194話 憂慮すべき戦後
サリヴァン襲撃から4日後の昼下がり、矢沢は中庭のデッキチェアに腰かけながらローカー侯爵から受け取った奴隷の売買記録を読み漁っていた。
今日までに2度行われた会談では、両者の停戦と拉致被害者の救済が議題となった。国内にいる拉致被害者を全て帰還させることと引き換えに、あおば側は皇帝含む全ての捕虜を解放、アセシオンに新たな経済基盤を作るための技術指導を行うことで合意した。
一方、アセシオンから拉致被害者への謝罪は盛り込まれなかった。これについては既に帰還していた邦人からは大きな批判が出たが、領土侵入の責任追及を行わないということで手打ちにさせられた。そもそも漂流しているところを打ち上げられたのだからと矢沢は口にしたが、邦人奪還のために行動していたことを咎められ引き下がるしかなかったのだ。
とはいえ、アセシオンに残っていた邦人の帰還は確約された。ダリア王国についても、ダリア軍がアセシオンの防衛協力をすることと引き換えに領地は返還された。真の独立というわけにはいかないが、それでも大きな進展だ。
そもそも、アセシオンが誇るグリフォン隊は護衛艦あおばによって壊滅状態、海軍も重要な大型艦を複数撃沈されて痛手を負っている。国内の混乱も相まって、アセシオンは従来の領土を維持できなくなっていた都合もあった。
売買記録の精査は既に済んでいる。今こうして眺めていたのは、5ヶ月かかって取り戻したかけがえのない存在を自身の目で確かめたかったからだ。
結局、戦争というのは不利益しか生まない。この戦いで、邦人は既に30名以上の死者を出していたからだ。
連行途中での殺害、過酷な労働環境での衰弱死や自殺、そして奪還時の戦死者。それだけの人々が絶望の中で死んでいったのだ。
誰1人欠けることなく、というのは幻想だった。結局のところ、奴隷制度というのは上からの命を含む一方的な搾取であって、当の本人たちは全くもって痛くもかゆくもない。奴隷にされていた邦人たちが謝罪を強く求めるのは仕方ないことだ。
とはいえ、それはもうどうすることもできない。ここで感情的になり戦争を蒸し返してしまえば、今度こそあおばは海の藻屑となるからだ。
フロランスは未だに意識が回復せず、神の奇跡は使えない。あの時に10時間後には来ると言っていたあおばから迎えが来ないのも、給油設備の整備を行うために時間を取っているからだろう。
あおばはもはや浮かぶだけの鉄クズに過ぎない。そんな状態で、これからどうやって残りの邦人を迎えに行けばいいのか。
矢沢は書類を脇に置き、小さなため息をつきながら空を眺めた。
雲一つない真っ青な空。しかし、城の建物に阻まれ、全天を眺めることはできない。まさに残った奴隷たちが感じているであろう、自由のない暮らしを暗に伝えているかのようだ。
空は繋がっているというが、繋がってはいても全て同じではない。その距離の隔絶がどれほどに人を絶望させるのか。矢沢には全くもって考えが及ばない。
「悩んでいるようだな」
「ああ、君か」
すると、背後の廊下からロッタの声がする。矢沢はそちらへ目を向けると、普段の露出度が高い騎士団服を身につけた少女が笑みを浮かべていた。
「何かあったのか?」
「何のことだ。それより、お礼が言いたくてな」
「礼?」
矢沢は微笑むロッタに対し首を傾げた。ロッタはそのまま続ける。
「そうだ。我らはお前たちに酷いことをした。あの時はどうかしていたが、それでも我らの国を取り戻すため便宜を図ってくれたこと、とても感謝している。仲間を爆発の巻き添えにしたことはまだやりきれないが、それでも感謝の方が大きい」
「構うことはない。我々は協定を遵守しただけだ」
矢沢は無感情にそう言うが、実際はロッタの恨みつらみを感じながらも口には出さないようにしていた。
結局、ロッタは仲間のことを大事にする人物だが、同時に自分が正しいと思っている人間なのだ。たとえ自分の過失だろうと、仲間を失わせる結果を矢沢に押し付けている。
とはいえ、それは今更言うべきではない。彼女もその間違いに気づく時がきっと来る。
「ふふ、相変わらずだな」
ロッタは矢沢が座るデッキチェアの背もたれに横からもたれかかると、ふぅ、と一息ついて言葉を続けた。
「ダリアの王族は5年前に処刑された。このままでは指導者がいない」
「では、民主主義の国でも作るか?」
「ニホンの政治体制か。それもいいが、お前の話の通りならばスパイに弱い国になってしまう。二度と国を失わないためにも、今後は絶対に敵を倒せる国造りを目指したい」
「権力の集中は人々の弾圧に繋がる。あまり褒められたことではない」
「それはわかっている。良心を基軸にした国造りなどできはしないが、それでも我は信じたいと思っているぞ。誰もが幸せを願える国を造れるとな」
ロッタもまた、空を見上げていた。
やはり、ロッタは子供から抜け出せてはいない。大人になるには、まだ期間が必要なのだ。そんな少女が今まで5年もフランドル騎士団という1つの国のレジスタンスを率いていたことに、矢沢は改めて驚きを感じていた。
ロッタは子供だが、只者ではない。
やはり言っておくべきだ。矢沢はそう考え、ロッタに目をやる。
「君は何者だ? 王になったつもりで話をするのはやめた方がいい」
「……ああ、すまない。これでは奴らと同じだな。はぁ……」
ロッタは再びため息をついた。彼女は今後のダリアについて矢沢にアドバイスを貰いたかったのだろうが、そもそも彼女が何者かなのかわからない矢沢には、それしか言うことはなかった。
ダリアにもアセシオンにも問題は多い。そして、あおばの行く末にも。
矢沢はまだ終わりではないなと思いながら、壁に囲われた空を眺めた。
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