202話 時を超えた飛行士

「おや、ここにいましたか」


 矢沢がヤニングスとの話を終えて艦へ戻ろうとしたところ、背後から声をかけられた。ヤニングスとは違う、どことなく陰気臭い声の主はすぐに誰かわかった。


「ライザですか。ご苦労さまです」

「ライザか。何の用──」

「驚いているようですね。用は後ろの彼女を見て頂ければわかるかと」


 ライザ・ニコラエヴナ・ソコロヴァ。ヤニングス直属の諜報員である黒髪の女性で、いつも虚空を見つめるような虚ろな人物。


 矢沢はヤニングスと共にライザへ振り向くが、彼女よりもずっと目を引く人物に視線を奪われてしまう。


 航空自衛隊が採用しているF-35用のヘルメット型ディスプレイ、もといHMDを右手に抱え、同じく空自の飛行服を着用した女性だった。

 髪は邪魔にならないようショートボブで切り揃えており、化粧の類はしているようには見えない。背丈は矢沢を少し超えてライザに匹敵しており、あおばに所属する女性自衛官の誰よりも長身だった。それとは裏腹に穏やかな顔立ちで、20代後半といった風情だがどことなく母性を感じさせるたたずまいだ。身にまとう飛行服の肩には『FAPUTA』と書かれたワッペンが縫い付けられていた。


 だが、女性は矢沢を見るなり、直立不動で敬礼を行う。その一方で目じりからは涙が溢れてきていた。


「こ、航空自衛隊、新田原基地第305飛行隊所属、東川奈美1等空尉です!」

「海上自衛隊所属、護衛艦あおば艦長の矢沢圭一1等海佐だ」


 矢沢が答礼して腕を下ろすと、東川も同じく敬礼をやめた。すると、手を押さえて零れる涙をさらに溢れさせた。


「よかった、よかったです……やっと、日本人に……!」

「何があった、聞いてもいいか?」

「はい。例のドラゴンがあおばに倒されたのを確認しましたが、直後に周囲が虹色の光に包まれて、気づいたら森に墜落していました」

「ということは、アルルの大森林に墜落していたF-35Bのパイロットか!?」

「はい、その通りです。まさか、知らない森の中だなんて知りませんでしたけど……」

「君も転移に巻き込まれたのか。しかし、状況が違うな……」


 矢沢は東川の証言があおばの状況と食い違っていることに気づいていた。


 数日前に発見されたF-35Bは放置されて2週間程度といった雰囲気だった。どう見ても少し前まできちんとした施設で整備されている痕跡があったからだ。


 となると、転移したのは2週間程度前という結論になるが、それでは『あおばがドラゴンを倒したと確認した直後』という証言と大きく食い違う。あおばがこの世界に転移してきたのは、半年以上前のことだからだ。


「そういうことですか。となると、あの時かもしれませんね」

「あの時?」

「ええ、そうです」


 ヤニングスは興味深そうに東川の上半身をしばらく眺めると、小さく頷いて再び口を開く。


「少し前に発生した時空振の影響です。あの時は何度かのループが発生していましたが、その際に時空の扉が開いていたのかもしれません」

「時空振ですか……」


 ヤニングスは勝手に納得した様子だったが、ライザや矢沢、東川にはわけがわからず頭をひねるばかりだった。


「リアから時間がループしているという話を前に聞いたが、それと関係があると?」

「まさしくそれに当たります。あなた方は同じ時間軸の別世界に転移しましたが、そちらのお嬢さんは未来の別世界に移動したのです」

「未来の……別世界」


 東川は口をへの字に曲げ、難しそうな顔を作ってしまっていた。初耳であろう彼女にはわけがわからないだろう。そういう矢沢もあまり理解できていなかったが。


「わかりやすく説明すれば、象限儀が暴発した影響で彼女はここに辿り着いた、ということです」

「それは理解している。ただ……いや、いい」


 矢沢はなぜヤニングスがそれを知っているのか説明を欲したが、それ以上の情報は必要ないと判断し、開きかけた口を閉じた。


 重要なのは、彼女があの時から転移してきたということだ。そして、命に別状もなくあおばと合流できたことだ。


「では、ナミさんの身柄はそちらに引き渡します。もちろん条件付きですが」

「条件だと?」


 ライザがそう宣言すると、矢沢は怪訝な顔をする。ここに来て、また何かを言い出すのか。

 しかし、ライザが口にしたのは、矢沢の斜め上を行った。


「僕を船に乗せてください。それがナミさんをそちらに引き渡す条件です」

「本気ですか、ライザ」


 さすがにヤニングスにも寝耳に水だったようで、ライザの肩を掴んで引き留めようとする。

 そんな彼を振り払うように、ライザはそっと彼の腕を握って下ろさせた。


「僕は本気です。お仕えすべき人を見つけましたので」

「……そうですか、やはりあの娘に」

「今までお世話になりました。それでは、お元気で」

「……」


 ヤニングスはただ沈黙をもってライザの背中を見届けた。それが必然であるかのように。

 だが、矢沢は勝手に進む話に割り込んでいく。


「待て、私はまだ──」

「あなたは断れません。僕の条件を呑まなければ、ナミさんはお返ししませんし、理由をつけて追い返そうとしても、僕は必ず船に乗ります」

「はぁ……勝手にしてくれ」


 ほとんど脅しでしかないライザの言葉に、矢沢は心底滅入ってしまっていた。


 ライザは何をしてでも目的を達成する。それがアセシオンとの戦いで彼女と対峙した際に得た結論だった。


 その一方、航空自衛隊のパイロットと合流できたことは僥倖だった。運搬手段はなく、たった1機だけではあるものの、戦闘機がいるという事実は心強い。


「歓迎しよう。東川1尉、ライザ」

「はい、お世話になります!」


 東川は丁寧に敬礼するが、ライザは黙って笑みを浮かべるだけだった。

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