231話 信じるべき友人
「やはり、そうだったか……」
『ええ、ロッタが口止めをしていたようです』
矢沢は通信機を片手に、頭に手を当ててため息をついた。
護衛艦あおばからの報告では、瀬里奈は既に邦人村から姿を消していた。
彼女の一時的な後見人に指定した邦人男性によれば、ロッタが瀬里奈の世話をすると引き取っていたらしい。そこからロッタに話を聞くと、素直にアモイへ行ったと白状した。
そこからベル・ドワールとリウカの艦内で聞き取りを行った結果、アメリアが銀の不審な行動を度々目撃していたらしい。
後は銀に聞けばいいだけのことだ。彼女が匿っているとすれば、ダーリャ南部の演習場周辺のどこかにある監視基地に瀬里奈はいるのだろう。
だとすれば、やることは1つしかない。瀬里奈を迎えに行くのだ。
矢沢はUHF通信機をカバンにしまうと、それを持ってラナーの家から出た。
*
「ちょっと、どこ行くのよ!」
家から出た途端、買い物から戻ったラナーに出くわしてしまったのが運の尽きだった。ラナーはカバンを持って出ていく矢沢に対し、しつこくまとわりついて来る。
これから向かうのは、事前に銀へ伝えていた会合地点だ。ラナーは協力者であり、全幅の信頼を寄せるべき相手ではあるが、情報保護の観点からその場所を知られたくない。矢沢はただ黙ってラナーの言葉を無視し続けた。
「もう、何なの! 一斉検査から帰ってきてたと思ったら、今度は何も言わずに出ていくの? ねえ、何か言われたの?」
ラナーはテントや神殿で行われたことを何も知らないらしい。ただ矢沢について回り、態度が豹変した理由をただ聞いてくるばかりだった。
情報漏洩を防ぐためには、その情報を必要とする者だけに伝えるのが鉄則だ。確かにカットアウトを使うという方法もあるにはあるが、そこにはダミーの情報しか伝わっていない。そこから情報をサルベージできるのは受け取り手本人だけだ。
ラナー、いや、これから獲得するべき協力者たちにも、銀の顔は知られたくない。だからこそ矢沢は黙っていたのだが、ラナーの堪忍袋の緒が切れるのは時間の問題だった。
ずっと矢沢の傍にいたラナーは足を止めると、周りの通行人にも聞こえるほどの大声を発し始める。
「……ねえ、そんなにあたしのことが信用できないの? あの時にネモさんが約束してくれたことは何なの? 友達になるだなんて言ったのは、ネモさんたちの目的のため!?」
「ま、待て! ここではまずい」
「何よ! 都合のいい時ばっかりあたしを使うの? ねえ!」
「わかった、訳は話すから、こんなところで大声を出さないでくれ!」
「それでいいのよ」
衆人環視の中、矢沢が焦ってラナーに縋りつくと、彼女はニコニコと実に満足そうな笑顔を見せた。
たとえ情報保全のためとはいえ、黙っているのはダメだと痛感した矢沢は、すぐ近くの細い路地にラナーを連れ込んだ。どこか犯罪的な絵面ではあるが、この場合では致し方なかった。
手入れがなされているらしいパン屋の裏路地には、香ばしいパンの香りがほんのりと漂っていた。ラナーと共に地面に座り込んだ矢沢は、水を口にしてから話を始める。
「すまない。情報共有は最小限に、という原則から、君に伝えるのは躊躇われたんだ」
「でも、話してくれるんでしょ? なら、友達として許してあげる」
「はは、わかっているさ……」
強かに笑うラナーには、矢沢も勝てそうになかった。
伝えることは多くありそうだ。まず、ラナーは一斉検査のことも知らないはずだ。
「まずは一斉検査だ。結果から言うと、ほぼ免除されたと同然だ。本名は聞かれたが、それも口にはしていない」
「あー、確かにお兄ちゃんも言ってた。ネモさんは何も言わなかったって」
「聞いていたのか?」
矢沢は目を見開いてラナーに問いかける。どうやら話だけは聞いていたようで、彼女は頷く。
「うん。お兄ちゃんはネモさんだけ自分で尋問したいって言ってたらしくて。多分、あたしがネモさんに協力してることもバレてると思う。あたしが奴隷に否定的なのはわかってるし」
