番外編 世界を揺るがす感染症 その1

 幹部会議から1日後、SH-60Kが邦人村との定時通信を終えて帰投した。補給役だったアメリアはヘリを降りると、長時間の飛行で疲れた体を休めるため、あおばの自室へと向かう。


 自分の部屋とは言っても、そこに存在するのはベッドと替えの服くらいなものだ。私物の類は全てオルエ村に置いてきたままだが、取りに行くまでのものはないと考えずっと放置したまま。今では捨てられているかもしれない。


 だが、逆にシンプルな部屋は心を落ち着かせた。ただ眠るだけの場所というわけではなく、眠るために不要なものを排除した部屋、とも言える。


 刑務所の独房より手狭な部屋には、白いシーツを敷いた3段ベッドがあるだけ。今は同居人もおらず、完全に個室状態となっている。機械室から聞こえる音が少しうるさいものの、それはどこも同じだ。


 下段のベッドに横たわると、すぅ、と意識が持っていかれるような感覚がして、そのまま眠りへと落ちていった。


  *


「──ア、アメリア!」

「んん、んう……?」


 目が覚めると、体がゆさゆさと何度も繰り返し揺さぶられていた。まだ目を開けるのも億劫なほどに疲れが出ていて、誰が体を揺らしているかを確認するのも面倒なほどだ。


 とはいえ、されるがままでは眠れるわけがない。アメリアは冴えない頭を強引に回転させ、目の前に意識を集中する。


「だれ、ですか……」

「もう、寝ぼけてるわけ? ほらほら、早く起きてってば!」


 さらさらとなびく金色の髪と白い羽飾りがアメリアの視界に映る。自衛隊員の誰でもなく、こちらの世界の誰かの頭であることはすぐにわかった。


 フランドル騎士団でも金髪は珍しい。それに、ほとんどはベル・ドワールかリウカの業務に当たっていて、この艦には金髪の騎士団員など1人しか乗っていないはずだ。


 となれば、顔を見なくとも自ずと誰かはわかった。目線を下げると、見覚えのある少女の困り顔が見える。


「あ、ラナーちゃんですか……」

「はー、やっと起きたの? 遅いってば」

「すみません、疲れていたもので……」


 アメリアはうわ言を言うように呂律の回らない言葉で謝罪するが、ラナーは許してくれないようで、眉をひそめて声を荒げた。


「サトウから伝言。定期健診が待ってるから早く医務室に顔を出しなさいってよ」

「ああ、そうでした……うぅ」


 アメリアは疲れた頭で昨日の記憶を掘り返した。


 次の日は定期健診があるから、昼の1時には医務室へ来るように、と言われていたのだ。すっかり忘れていたことで少しばかり目は覚めたが、それでも頭はフラフラしている。


「今すぐ、行きますから……」

「もう、呼びに行かされるあたしの身になりなさいよ」


 ラナーはぶつくさと文句を言うが、アメリアには届かなかい。ただ力なく立ち上がると、そのままドアを開けてフラフラと千鳥足で医務室へ向かうばかりだった。


  *


「よしよし、今日で投薬は終わり。長かったね」

「はい!」


 アメリアは佐藤からの報告を聞くと、心に熱くなるものがこみ上げてきた。


 自衛隊に出会って間もない頃にかかった結核が、投薬によって発病せずに完治したのだった。村と決別するきっかけにもなった病気が完治し、普通通りの生活に戻れるようになった嬉しさは計り知れない。


「へえ、アメリアちゃんって病気だったのね」

「潜伏段階で抑え込んでいたけどね。どういうことかわからないけど、病原菌がかなりのスピードで増殖していたんだ。この艦は清潔なのに」

「どうせ汚いものでも触ったんじゃないの?」


 ラナーは茶化して言うが、佐藤はかなり真面目だった。どことなく温度差を感じていたアメリアは、早く立ち去りたいと思いながら席を立った。


「では、私はこの辺で。眠いので寝かせてください……」

「わかった。お大事にね」


 佐藤は手を振りながら笑顔で見送ってくれる。その笑顔がアメリアには眩しかった。


 これで普通の生活に戻れる。それが何よりうれしくてたまらないのだ。


 早く帰って寝よう。そう切に願いつつ振り向き際に医務室のドアに手をかけようとしたところ、ドアが勝手に開き、前につんのめって何かにぶつかった。


「っ、何だ!?」


 どん、と頭からその何かにぶつかるが、不思議とどこも痛くなかった。ドアの代わりに現れたそれを慌てて両腕で引っ掴み、倒れるのを回避する。


「あう……えっと……」


 アメリアが顔を上げると、矢沢の驚いた顔がそこにあった。どうやらドアを開けて入ってきたのは矢沢だったらしい。


「君か。定期健診か?」

「は、はい。今日で薬は飲まなくていいって言われました!」

「それはよかった。大変だったろう」

「いえ、とりあえず治ってよかったです」


 あはは、とアメリアは自然と屈託のない笑顔を浮かべた。


 これほど心から笑えたのは、どれくらいぶりだろうか。ヤニングスを倒した時だったか、それともアセシオンを降した時か。


 アメリアが矢沢から離れると、ラナーが傍まで来て矢沢に手を振る。


「あ、ネモさんじゃない。やっほー」

「ラナーもここにいたのか」

「まあね。暇だしどうしようかなーって思って」

「暇なら昔話でも聞いていくか。私も手持無沙汰だが、今寝るわけにもいかなくてね」

「つまらない話じゃないならいいわよ」

「私たちの世界で流行った病原体の話だ。暇かどうかは判断しかねる」


 ふふん、と小さく笑顔を見せるラナー。矢沢も乗り気らしく、快く返した。


 しかし、アメリアにとっては嫌な予感しかしなかった。


 矢沢の昔話はやたら長いのだ。普段ならば異世界の知識だと喜んで聞くものだが、今回ばかりは遠慮したいところだ。ラナーにたたき起こされたせいで、まだ睡魔に取りつかれている。


 そう言おうとしたが、ラナーはアメリアの腕を掴んで医務室の奥へと引っ張っていく。


「あう……私、もう帰りたいんですけど……」

「ダメだよ。君のように病原体だらけの子にはしっかり聞いてもらわないと」


 アメリアは疲れた体で抵抗しようとするが、佐藤は逃がそうとはしなかった。佐藤まで無慈悲なのかとアメリアは嘆くが、もはや抵抗は無駄だと感じ、されるがままにラナーの腕に従った。


 矢沢はパイプ椅子を引っ張り出し、佐藤の隣に腰かける。アメリアとラナーは診察用のベッドに座るが、アメリアは座りながら壁に寄りかかってため息をついた。


「アメリア、君は結核という病気を発症しかけていた。昔であれば完治する可能性も低い難病だったが、今では進んだ医療技術で完治が容易になっている」

「ふぁい……」

「とはいえ、感染症の脅威はインフラがどれだけ発達しようとも避けられない問題だ。いや、インフラが高度になればなるほど、その影響力も大きくなる」

「インフルエンザやコロナがいい例ですね」

「ああ。特にインフルエンザなどウイルス性肺炎は何度も世界中で拡大し、市井に悪影響を与えている」


 矢沢はアメリアをじっと見つめながら語り出す。当の本人は眠くてどうしようもないというのに。

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