336話 虫の報せ

「よっと」


 波照間が通用路に辿り着くと、それに続いてライザとフウェレも軽々と昇ってくる。


 石垣やクラックを登る訓練は何度もやってきた上、実戦でも行ったことがあるものの、何もない壁に吸い付いて登るなどという話は地球では聞いたことがなかった。


 ライザがアクアマリン・プリンセスに侵入した際の手口だというが、その時も警戒するフランドル騎士団の兵士には全くバレていなかった。もしかすると、魔力をほとんど放出しないステルス性の高い魔法なのかもしれない。


「ほんと、あんたたちって常識外れだわ」

「魔法なしで石垣を登ろうとするあなたも大概ですよ」


 波照間は呆れて言うが、ライザには思ってもみなかった反論の言葉を貰う。


 そこで波照間は思い至る。もしかすると、彼女らが使う崖登りの魔法というのは、普通に崖を登るより安全な手段として認知されているのかもしれない。むしろ、この世界では波照間の方が非常識なのかもしれないと。


 ならば、これ以上は水掛け論にしかならない。波照間は息をふっと強めに吐いて心を落ち着ける。


 兵舎から遠ざかるように通用路を抜けると、アフモセが持つ傭兵ギルドの本部へと侵入する。波照間の事前調査では、この建物には傭兵たちが作戦地域で得た戦闘記録などの情報が集積されている。もちろん世界情勢にも明るく、何らかの形で波照間の情報がどこかに流れていたのをギルドが拾った可能性もある。


 もちろん、こんなに便利な組織を政府が利用しないわけがない。フウェレの話では、このアケトカロク周辺で起こっている奴隷解放運動を牽制しているという。


 そもそも、波照間が街に戻ってきた理由は、アフモセを利用して奴隷解放運動を広めることだった。彼の影響力を利用すれば、奴隷解放の思想をより素早く、広範囲に拡散できると踏んだからだ。


 そこで、波照間には引っかかることがあった。


「ねえ、フウェレだっけ。君、どういう任務であたしたちに協力してるの?」

「私のことか」

「他に誰がいるの?」

「……私の使命はラナー様の思想を広めること」

「それってどうなのかしら。あたしたちは奴隷化された仲間を救うのが目的。そのために、この国を混乱に陥れようとしているんだけど、それはどうなの?」

「確かに、世論の分断は国の弱体化を招く。特に今のアモイはその状態に陥りやすくなっている。以前にあったアモイの王が倒される事件があった直後から、アモイに住むエルフは、自分がアモイという国家の国民だという概念を認知し始めている。もはやネイト教は国に優越するものではなく、国家に組み込まれた1つのシステムに過ぎない。エルフたちは宗教という上から与えられる枷を外し、国家という共同体を構成する一員として自分を認識しつつある。それが今の奴隷解放運動の下敷きになっている。このパラダイムシフトを後押ししたのがラナー様だ。猊下はこれを利用し、アモイを変革しようとしている。お前たちが荒らし回った田畑を耕し直すようなものだ」

「その実働役が君ってわけか」


 ふうん、と波照間はおもむろに頷いた。


 アセシオンでも主権国家に脱皮する動きはあったが、あちらは経済を重視したことで改革が進んでいた。そこにヤニングスの軍隊改革が絡んでいた構図だ。世界に追随するため国力増強を目的とした明治日本の文明開化に似たモデルだろう。


 しかし、アモイは違う。こちらのアプローチは、経済ではなくイデオロギーがベースとなっている。宗教という共通の規範から解放され、自分の価値観で物事を考え、行動に移すことを是としているのだ。こちらは欧州で興ったルネサンスの政治版、そして主権国家体制の成り立ちに近い。


 そして、その変革を望む大神官から与えられたフウェレの仕事は、ラナーから始まった変革を推し進め、分断されつつある人々の意識をまとめること。


 もっと言えば、エルフたちに新しい価値観が広がったところで、神殿がそれに乗っかって国内の安定を図ろうとしている、ということだ。


 どちらにしても、神殿の思惑は自衛隊側にとっても都合がいい。奴隷解放が進めば、それだけ拉致被害者の帰還が現実的になってくる。


「いいわ。あたしたちは運命共同体。そういう認識でいいのかしら?」

「それでいい。だからこそ、お前たちに協力する」


 フウェレは何も迷うことなくピシャリと言い切った。


 新たな国家の再出発。波照間らは、まさにその瞬間に立ち会っているのだ。


  *



 つい先日迎えた人族の少女との夜伽を終えたアフモセは、シャワーを浴びて体を拭いたままの恰好で寝床につくところだった。


 ヒメルダを名乗って近づいてきた女は、灰色の船が放ったスパイだったという。最初に耳にした時は怒りを覚えたが、今は代わりの者を使うことで精神の安定を図っている。


 自らが選んだ奴隷は素晴らしい。近づいてくる市井の女とは違い、こちらを利用する意図が全くない。腹に何も抱えていなければ、それだけ気を遣わずに好き勝手できるということだ。


「全く、バカにしているにも程がある!」


 ベッドに入る前に、アフモセは水差しから果汁を薄く含んだ水を呷る。気分を落ち着かせる成分が入っているので、イライラした際には必ず飲むようにしている。


 だが、それでも怒りは収まらない。捕まえてもなお、自分を利用しようと近づいてきたあの女だけは、決して許さないと心に決めていた。


 アケトカロクを支配するジャマルは今や国王に即位した。彼にスパイを引き渡してもいいが、処刑の様子を見ることができなくなってしまう。ここは自分の手で処刑すべきだと意を決したアフモセは、明日にでも決行しようと決めて布団に潜り込んだ。


 すると、パン、パン、と聞き慣れない音が外から聞こえてくる。兵士たちの怒号も聞こえることから、何かがあったに違いない。


 ベッドから飛び降りたアフモセだったが、ドアに向かおうとしたところで側近の青年エルフがノックもせずに駆け込んできた。


「失礼します、アフモセ様」

「どうした? 何があったのだ」

「敵襲です。敵は2名ですが、次々に防衛線が突破されています」

「たった2人にか! 何を遊んでいるのか」

「ですが……」


 続きを言いかけた青年だったが、何かが破裂するような音と共に、突如として床に倒れ伏せた。後頭部の下部から流血しており、何かの攻撃を受けたことだけはアフモセにもすぐに理解できる。


「だ、誰だ!?」

「あたしよ。会いに来たんだけど、今日も一緒にどう?」


 聞き慣れた声と共に入ってきたのは、紛れもなく捕まえたはずのヒメルダだった。それも、緑系のまだら模様という見慣れないゴテゴテの衣裳に身を包み、謎の黒く小さな武器を両手で持ち、アフモセを威嚇している。


「くそ、このアバズレが!」

「抵抗しないで」


 アフモセはとっさに側転して敵の視線から逃れ、魔法を発動しようとする。


 しかし、ヒメルダの方が上手だった。謎の武器が破裂音を発すると、アフモセの左手に小さな風穴が開けられたのだ。


「うぐうお……っ!?」

「わかった? これ以上何かするなら、今度はそっちのお兄ちゃんの後を追うことになるけど」

「……チッ」


 アフモセは大人しく従うことにした。これ以上抵抗しても無意味だと虫の報せがあったからだ。

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