248話 かりそめの寝床

「ふぅ……」


 波照間は冷水シャワーのペダルから足を外し、タオルを手に取って体を拭いて部屋へと戻る。すると、ベッドにいた『彼』が声をかけてくる。


「さっぱりしたかい?」

「うん。できるならお湯を浴びたかったけど」

「それなら、魔法で温めればよかったのに」

「言ったでしょ? あたし魔法が使えないの」

「おっと」


 彼は軽く微笑むと、再び今日付の新聞に目を落とす。波照間はつれない男だと内心腹を立てていたが、表面上は笑って彼の機嫌を取ることにしていた。


 波照間が獲得したエルフの男は、アモイ西部の交易都市アケトカロクを中心に活動する大商人で、名前はアフモセというらしい。彼のギルドは食料品や武器、鉱石などを扱っている。無論、その商品群の中には奴隷も含まれる。


 波照間の任務は、アモイにおける奴隷の流通ルートの調査にある。そこで、アモイ西部を牛耳っているアフモセのギルド『レガロモカーヌム』に潜入し、アフモセに接近して流通ルートを洗い出すことを決めたのだ。もちろん、彼は奴隷商人ということで敵対的であり、正体を知られずに『利用』させている。


 その結果、かなり詳細な情報を得られた。アセシオンがあるスタンディア大陸から輸入された奴隷は、ダーリャで直接売買される者を除けば、全てアケトカロクの奴隷市場へと搬入される。その奴隷市場はレガロモカーヌムの傘下で、そこでは合計1000名もの邦人が売買されていた。


 中でも邦人は魔法が使えない者ばかりということで魔法を扱う職業からの人気はゼロに近かったが、農奴など肉体労働の分野で取り扱いが多かった。その他にも500名ほどがまたもや外国へ売り飛ばされており、彼らの足取りは途絶えている。


 手に入れるべき資料はほとんど手に入れているが、彼にはまだ利用価値があった。王族の数名と繋がりがあり、なおかつ矢沢の協力者であるラナーとは無関係だ。彼との関係性を保ちつつ、密かに王族と接近することで、今後の交渉や安全保障を有利に進められると踏んだからだ。


 矢沢が獲得した王族協力者の話とも合わせれば、王族の権威失墜も可能だろう。できれば神殿にも手を伸ばしたいが、堅実に行くにはパイプが必要となる。


 そうなれば、やることは1つしかなかった。更に深く取り入り、王族とのパイプを作ること。神殿へのパイプを構築するにはそれしかない。


 波照間はタオルを洗いもの置き場に投げ捨て、アフモセのベッドに入って彼に擦り寄る。


「ねえ、やっぱり足りないの。もっかいやる?」

「はっはっ、お盛んなことで。君も好きだね」

「我慢することは悪いことだって、お母さんにも言われてたから」


 そう微笑みながら波照間は言う。男女の関係といえば肉体的な接触、まぐわいだと先カンブリア時代の数十億年前から決まっている。


 調査によれば、エルフ女性の性欲は人族に比べて低いらしい。これは長すぎる寿命のせいじゃないかと波照間は推測している。


 一方で、エルフ男性は通常の人族男性とそう変わらない性反応を示す。これも調査でエルフ男性は性欲の強い人族女性を好む傾向があると判明してからは、波照間は積極的に彼を『誘う』ようにしていた。


 聞き耳を立てられ、酒に付き合わなければならない酒場とは違い、こういう行為では第三者による情報収集のハードルが高い。一方で、相手は快楽に身を任せるために口が緩くなる。そして自分は素面のまま。情報収集の手段としては有力なものだ。


「じゃ、あたしに身を任せて。いっぱい気持ちよくしてあげる……」


 波照間は妖艶な声をアフモセの尖った耳に吹き込むと、彼の頬に短いキスをプレゼントした。


  *


 波照間はアフモセから借りたアパートの中で定時通信を行っていたが、矢沢からの一言は彼女の度肝を抜くものだった。


「ちょっと待ってください、撤退ですか?」

『そうだ。どうやら、私が地雷を踏んでしまったらしい』


 矢沢はすまない、と一言だけ付け加えた。波照間は少しの間茫然自失になっていたが、すぐに気を取り直して矢沢に質問をする。


「一体なぜそんなことに?」

『メフト神殿の大神官エルヴァヘテプからの情報提供だ。彼にはこちらの情報が完全に筒抜けになっていたんだ。それに加え、この国の第一王子ジャマルはラナーの婚約者らしく、恋敵と見た私のことを嗅ぎまわっている。大神官も味方とは言えず、ジャマルに全て露見するのも時間の問題だ』

「そんな、艦長さんってクジ運悪すぎません……?」


 波照間は頭を抱えるしかなかった。矢沢とラナーの出会いは知っているが、そこから次代の国王に最も近い者から恨みを買うなど、全く不用意だと言わざるを得ない。


 少なくとも、矢沢が酒に呑まれなければ済んだ話だろうが、それ以上に彼の運が悪い。起こってしまったことは仕方ないが、今後は海自隊員たちに諜報活動のノウハウを改めて叩き込む必要があると波照間は実感していた。


 特殊作戦群は陸上幕僚部の情報部から諜報活動の訓練を受けている。これを公開すれば怒るのだろうが、今は緊急事態故に仕方ないことだと割り切るしかない。


「わかりました。準備が整い次第撤退します。日時は後ほど」

『ああ。すまない』


 矢沢の一言に苦笑したものの、その時には既に通信は切れていた。


 撤退するとなれば、近くに設置している中継アンテナを撤去する必要がある。アフモセとの関係も見直すことになるが、これも数日はかかることになるだろう。


 今は拉致被害者の情報を入手できただけでも僥倖だと考えるしかない。波照間は比較的新しいベッドに横たわりながら、先ほどの疲れを回復するため眠りについた。

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