230話 監視基地
アモイの首都ダーリャの南部には、カラカラに乾燥した大地を利用した大規模な駐屯地と演習場が存在している。肥沃で安定した気候を持つスタンディア南部とは趣が全く違うが、それでも基礎の訓練にはなる。
この基地はダーリャの防衛を担うと共に、敵国へ進発する侵攻軍の基地にもなっている。その北方であるダーリャ南部にはその部隊を輸送、または護衛する海軍の基地も存在しており、アモイの屋台骨を支えている。
銀はこの基地を常に見張り、敵の戦術論の分析や駐屯兵力の調査、動向の監視を行うのが任務だった。本来は矢沢が適任の任務だったが、銀が協力者の勧誘任務を断ったがために、監視は銀が行う運びとなっていたのだ。
ダーリャ演習場は完全な平原というわけでもなく、切り立った岩場や崖も多く、そこに監視基地を作ることができる。銀は一番見晴らしがいい場所は避け、やや隠れた場所で、なおかつ演習場を一望できる場所を選択した。
「さて、この辺ね」
「んな、アホな……登るの、疲れるわ……」
銀は木箱1つを背負ったまま、呼吸を一切乱すことなく崖の頂上まで登り切ったが、何も持っていないはずの瀬里奈は汗でびっしょり濡れ、枯れた声を発しながら息切れしている。
「なんで、そんな元気なん……」
「ヤドリネズミは厳しい環境で生きるから、こういう状況にはすぐに慣れるのよ。アタシ自身も冒険は好きだし。狭苦しい監視所で見張りだなんて……うーん、考えただけでワクワクしちゃう」
「あんたおかしいわ絶対……」
1人で楽しんでいる銀だが、その横では瀬里奈が引いていた。
銀は荷物を降ろすと、木箱の中からツルハシを取り出した。固い岩盤でも掘れるほどの強度を誇る超硬合金のツルハシで、アセシオン軍も使っているものを調達したものだった。
「さあ、行くわよ。これから穴を掘らなくちゃ」
「勘弁してーな……」
もはや、やる気など一切消え失せてしまった瀬里奈をよそに、銀は岩山の側面に降りて穴を掘り始めた。
*
2日後、銀は子供がようやく通れるような狭い通路を作り、演習場に面した岩場まで掘りぬいてしまった。掘ったL字型トンネルの長さはおよそ10メートル、2日という工期はあまりにも短すぎた。
銀は狭い通路で伏せた格好を取りながら、目の前の演習場をホクホク顔で眺めていた。
「ふー、ひと仕事終えたって感じ」
「はぁ……はぁ……もうこんなんイヤや」
瀬里奈はといえば、掘削時に出た岩や土を遠くまで運んで捨てるだけだったが、それでも銀の作業時間があまりに短く、土運びだけでもかなりの負担となってしまっていた。
とはいえ、瀬里奈も立派に働いていた。銀は強引に瀬里奈の横へ割り込むと、子供を褒める母親のように瀬里奈の頭を優しくなでる。
「お疲れさま。あなたのおかげよ」
「ちょ! せま、狭いッ……!」
ただ、掘りぬいた通路には瀬里奈と銀の2人が入るような幅がない。瀬里奈は銀の体に圧迫され、ドンドンと床を叩くしかできなかった。
「この程度でダメなわけ? すごく快適なんだけど」
「う……あんたと比べられても……こま……っ」
肺さえも圧迫された瀬里奈は、その場で気を失った。
*
それから更に4日、今度は通路を12畳程度の部屋まで拡張する作業を行った。もちろん排出された砂礫は通路の比ではなく、瀬里奈は声を上げることもなく、完成した部屋の隅にうずくまっていた。
「さて、これで完成よ。後は物資を全部こっちに運び込むだけ。瀬里奈、一緒に行くわよ」
「うち……もう……無理や……」
「何よ、だらしないわね。これだって訓練の一環なのよ? 艦長は言ってたわ。戦う者の基本は穴掘りだって」
「穴掘りやなんて……もうイヤや……しんどいねん……」
瀬里奈は銀に目を向けることもなく、ただ虚ろな声を発するだけだった。
もちろん、これほど辛い作業が子供の身の丈に合っているわけがない。それでも、誰かのために戦いたいというのなら、小さな努力を重ねていくべきだ。アメリアをずっと近くで見守ってきた銀はそう考えていた。
「いい? ここまでついてきたんだったら、全力で艦長たちのことを助けるんだと思ってやりなさい。地味で辛い仕事だけど、これも全て誰かを助けるためなのよ」
「誰かを……助ける……」
瀬里奈はうわ言のように呟くが、目は銀の方を向いた。何か感じることがあったのかもしれない。
「そうよ。誰かが隠れられる穴を掘れば、そこに入った人が助かる。敵がどんな攻撃をしてくるかの情報を知っておけば、その攻撃で死ぬ人が少なくなる。そうやって、誰かを守るためにできることを全てやるのが、あの自衛隊の人たちよ。あんたも貢献したいなら、同じようにできることは何でもやりなさい」
「……わ、わかったわ」
瀬里奈は目を伏せながらも、銀の言葉に小さく頷いた。
彼女が憧れる理想像とはどのようなものかわからないが、少なくとも誰かを守るために戦おうとしているのは銀から見てもわかっていた。
その『できること』の第一歩が、この情報収集という地味で辛い仕事なのだ。それをわかってくれていれば、瀬里奈もこれ以上わがままは言わないだろう。
「じゃあ、疲れたんだったら休憩にしましょ。少し早いけど、ご飯でも食べる?」
「う、うん! 当たり前やん!」
食事の話になった途端、瀬里奈は水を得た魚のように立ち上がり、歓喜の声を上げた。
その後、瀬里奈は大量のカロリーメイトに絶望し、更に天井から落ちてきた砂礫がカロリーメイトにかかったことで心を折られてしまったのだが。
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