番外編 記憶の底から・海のストリートパフォーマー・その1
帝都に向かう途上のSH-60Kには操縦士含め8名もの人員が詰め込まれており、対潜戦闘用のシステムを幾つか載せたままのキャビンはお世辞にも快適とは言えない。
座席も旅客機のような快適なものではなく、あくまで人員輸送用。長時間座っていることに疲れたのか、ロッタはシートベルトを外して立ち上がった。
「あぁ……全く、やってられん。いつまでこうしていればいいのだ」
「あと2時間の辛抱だ。我慢してほしい」
「2時間? 2時間だと!? 我に2時間も座っていろというのか!」
矢沢の言葉が堪忍袋の緒を切ったのか、ロッタは狭い機内でアメリアが座る前のシートに手をかけ、思い切り体を伸ばした。SH-60K、というよりブラックホーク系列の機体は大人では立てないほどに天井が低いのだが、ロッタは問題なく背筋を伸ばして立てる辺り、彼女の小ささが伺える。
「はは、やっぱりロッタちゃんは子供だなぁ」
「なんだと? アイサキ、殺されたいのか」
伸びをするロッタを見ながら愛崎がケタケタと笑うが、すぐにロッタに胸倉を掴まれ、シートに押さえつけられてしまう。愛崎はそれでも笑みを浮かべたままだ。
「だって、自衛官ならこんな程度じゃ全く動じないのにさ、ロッタちゃんはすぐに座ってるの嫌だーだなんて、どう見ても子供じゃないか」
「うっ……」
「あはは……」
愛崎に鋭く指摘されると、ロッタはばつが悪そうに目を逸らし、口をきゅっと結んだ。さすがに反論できるはずもないか。前の佐藤も苦笑してしまっている。
とはいえ、自衛官であれ座りどおしは厳しいことに変わりはない。結局のところ、すぐに態度に出てしまうのが、ロッタが子供たる証明なのだが。
「別にいいのよ。ロッタちゃんはずっと子供のままで」
「それはそれで困る!」
一方でフロランスは後ろに振り返り、微笑ましくロッタを眺めていた。彼女は彼女でロッタを子供扱いしているのだが、傍から見れば娘のような扱いにも見える。
「くそ……くそ……我をどこまでコケにすれば気が済むのだ、お前らは!」
「あう!? いったぁ……」
度重なる子供扱いに業を煮やしたのか、ロッタは額に青筋を立ててアメリアの席を蹴りつけた。ガタンと席が揺れたかと思えば、アメリアの短い悲鳴が機内にこだまする。
「うう、ひどいですよロッタちゃん……まーくんも起きちゃいます」
「ちっ……お前たちなんか嫌いだ」
さすがにいじり過ぎたのか、ロッタは着席すると腕を組み、そっぽを向いてしまった。さすがにやりすぎたと反省しているのか、愛崎も苦笑いしながら頬を人差し指で掻いている。
機内が気まずい。フロランスは明らかに嬉しそうだが、他は一様に微妙な顔をして外を眺めるなり、手遊びを始めていた。
矢沢も諦めてひと眠りしようかと思い目を閉じたところ、アメリアが矢沢に声をかける。
「その……ヤザワさん、面白い話でもお願いします! 私たちが知らないような話を聞かせてほしいなと思いまして」
「ふむ……」
矢沢はアメリアの引きつった笑みを見て、解決策はそれしかないと悟っていた。こういう時、昔話というのは暇つぶしとしていい刺激になる。
となると、あの話しかないなと矢沢は思い出し、数年前の記憶を頭の棚から引っ張り出す。
「では、中国の空母をおちょくった話でもしよう。あれは確か──」
*
「かんちょー、本当にやるんですかぁ……?」
松戸佳代子は不安げに矢沢の顔を覗き込んだ。
空は雲がかかり、海は凪とは言わないまでも穏やかな状態。2021年4月初め、東シナ海の空気は緊張で張り詰めていた。
だが、矢沢は佳代子の不安など意に介さず、艦橋右のウイングで米イージス駆逐艦『マスティン』の姿を目で追っていた。
現在、矢沢が艦長を務める汎用護衛艦『きりさめ』と僚艦の『すずつき』、そして米イージス艦『マスティン』、『ミリアス』は、世にも珍しい『大物』を追尾している。
きりさめの右前方に天のようにほんの少し小さく見えているのは、中国海軍の航空母艦『遼寧』だった。僚艦と共に本土から宮古海峡を通過し、太平洋に出てきたところを日米の海軍が追跡中、という状態だった。
遼寧を中核とした艦隊は、055型ミサイル駆逐艦1隻、052D型ミサイル駆逐艦2隻、054A型フリゲート1隻、そして901型補給艦1隻の
CSGの構築は広大な範囲で活動する遠征型先進国海軍の象徴と言え、遠距離での戦力投射能力、つまりは敵国で戦争を行う力があることを誇示する役割がある。30年前に建造中止となったソ連空母の残骸をウクライナからフェイクを使って買い取り、練習空母として戦力化した彼らの本気度は高いと言える。
目的は南シナ海と台湾東部での演習、ひいてはインド洋から南シナ海に入った米空母セオドア・ルーズベルトへの牽制だろう。米国ではミサイル巡洋艦が役割を担う護衛艦の引率役、つまり055型ミサイル駆逐艦を戦力化したことで、中国軍は本格的なCSGを構築したと誇示するのが狙いだ。今しがた米艦との協議や護衛隊群との通信で決定された任務は、その広報を妨害することだ。
矢沢は不安げにキョロキョロしている佳代子に対し、普段通りの平静な口調で話しかける。
「飛行長、ヘリは格納庫に戻してあるな?」
「も、もちろんですっ! 今は整備中ですよ!」
「ではいい。君も見ているんだ、これから我々が何を行うかを」
「……っ、はいっ」
佳代子はその内容を知っているとはいえ、それでも緊張している様子だった。
米艦が中国CSGに突っ込み、広報映像の撮影を妨害すると共に、日米海軍の高い能力を世界に誇示する。もはや実戦と言っても過言ではない作戦を行うのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます