301話 とある少女の主張

「ラナー! ああ、よかった……」


 マウアは溢れ出してきた涙を拭いながら、ラナーの傍に体を寄せた。


 しかし、ラナーは露骨に顔をしかめてマウアから離れ、あははとぎこちなく苦笑いをする。


「うん、よかった……よね」

「ちょっと、なんで離れるのよ……私だって、ラナーのこと心配して……」

「ごめんだけど、あたしのことはあたしで決めるの。追い出されるっていうなら、それでもいいと思ってる。あたしのことより、大勢の人を不幸にすることを優先するなら、そんな国はあたしだって願い下げよ。あたしの居場所は、ネモさんたちの船になるの。どうせモディラットはもうないんだから、どこに行っても一緒でしょ?」

「何言ってるのよ、ラナーってば……」


 マウアは信じられないものを見るような目でラナーを見ていた。


 やはり、ラナーは考えを変えようとはしなかった。彼女には彼女の信じるものがあって、それを貫き通すと決めたのだ。当然といえば当たり前のことだ。


 ラナーは涙目になるマウアから、アメリアに負けて倒れ込んでいたジャマルに目を向け、そちらに足を向ける。


「あんたなんて、最っ低!!」

「うぐ……」


 救護に当たる兵士たちをかき分け、彼の胸ぐらを引っ掴むと、頬に力いっぱいの張り手を食らわせた。


 遊びでやるようなものではない。ラナーだけでなく、これまでの奴隷の被害者たちの苦しみを代弁するかのような、あまりに強いものだった。


 ジャマルは吹き飛ばされ、いつの間にか膨れ上がっていた群衆の前に転がった。もはやぼろ雑巾同然になった彼だが、矢沢には一切の同情の念さえ抱くことはできなかった。


 ラナーが怒りをぶちまけたということは、彼もラナーの記憶を奪った関係者なのかもしれない。それを考えれば、あのような報復を受けてもやむなしだろう。


 だが、ラナーの報復はそれで終わったようだ。ジャマルには見向きもせず、曲がり角の塀によじ登り、どよめく群衆を見下ろす形になる。


「みんな、聞いて! あたしはラナー・キモンド、アモイの王族よ!」


 突如始まったラナーの演説に、民衆たちはそちらに目を奪われた。兵士たちの何人かはジャマルを助けているものの、それも一部でしかない。


「数十年前、あたしは初めてこの街のスラムに入ったわ。それも、ただの貧民街じゃなくて、喜捨用奴隷のスラムに。そこで見たのは、働けずに飢えて死んでいくだけの、とても可愛そうな人たちだったわ。でも、その人たちは罪人でもないのに、なんであんな仕打ちを受けないといけないの? お年寄りは動けずに弱っていって、子供たちは物を盗むしかない状況に追い込まれて……もし、みんなが他の国に拉致されて、同じことをされたらどう思う?」


 ラナーは力強く演説していたが、群衆たちはピンとこないような表情を浮かべるばかりだ。


「何をおっしゃってるんだ?」

「奴隷なんていて当然なのにな」


 聞こえてくるのは、彼女の言葉を理解しようとしない人々の疑問の声。


 これも考え方の違い、というものだろうか。


 日本でも政治思想が大きく違う者たちは存在する。自衛隊の話題一つとってもそうだ。ある者は自衛隊の国防軍化や核保有まで主張し、ある者は自衛隊そのものの解体を主張する。


 だが、アモイの問題は状況が違う。どれだけ進んだ人権意識の改善を訴えたところで、ここの民衆は理解できるはずもない。その主張が理解できるような素地がないからだ。


 過去の欧州やアジアに限らず、世界中がそうだ。奴隷制度は当然のもの、黒人は差別されて当然、ユダヤ人は絶滅させるべき、ウイグル人はテロリストだから抑圧すべきだ。そのような主張がまかり通るような環境に、アモイという国の民衆は置かれているのだ。


「あたしはそれを見てきたわ。パンを抱えて餓死する女の子、やせ細って涙さえも枯れたおじいさん、希望もなくして死ぬのを願う男の人……っ、だから、あたしは、奴隷制なんてやめてほしいって心から願ったわ。あたしのお母さんも戦争で国を奪われて、王様の奥さんにさせられたけど、その時はまだ10代だったのよ。まだほんの子供なのに、知らない人と結婚させられて、子供を産まされるって考えたら、みんなはどう思う?」


 食糧難にあえぐ人々。その数は2023年時点で9億人を数えるという。国そのものの貧困、家庭の状況、インフラの未整備。その他さまざまな要因で、日本7個分以上もの人間が満足な食事をできずに栄養失調の状態にある。


 アモイで特に恐ろしいのは、それが意図的に作り出されている、ということだった。国や神殿が喜捨用奴隷に食料を与えず、ただ苦しめて殺す。そのような行為に何の正義があるのか。いや、どのような合理的な理由があるのか。全く持って理解できない。


 戦争と侵略、そして幼児の結婚。これも大きな問題だ。人々は望まないことをさせられ、それで苦しんでいるのだ。


「そうやって周りの国を侵略して、奴隷として人をさらって、その結果どうなったと思う? それが少し前のダーリャ襲撃事件だったでしょ? あの人たちは、純粋に仲間を助けたかっただけ。街の一部を吹き飛ばしたのは、あの白い飛行物体じゃない。あたしたちの普段の行いなの。そうやって色々な人から反感を持たれたから、ああやって街が壊されたのよ! アモイは強い国だけど、その国に喧嘩を売ってでも守りたい人たちがいた。あたしは、そういう人たちをこの目で見てきたわ」


 戦争はよくないことだ。それは当然のことだ。


 だが、大切な人を奪われて、それを黙って見ていろ、というのはできるはずがない。自分の大切な家族や友人、同胞がさらわれ、殺され、レイプされても、見て見ぬふりをできるか?


 そんなことは、誰だって否と答えるだろう。できるなら助けたいはずだ。


 それを躊躇させる理由の最たるものが軍事力だが、それがあっても迷わず敵に攻撃を仕掛け、敵を倒し、仲間を救い出したいと思う者たちもいる。今回はそれが矢沢ら自衛隊員たちだった、というだけだ。


「みんな! 奴隷に頼るのはやめて、自分たちで仕事をして、あたしたちが望む国を造ろうじゃないの! 仕事をすることは、社会に出て、自分が社会を作るっていうことなのよ!」


 ラナーの言葉は、確かに矢沢の心に深く突き刺さっていた。仕事は社会参加、それは基本中の基本だが、それに独力でたどり着けるのは見事という他ない。


 奴隷にやらせるのではなく、自分の手で社会を作る。それが仕事なのだ。


 しかし、民衆たちにはどうにも受けが悪いようだ。


「社会ってなぁ……」

「俺たちが奴隷を使うから社会が成り立つんだろ? 逆に感謝してほしいもんだ」


 徹底的な上から目線。彼らは何様なのか。矢沢はどこからか聞こえてくる心無い言葉に、思わず怒りを覚えた。


 そういう文化なのはわかっているが、それでも、だ。


 そう思っていると、空が徐々に暗くなり始めた。雲など一切ない晴れ模様だが、それにも関わらず、映画館の照明が落ちるかのように光が目の前から消えていく。


「これは、どういう……」

「ヤザワさん、近くにリアさんと同じような魔力が!」

「なんだと?」


 矢沢は面食らう他なかった。積極的にかかわって来ることを拒否していたリアが動いたというのか。

 しかし、その声も遠くなっていく。


 一体どうなっているのか。その答えが出ないまま、矢沢は闇の中へと落ちていった。

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