171話 怪しげな親書

「交渉の申し出か……」

「そうです。皇帝陛下の身柄を要求しており、そのためにも交渉を行いたいと言っています」


 矢沢が書面を見て唸る横で、ライザが淡々と説明する。


 ベルリオーズの捕縛から5日後のことだった。政府からの使者としてあおばを訪れたライザは、現在の政治指導者であるサリヴァン伯爵の親書を持っていた。その内容が、皇帝の身柄引き渡しを前提とした交渉の提案だったのだ。


 サリヴァンが何を狙っているのかはわからないが、どうも不可解だ。

 皇帝の座を簒奪したいのであれば、亡命の形を取って国外追放させるのが手っ取り早い。そして、その作戦は実行に移された。


 しかし、その作戦は失敗。皇帝は捕らえられ、今や政府との交渉材料となっている。この交渉が成功し皇帝が戻ってくるようなことがあれば、結局は振出しに戻るのではないのか。


「サリヴァンの意図がわからない、といった表情をされていますね」

「……なぜわかる」

「僕もそれがわからないからです。ローカー侯曰く、陛下の権威を失墜させるのが目的ではないのか、ということですが」


 ライザは渋い顔をしながら親書に目をやる。これの送り主が腹に一物を抱えていることは皇帝の亡命劇で垣間見えたことだが、それが何なのかはわからない。それはライザや上級貴族のローカー侯爵とて同じ、というわけか。


 そこで、矢沢は自分なりにローカー侯爵の考えを解釈した。


「なるほど、国を見捨ててトンズラしようとしたところで既に権威は地に落ちている。捕まったとなればなおさらだ。そこに人質として奴隷と交換されるようなことがあれば、なおもそれに拍車をかける。人々は皇帝を信用しなくなり、彼に怒りの矛先が向く、といったところか」

「多少の違いを無視すれば、概ねそれで合っています。侯爵の考えでは、彼の手先たる近衛騎士団も信用失墜の対象だ、と仰っていましたが」

「結局、既存の中央政府から人心を離れさせることが目的か。確かにクーデターの手順と一致する。しかし、それを今やってどうする? アセシオンは敵を作り過ぎている。そんな中で権力を簒奪しても──」


 言いかけたところで、矢沢は次の言葉を飲み込んだ。


 もしも、サリヴァンでさえ皇帝をしっかり操れていなかったのだとすれば、これは荒れた国家を是正するための権力簒奪ということになる。


 いや、それならばサリヴァンは他の講和派と協調するはずだ。あおばと交渉を行っていたベルリオーズを葬ろうとしているのは体裁のこともあるだろうが、講和派との協調がないことから考えても、彼の行動はアセシオンの平和に向けたものではないことは確かだ。


 ということは、やはり自身の支配体制を築くために帝位の簒奪に動いているのだろう。となれば、あおばと交渉しようとしているのは、先制してあおばを味方につけ、講和派を牽制する意図があるということだ。そして、あおばを味方に引き入れてしまえば、周辺国への牽制にもなる。長期的にはアセシオンの軍備も再建できる。ああおばにとって有利な状況だ。


 しかし、協力するとなれば、自ずと選択肢はサリヴァンではなく講和派一択だ。サリヴァンは決して旧ダリア領を返還しないだろう。となれば、講和派と講和を結び、政敵であるサリヴァンを追い落とす代わりにダリア領を返還してもらうのが最良の選択肢だろう。


 どのみち、奴隷商売で最も利益を得ているサリヴァンとの講和はありえない。核心的な利益に関わる以上、相手はおいそれと譲歩はしないはずだからだ。


 矢沢は考えをまとめると、ライザの目をじっと見つめる。


「わかった。サリヴァンと交渉しよう。ただし、それには上級貴族たちの講和派が明確な派閥を形成し、代表がこちらに親書を手渡してくる必要がある。そうしてもらえれば、どちらの交渉にも応じる、と返答ができる」

「わかりました。それで通しておきましょう」

「助かる。ここまでご苦労だった」


 軽く頷いて返答するライザに対し、矢沢は労いの言葉をかける。


 彼女はヤニングスの部下として重要な地位にいる。だからこそ議会への参加が認められたのだろうが、それでもサリヴァンにとってみれば邪魔者の1人だ。それでも粛々と任務をこなすライザのことを、矢沢は信頼し始めていた。

 確かにアメリアや瀬里奈をさらったことは容認しづらいが、その後の行動では敵対より協調を重んじていた。主の方針転換が原因であることは間違いないが、それでも不満一つ漏らさず任務を続ける姿勢は、素直に評価すべきだ。


 結局のところ、ライザは忠実に任務をこなしているだけで、誰かと積極的に敵対するつもりはないのだろう。かつて主人だったアメリアとは、その辺りが大きく違うところと言える。


 廊下を抜けて飛行甲板へ歩いていく彼女の背中を眺めつつ、矢沢は自然と笑みを浮かべていた。

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