294話 忘れられない決意

 ラナーを待っていたのは、矢沢の交渉相手だったメローだけではなかった。


 会議室の中央では、他でもない国王が簡易型の玉座に座っていた。傍にはメローの他、ジャマルも侍従たちと共に待機している。


 本当に話をするべきはずの矢沢は格下に相手をさせ、自分はこうやって圧力で抑え込もうとする。そういう見え見えの魂胆に、ラナーは心底辟易していた。


 結局、そうやって内部の意見を抑え込もうとするのか。そう思うと、この先の対話はほとんど無意味なものではないのかとさえ思えてしまう。


 ラナーが前に進み出ると、国王は幼い子供に話しかけるように声をかけた。


「よく戻ってきたな、ラナー」

「パパ……ねえ、奴隷なんてもうやめて。あんなに苦しんでる人たちがいるのに、あたしたちはそういう人たちから富を吸い上げていい生活だなんて、そんなのおかしいじゃない」


 矢沢との約束を携えたラナーには、もはや縛るものなどなかった。ただ自分が言いたいことを言い、みんなに納得してもらう。それだけだ。


 だが、国王はただ首を横に振るばかりだった。


「やはり、そのことか……ラナー、大人になれ。国というのは、こうして成り立っている」

「そんなわけないじゃない! ネモさんと色々話をしたけど、ネモさんの世界は、少なくとも奴隷を使って搾取するような社会じゃないって聞かされたわよ! ねえ、本当にやめられないの?」

「くどい。アモイはそういう社会システムで成り立っている。今更変えることなどできない」

「そうだぞ。ラナー、いい加減帰ってきてくれよ」


 国王がピシャリと断りを入れると、続けざまにジャマルが微笑みながら手を差し伸べてくる。後ろに控える侍従たちも同じく嫌な顔をしていない。


 わけがわからなかった。どうしてそのような顔ができるのか。今も苦しんでいる人々がいるのに、それを強要しているのはパパたちなのに。


「イヤ、イヤよ! 最初から話し合いなんてしないで、自分たちの都合ばっかり押し付けて! そうやって他人を苦しめる側にいるから、誰かの苦しみもわからないのよ! お母さんだって苦しんでたのに! 自殺するまで追い込まれたのに!」

「……っ」


 ラナーが母親のことを持ち出すと、国王の顔が露骨に歪んだ。その話を持ち出されたのが気に入らないのか、それとも本当に罪悪感を抱いているのかはわからなかったが、いずれにせよ心を動かせたのは事実らしい。


「あたしも、最初は全然そんなこと知らなかった。なんでお母さんはああなったのかって、それだけが知りたかった。でも、結局、こんなくだらないことで……!」


 ラナーの方も限界が来ていた。母の話をする度に、あまりにもバカげた母の顛末にこの国の現状を重ね、怒りの言葉を発することさえ困難にしていた。


 最後は掠れた声も出せず、歯を食いしばって涙を流す他なかった。悔しさと怒りばかりがこみ上げる一方、何もできなかった自分に対する自責の念さえもが浮かび上がってくる。


 メローやジャマルも互いに顔を合わせては、ばつが悪そうに目を逸らす中、国王は少し逡巡して再び口を開いた。


「ラナー、聞いてくれ」

「聞きたいのはあたしの方よ! ねえ、パパにとってお母さんって何だったの? ただのお遊び? それとも、ただ征服した国のお姫様をコレクションしたかっただけ? マウアちゃんじゃなくてお母さんを選んだのも、抵抗できないくらい小さな子供だったからじゃ──」

「いい加減にしろ!」


 ドン、と玉座のひじ掛けを叩く音で、ラナーの怒声の奔流はせき止められた。国王は怒りを湛えながらも若干怯えが見える顔を凝視する。


「我はアリゼティを愛していた。それだけは事実だ」

「愛してるなら、なんで守ってくれなかったのよ……」

「我にも隠していたからだ。気づけなかったことも事実だが、それを表立って指摘するようなこともできなかった。聞いても隠したからだ」

「だからって……」


 ラナーはその後に出す言葉を持たず、困惑するばかりだった。


 誰にも隠していた。確かに母はラナーにさえ自分が追い詰められていることを隠していた。昔の故郷についてもそうだ。


 知らなかったと言われれば、もう父の責任を追及することもできなかった。


 いや、したくなかったのかもしれない。為政者としては敵対し、怒りを覚えていたとしても、やはりアモイ国王であるラスアメンカ2世は、紛れもなく自分の父親なのだから。


「ラナー、戻ってくるんだ。母のことは謝ろう」

「……ううん、やっぱり戻らない」


 それでも、ラナーには大人しく王宮に戻る選択肢などなかった。


 矢沢と交わした約束。この国の死に瀕する人々を助ける。それはまだ生きているのだから。


「あたし、ネモさんと約束したの。貧しい状況に追い込まれた人たちを助けてって。そしたら、向こうも約束してくれた。この国の虐げられてる人たちを助けるって」

「ラナー、お前……」


 ラナーの言葉に一番強く反応したのはジャマルだった。怒りや絶望もなく、ただ呆気に取られ、口をだらしなく開けるばかりだ。


「あたしはもう迷わない。知っちゃったからには引き返せないよ」

「ならば……わかった。それがお前の選択だというのだな」


 国王は至極残念そうに言うと、傍に控えていた侍従に何かを耳打ちした。侍従が退室する中、国王は続ける。


「人の記憶は曖昧なものだ。すぐに忘れられる。エルフ族とて例外ではない」

「そんなの、忘れるわけないじゃない! 今起きてることなんだから!」

「いいや、忘れてもらう」

「えっ、何よ……」


 ラナーは不穏に過ぎる国王の言葉に、嫌な予感を感じていた。


 何かするつもりだ。この場から逃げなければ。


 そう思い後ろの出口へ駆け出そうとすると、またしても見慣れた顔がその場に現れたのだ。


「うそ、エルおじさん……!?」

「許してくれ、ラナー。どうすることもできなかったようだ」

「ちょっと、それってどういうことよ」

「全ては流れのままに。選択肢は常に他者によって絞られるものだ」

「や、やめ──」


 ラナーはエルヴァヘテプに頭を掴まれると、感じたこともない恐ろしい魔力が防壁越しに流されるのを感じた。


 ドロドロしたものが流れ込んでくる。いや、神々しくも、全てを覆い尽くすような、気分のいい感覚が──

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