅に上げたのはルアンだったのだから。


 とはいえ、それがここまで影響を及ぼすなど、考えてもみなかったのだ。


 すると、女は全く呆れた様子で大きなため息をつく。


「はぁー……しょうがない、この店の悪評を消したいっていうなら、協力してあげてもいいんだけど?」

「お前の手なんか借りるか!」

「いいの? ダメって言うなら、もっと広めるまでだけど。それこそ、他の業種にも宣伝してあげてもいいし」

「うぐ……協力って、何さ」

「あんたが売った人族の一覧表を見せて。誰に売ったかも全部ね。ここ1年のデータをちょうだいよ」

「そうなるのか……わかった」


 これだけ悪評の影響が出ている中、さらに悪評を広めると言われれば、もはや従う他なかった。ルアンは涙を一粒零しながらも、渋々ローブの女の言葉に頷くのだった。

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