215話 危うい朝
矢沢は目を覚ますと、ふかふかの布団にくるまっていることに気が付いた。
昨日はラナーという少女と知り合ったこと、彼女と飲んでいたことは思い出せるが、強い酒を飲まされてからの記憶がない。
ハメを外してしまったことを後悔しながら、自分がどこにいるのか確認するために体を上げる。
「ん、あぁ……」
白い漆喰の壁に、木製のシックな家具の数々。アセシオンでも見た様式だ。部屋はだいたい24畳程度とかなり広く、ベッドも3台あることから来客用の寝室なのかもしれない。
建物自体はレンガや木材で建造されている。窓からちらりと見えている外の景色も、ダーリャの景色とさほど違いはない。
服は着替えさせられていて、今は淡いベージュの質素な服を着せられている。安物かと思いきや、新品な上に手触りもいい。この国では上等な代物のように思えた。衣服も荷物と共にサイドテーブルに置いてあり、必要以上に漁られた形跡はない。かばんはもちろん偽装を施してカメラなどは隠してあるが、それがバレた様子もない。
今のところ、手に入る情報はその程度だ。ここがどこか、自分が置かれている状況はどうなっているのか、それを確かめるためにも、部屋を出る必要がある。
ドアを開けると、洋館らしいエントランスホールに出た。ダーリャの街にあった他の建物とは違い、アセシオンやダリアで見かけたような雰囲気だ。アモイは交易が盛んな国であることも承知していたので、人族の文化に影響されていることは想像できた。矢沢がいるのは2階部分で、眼前には下階へと続く大階段が姿を見せていた。
広いエントランスホールを有するということは、屋敷の規模は大きめだと見ていい。宿泊施設に見られる設備は一切無いことから、高貴な人物の屋敷であることは確定的なようだ。
「あっ、起きたのね。おはよう!」
「あ、ああ……」
矢沢がホールの手すりに体を預けて考え事をしていると、ふいに横から話しかけられる。それが昨日知り合ったラナーという少女だと気づいた矢沢は、平静を装って彼女の方を向いた。
「よく眠れた?」
「まあな。それより、ここは君の家なのか?」
「そ。あたしの家。急な来客で対応できてないけど、もう少ししたらメイドさんが食事を出してくれるはずだから」
「わかった。助けてくれたことには感謝している」
「あたしが付き合わせちゃったんだもん、別にいいよ」
矢沢が感謝の言葉を述べると、ラナーは胸の前で手を振って申し訳なさそうな顔をする。
エルフは鬼畜ばかりだと聞かされていたが、ラナーを見る限りそうではない。むしろ、彼女は人を思いやれる優しい子だという印象を受けた。
彼女と知り合えたことはいいことかもしれない。規模の大きな屋敷に住めるのであれば、親はそれなりの権力者だろう。ラナーを協力者に仕立て上げ、そこからツテを辿って政界に影響力を及ぼせるかもしれない。
彼女の素性と人間関係を調べる必要がある。恩人を利用するのは気が引けるが、これも仕事のうち、邦人を助けるために必要なことだ。
その前に、まずは仲良くならなければ。矢沢は外国軍との親善交流でよく行う外行きの笑顔を作る。
「理由はどうあれ、助けてくれたことは事実だ。何かお礼をしたい」
「そうねぇ……と言われても、何かしてほしいっていうのはないかな。昨日の席でお話を聞いてもらえただけで十分なの」
「君は無欲だな。羨ましい限りだ」
「無欲っていうか、あたしは物を貰うより、何かしてほしいっていう感じかな。意外と忙しいから友達と会う機会も少ないし……あっ、それじゃ暫く話し相手になってほしいって言えばいいんだ」
ラナーは花が咲くような笑みを見せ、矢沢にぐいぐいと迫る。
「ねえ、あたしの友達になってよ! 歳も近そうだし!」
「歳が近い……? いや、私は今年で54だが」
「じゃあ4歳違いね! あたし、こう見えても58歳なの」
「58……うん? 君は未成年だと言っていたが」
矢沢は思わず顔をしかめてしまう。まだ20代前半どころか高校生にも見える彼女が、既に58歳などありえるわけがない。
だが、ラナーは矢沢の反応に不満があるようで、眉根を寄せて頬を膨らませた。
「エルフは60歳から成人なの! まさか、そんなことも知らないの?」
「ああ、そうなのか……」
意図していないとはいえ、矢沢はラナーを不機嫌させてしまったことに焦る。
アセシオンやダリアでの聞き取り調査である程度の事前情報収集は行っていたはずだが、さすがに成人年齢の情報は聞き及んでいなかった。
他国の常識がこちらのそれとは違うのは当然のことだが、さすがに自分を未成年と言い張る若い少女が自分より年上などと信じられるわけがない。
「ということは、エルフは老化しない種族なのかね?」
「寿命が長いのよ。普通のエルフは700歳くらいまで生きるし」
「そうだったのか。人族の村から出たことがなくてね、そういう知識は持ち合わせていないんだ」
「ふうん、そういうのってみんな知ってる常識だと思ってたけど」
「ところ変われば常識は変わる」
矢沢はポーカーフェイスで話すが、内心では誤魔化せてよかったと胸を撫でおろしていた。
敵地へ潜入する際は、なるべく住民に紛れ込む必要がある。防諜を行う諜報機関の人員に目をつけられてしまえば、その時点で国にはいられなくなる。そのまま残れば裁判にもかけられずにその場で殺されるのがオチだ。スパイに人権はない。
ただ、ラナーは常識のない田舎者だと認識してくれたようで助かる。昨日からの言動を見れば信用されていることは確かな上、話に聞いたような悪いエルフでもない。
しばらく話をしていると、やや横幅の広いエルフのメイドが大階段を登ってくる。ラナーの姿を見るなりお辞儀をして、矢沢にも同じような対応をする。
「おはようございます。ラナー様、お客様」
「ええ、ご親切にどうも」
「おはよ、コニーさん」
矢沢は丁寧に対応するが、ラナーは気軽に右手を軽く振った。さっきから使用人の姿は見えなかったので気になっていたが、実際にメイドを見るとラナーがいい身分の人物だということを実感させてくれる。
「朝食ができております。リビングへどうぞ」
「ありがと。それじゃ行こっか」
「悪いな、食事まで貰って」
「別にいいって。その代わり、友達にはなってよね」
ラナーは悪戯っぽく笑いってウインクすると、踵を返して大階段を降りていった。
矢沢もメイドに促されるままにリビングへと足を運んだ。不手際ばかりだったが、ボロを出さずに済んだことに安堵しながら。
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