207話 無血解放への道

「……やはり、これしかないな」


 矢沢はノートPCを操作し、艦長室に据えられたコピー機で書類をコピーする。概要だけを軽くまとめた梗概レベルだが、作戦を詰めるのは後でいい。


 邦人村の防衛体制を盤石にしつつ、アモイ王国から邦人を取り戻す方法はこれしかない。矢沢は絶対の自信を持って幹部たちに会議の通達を出した。


  *


「あおばを派遣しないのですか?」

「そうだ。あおばは邦人村とダリアの防衛を担ってもらう。その代わり、ダリアから2隻ほど船をリースしてもらう」


 徳山が訝しげに聞くと、矢沢は軽く頷いた。その場にいた幹部たちやオブザーバーたちは一段と張り詰めた表情を浮かべ、矢沢に目を向けている。


「アモイだけでなく、ダリアの周辺国にも働きかける必要があるだろう。あおばはそちらへの対応に回し、限られた人数だけでアモイを崩しにかかる」

「そうなると、浸透と世論工作ですね」


 機関長の長嶺京子3佐は納得したようにはっきりと発言する。今までの幹部会議ではあまり明るい顔を見せてはいなかったが、今回はそれが改善されているかのようにも矢沢には見えた。


「長嶺くんの言う通りだ。アモイの領地に拠点を構築し、武力侵攻は一切行わずに世論を誘導する。奴隷制を否定するよう宗教改革に踏み切らせることができれば、交渉のハードルは一気に下がる」

「熱心な宗教家たちに、そんなお話が通用するとは思えませんがね。タリバンをホモビデオ漬けにするって言ってるようなもんじゃないですか」


 この提案に乗り気らしい長嶺とは対照的に、航海長の鈴音孝広3佐は冷めた目をしていた。そんなことができるわけないと嘲笑気味に意見を出す。

 それに対し、特殊作戦群の波照間香織2尉が手を挙げて口を挟む。


「あたしは艦長の意見に賛成です。いずれにせよ、相手との交渉窓口を確保しないことには始まりませんから」

「だからと言って危険すぎるのも事実です。敵国で非合法活動を行うわけですから、従事者や協力者は存在が露見すれば一気に関係が悪化します」


 鈴音の諦めにも近い発言とは違い、口を挟んだ大松六実3佐の懸念は行動の結果より副次的な作用に言及している。


 スパイ活動は大きなリターンを得られるのと同時に、失敗すれば大きなリスクを背負うことになる。少なくとも地球ではそうだ。

 捕縛されたスパイはほぼ間違いなく死刑になる上、死刑を廃止している国でも、スパイは例外で秘密裡に処刑されることも多い。


 国家の統治機構を直接脅かすのは、権力者への直接攻撃と同義だ。国家への攻撃という名分で苛烈な刑罰を執行されるのも、その辺の都合が絡んでいる。


 決して楽な方法ではない。アセシオンでさえ権力を持つ貴族や大商人は奴隷化した邦人の解放に最後まで抵抗した者も多い。ましてやアセシオン以上に奴隷に執着を持つというアモイ王国から邦人を解放できるかどうかは未知数だ。


 だが、それでもやらねばならない。今もどこかで誰かが理不尽な目に遭わされ、涙を流しているのだから。

 日本政府は助けに来ない。行き来もできないばかりか、連絡すら取れない中ではこの事実を知ることさえ不可能だからだ。


 行動できるのは、ここにいるあおばの乗組員たちしかいない。そして、戦争をなるべく避けつつ邦人の解放を行う方法は、これが最良だと矢沢は感じていた。


「航海長、私はできることなら全て試してみたいと思っている。特に情報収集の重要性はアセシオンとの戦いで再認識している。今回はそれに加え、武力衝突の回避も目標に掲げたい」

「ジンの連中に助けを乞うってのはできないんですかい? 神の使いってならそれでもきるでしょうに」

「彼らの方針は基本的に放任主義だ。それに、エルフの宗教との関連性はないために、強引に介入しても戦争を起こすだけだろう。リアもそれを懸念していた」

「結局、アテにできるのはオレたちの実力だけってことか……」


 鈴音は腕を組むと、ぼんやりと天井を仰ぎ見た。


 目的を達成するためには資源が必要だが、それが十分量に達していて、その全てを有効に投入できるのならば、まず負けることはない。


 しかし、それは世界最強の軍隊であるアメリカ合衆国でさえ容易に達成できることではない。資源の確保から配分、そして消費まで全てを満足にこなすのは、極めて難易度が高いのだ。

 特に今は全てが足りていない。戦力や物資、防衛能力、それに情報。文字通り何もかもだ。


 ただ、それを嘆いたとしてもどうにもならない。神が全てを見ていて、足りないもの全てを恵んでくれるような奇跡などありはしないのだと、この場にいる誰もが口に出さずとも理解している。


「アモイに対しては一切武力を使わない。投入するリソースを最小限にすることで、邦人を保護できる。やる価値はあるとは思わないか」

「わたしはやってもいいと思いますっ!」


 佳代子は勢いよく立ち上がると、机を叩いて高らかに声を上げる。それが最良の手段だと疑っていないようだ。


「あの空襲の時に濱本くんが亡くなって、フランドル騎士団の裏切りで西川さんや吉井くんまで失って、もう耐えられませんようこんなの! だから、戦わなくて済む方法があるなら、わたしは絶対それを支持しますっ!」

「……ああ、副長の言う通りだ。戦わないで日本人を救えるなら、それ以上のことはない」


 徳山も珍しく、佳代子の言葉に何の抵抗もなく首を縦に振る。それに続き、長嶺や大松、先任伍長の武本明人海曹長も前向きな笑顔を見せた。


「それもそうかもな……わかりましたよ。艦長、オレも支持します」

「僕もです。インテリジェンスなら任せてください」

「ありがとう、君たち」


 そして、渋っていた鈴音や沈黙を貫いていた菅野も了承した。

 これで決まった。矢沢は安堵しつつも、頭では既に作戦の細かい部分の詰めに入っていた。

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