211話 解放奴隷
アモイ王国の首都メシル・ロ=ダーリャ、通称ダーリャは、海と内陸を繋ぐ交易都市として発展したらしい。この街の沖合の海底にはバルトネウムっていうサファギンたちの都市国家が、遥か西には人族国家のアセシオンと交易拠点のハイノール島があって、そことの交易に都合がよかったから建設されたのだとか。
けど、本来はただの砂漠。交通の便という利点だけで作られただけの、海水に強いグリトニアヤシっていう植物くらいしか生えていない砂だらけの場所。それでもエルフの海水との親和性の高さと運河の精力的な整備で、どうにか世界でもかなりの規模を持つ都市にまで強引に発展させてきた。こんな岩と砂しかない場所を世界都市にまで作り変えるんだから、ご先祖様たちの努力、というか意地は凄まじい。その執念は現代にまで届いてる。
その街中でも特に発展しているのが、北西の海に面した官庁街と中央部の繁華街、そして南部の港にほど近い商店街。屋敷から軍の基地までは商店街を通る必要があって、いつもここで買い食いをしたり、お酒をひっかけたりしている。
今日も商店街はそれなりの人出がある。大小様々な店が並んでいるものの、どこも人が集まっているのは変わりない。庶民たちに混じって有力貴族や聖職者やその使いの姿もよく目にする。
「おいコラ、待てぇーー!!」
そんな中、どこからか怒りに震える男の野太い大声が響き渡った。通行人たちの何人かは何事かとそっちに目が行くけど、あたしは悔しいと思いつつも普段の光景だと自分に言い聞かせる。
それから間を置かずに、人混みをかき分けて女の子が目の前に出てきて、あたしにぶつかった。胸ほどにも届いていない小さな女の子だったけど、走ってきた勢いが強かったのか、よろけて尻もちをついてしまう。
「いったた……」
「あう……っ!?」
あたしと女の子の目が合った。
肩にかかる程度の黒髪はボサボサで、手入れはしているだろうけど道具を使っていないのか枝毛が目立つ。
人族の女の子。それも、マサヒロと同じく最近アセシオンから流れてきたらしい“集団密入国者”の民族にそれとなく似ていた。辺りにパンが2つ散らばっていたことから、さっきの大声を上げていたパン屋から盗んだものなのかもしれない。
少し驚いたけど、別に攻撃を受けたわけでもなかったから痛くもない。すぐに立ち上がって、女の子に手を差し伸べる。
「大丈夫? 立てる?」
「……っ!」
女の子は目をぎゅっと閉じながら腕を振り回し、手を払いのけて一目散に逃げていった。数秒後には脇をパン屋のおじさんが怒りの形相を露わにして同じ方向に走っていく。
「あの子もか……」
思わず、そんな諦めにも近い呟きが漏れてしまう。
ネイト教には『喜捨』っていう教義がある。それは自分の財産である奴隷を解放して、社会に還元することで徳を積む、っていう趣旨だけど、実態はあまりにもかけ離れている。
アモイで売られる奴隷には『喜捨用』っていう区分がある。実際に労働に従事させる奴隷とは違って、ただ手放すためだけに調達される奴隷。
そういう奴隷たちは労働力にならない人々や、コスパが悪い奴隷が選ばれることになる。
例えば老人や子供。働く力もない老人はもちろん喜捨用にされる。子供は従事させても成果を上げられない場合もあるし、大人になるまで育てるまでにはお金がかかる。だから喜捨用に調達されることも多い。人間なら誰でも余すことなく『使い道』はあるっていうこと。
この街のスラムは低所得者だけじゃなくて、喜捨用奴隷として解放された奴隷も多い。そういう奴隷は仕事にもありつけないから、やがては自分から盗みを働くか誰かに雇われて犯罪に加担する。それもできない人は当然飢え死に。
奴隷を解放して自由人に戻す、っていうコトバはいい行いにも聞こえるけど、その人が大手を振って社会に出られるようにできない限り、むしろ残酷な行為にしかならない。ただ出て行けと追い出してるだけだから。
ネイト教はそういう汚い面ばかり見えてくる。昔はそれが当たり前だと思ってたけど、数十年前にうっかりスラムに踏み込んだ時から、その考えは完全に変わった。
首都は言ってしまえば国王のお膝元だけど、それだけで全てが優れた都市と言えるわけじゃない。水はけが悪い土地のせいで衛生状態はお世辞にもいいとは言えないし、郊外にあるスラムは治安も悪くて、たまに大きな強盗事件も起こる。
水の代わりに、とにかく自分だけの利益を追い求めた人たちの収まらない欲望を目いっぱいに吸って成長したのが、このダーリャっていう街。
知らないことを知るだけで、人は大きく変わる。
あたしもスラムの成り立ちなんて知らなかったし、子供でも物盗りなんて最低だとも思ってた。
それが変わったのは、あの子たちの実態を知ったから。知った途端にあの子たちがかわいそうだと思ったし、売られてる奴隷たちに対してもそう思った。同時に、こんなくだらない宗教を信じている人たちが愚かにも見えた。もちろん自分も含めて。まるで熱した鉄が水に入れられて冷えるかのように。
「はぁ……いつになったら、みんなも気づいてくれるのかな」
無駄なことだとは思いつつも、そう願わずにはいられない。
あんな宗教がある限り、ああやって苦しむ人たちは増えるし、この街での犯罪も減りやしない。
訓練場に向かう足取りは自然と重くなっていたけど、あたしにはどうでもよかった。
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