「そのこと自体に問題はない。バレてはいけないのは『灰色の船』と私の関係だけだ」
「なんで? ネモさんが奴隷解放派だって周知されたら、それこそアモイにはいられなくなると思うんだけど」
「確かにその危険性はあるかもしれないが、現時点ではそれでもいいと考えている。君とのパイプができた時点で、既に私の任務はほとんど成功したようなものだ」
「ふうん……そういうものなの?」
ラナーは当然ながら首をかしげる。スパイ活動は相手の情報を継続的に手に入れる、もしくは情報を使って自分に有利な状況を作り出すために行うものだ。
しかし、矢沢はラナーとパイプを持てた時点で任務は成功と言っている。その答えはしっかりと答えた。
「我々が浸透作戦を行う目的は、第一にアモイとあおばの間にパイプを作ることだ。誰かが交渉窓口になれば、そこを通じて話し合いができる。そこからどうするかは別の問題となる。第二にアモイの国家戦略などの情報収集だが、これも長期的に入手可能だ。第三にアモイの世論操作もあるが、これにはほとんど期待をかけていない。これは数十年、いや、エルフの寿命を考えれば数百年単位の事業となる。我々は数年も待てない」
「じゃあ、あたしとの約束は……」
「私にそんな力はない。行うのは君だ。我々が積極的に行動すれば、君が前に言ったように、君は国を裏切ることになるからだ。君の願いを国の総意にするには、私に依存するのではなく、この国の人間であるラナー自身が行動する必要がある。そして、私は全力で君の願いを叶えるための手伝いをするだけだ。約束は守る。この国を変えるという君の願いを、私は応援する」
「そう……ほんと、ネモさんって理屈が得意っていうか」
ラナーは呆れたように苦笑いする。言いたいことは伝わったようだ。
だが、ラナーの疑問はそれだけではなかった。
「じゃあ、何で黙って出かけようとしたの? 神殿に呼ばれたことと関係があるの?」
「ああ。大神官には最初から正体がバレていた。そこで初めて知ったのだが、我々の仲間が予期せずこの国にいることもわかった。彼女を迎えに行く際は誰にも知られたくなかった。情報漏洩の可能性は少しでも潰しておくべきだと思ってな」
「エルおじさんが……でも、それくらいなら言ってくれてもよかったのに。友達を探すんだったら、あたしだって協力したのに」
「リスク回避の1つだ。互いが存在を知らなければ、何かあってもその人物のことを吐くことはできない。君を守るためでもあった」
「でも、それ以前に友達じゃない。あたしのこと、少しは信じてくれてもいいんじゃない?」
「……全く、君は」
矢沢は半ば諦めて呟く。
ラナーは王族であるが故か、友人と呼べるような存在が少ない。庶民たちはラナーを王族として見ているからだ。同じ王族も、王の配偶者同士は関りが薄いばかりか、ラナーが軍人であり取れる時間もさほど多くないことから、ラナーと関係性が深い者はそう多くない。
ラナーが矢沢に肩入れするのも、王族という色眼鏡なしに腹を割って話せ、奴隷への認識もほとんど一致しているが故のことだろう。
だが、そういう友達がいてくれるのは矢沢にとっても心の支えになる。ラナーは協力者である以前に、既に親しい友人と呼べる存在になっているという認識が欠落していたせいで、矢沢は無視という誤った対応をしてしまった。
ならば、友人としてラナーの好意は受けておくべきだ。矢沢は理論的な自分にそう言い聞かせた。
「一緒に来てくれるか」
「もちろん。ネモさんの仲間、一緒に探してあげる」
ラナーは満足そうに笑顔の大輪を咲かせた。
スパイ活動は人とのコミュニケーションだ。決して単なる国家活動ではなく、人と人の信頼関係が織りなす、少し変わった日常の一風景なのだと、矢沢はしんみりと感じていた。
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