269話 脱出予告
「どうしてもダメなのかい?」
「我々は侵略行為を行わない。それに同意すれば、根本的な存在意義が揺らぐ」
ジャマルの言葉に、矢沢はただ首を振るしかなかった。
奴隷化された邦人を返してほしければ、その分の補填として他国を侵略するための戦力を貸せ、という要求など、到底受け入れられるわけがない。
そもそも、交渉の根底となる価値観からして大きく違う。片や差別主義を国の根幹として据えている帝国主義国家、片や人権を尊重し、戦争や他国への侵略を否定する民主主義国家の軍事組織。その2者間で、根幹の利益に関わる取引などできるわけがなかったのだ。
どちらかが折れれば、折れた方の理念が否定される。アモイが折れれば、奴隷化された自国民に関しては手を退く条約を反故にするだけでなく『人権』というものを認めて奴隷制を否定することになりかねない。
一方、矢沢が折れてしまえば、憲法で否定された『戦争放棄』という条文を、国民と引き換えとはいえ関係のない他者を戦争に巻き込み、そして奴隷化させるという最悪の形で裏切ることになる。それを嫌がり矢沢が交渉を諦めた場合、奴隷化された邦人は国民の守護者たる自衛隊から人権を否定されることになる。
どちらも後には引けない状態になっていた。前に進めば衝突、後ろに進めば最悪の選択。
アモイが国の形を破壊するか、自衛隊が侵略者になり果てるか。互いに踏み絵を突きつけているようなものだ。
今日もどちらの結論も変わらなかった。ジャマルは諦めたのかため息をつくと、じゃあねと一言残してから牢屋から立ち去る。
後に残されたのは、裸に剥かれ手錠で繋がれた矢沢と、留置場の入り口付近で欠伸をしながら暇を持て余す看守だけだった。
「はぁ……どうすればいいのやら」
「それは艦に戻ってから考えるべきね」
矢沢がため息をついて独りごちていると、どこからか聞き慣れた声がした。
銀だった。いつもの通り少なめの食事だけを抱え、矢沢の前でネズミから少女の姿に変身する。
「久しぶり。今日は大事なお知らせがあって来たわ」
「大事な報せ?」
いつになく得意げに話す銀に、矢沢は首をかしげるしかなかった。こんな時に、ご機嫌な表情を浮かべながら一体何を報告しに来たのか。
「そうねぇ、あんたの救出作戦がもうじき決行されるわ」
「救出作戦だと?」
「そうよ。ここの構造はアタシが調べ尽くしたし、基地に駐留する連中も引きはがせる算段が整ったわ。この作戦を成功させれば、連中に圧力を与えられるわよ」
「全く、君たちは……」
矢沢は呆れて物も言えなかったが、それでも助けに来てもらえるというニュースは大きな希望を抱かせてくれる。
3週間近く続いた牢屋での生活が終わりを告げる。それだけでも心が躍り上がりそうなほどに嬉しい。
だが、それでも自衛官としては、自分よりも邦人の方を助けてほしいという思いもあった。アセシオンを止められず、アモイまで邦人を連れ去られることになったことに、矢沢も責任を感じていたからだ。
もっと適切な判断をすれば、敵の考えをもう少し読めていれば。先に立たない後悔ばかりが胸中に去来する。
「ほら、何シケた顔してるのよ。あんたも脱出する準備を整えておきなさいよ」
「ああ、わかった……いや、銀。少し頼まれてくれるか?」
「何よ?」
「ラナーのことだ。彼女は私が巻き込んだんだ、必ず助け出したい」
「そう言うと思って、色々調べて来たわよ。ここの留置場ってご存じの通り魔法封印の陣はないんだけど、その子の部屋だけ陣が張られているのよ。これってつまり、侵入者への対策を念頭に置かれているってこと。逆を言えば、中から暴れる分には有利な状態とも言えるわね」
「ならば、君が私を護衛してくれ。ラナーを助け出した後は、2人の魔法で艦まで逃げる」
「決まりね。じゃ、そういうことで」
「あっ、おい待て! あぁ……」
矢沢は銀を呼び止めるが、彼女はネズミの姿に戻るなり足早に消えていった。確かに同じフロアには看守がいるものの、銀のことはバレていない。少しだけ話を続けてもよかっただろうに。
「おい、うるさいぞ」
などと考えていると、その看守が矢沢の牢まで足を運ぶなり、やる気のない顔を見せながら嫌味を言うかのように注意をする。矢沢は聞く気など毛頭なかったものの、一方で銀が見つからないでよかったとも思っていた。
少なくとも、近いうちには救出作戦が行われる。となれば、それに備えてイメージトレーニングと現状分析を続けるしかない。
矢沢は一息つくと、脱出に向けての計画立案を行うことにした。
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