168話 敵多き帝国
「そういうことです。敵は我々ではなく、サリヴァン伯爵では?」
「ううむ……いや、お前たちは奴隷の扱いを根本から変えようとしている。いわば世界秩序への挑戦だ。例え朕が国に帰ろうとも、お前たちとの交渉は一切できんぞ」
矢沢は何とか敵意をサリヴァン伯爵に向けようとしたが、無駄な努力だったようだ。皇帝はあくまで奴隷を解放しないつもりらしく、矢沢を大きく落胆させた。
そうなると、彼らはもう1つの勢力と対峙しなければならない。
「そうですか。では、あなた方はジンを敵と見做していると判断させてもらいます」
「奴らなど関係ない。秘宝の所在を喋らなければ引き下がるだろう」
皇帝は腕を組み、鼻で笑った。どうやらジンは手出ししてこないと踏んでいるらしい。
だが、意外なところから待ったがかかった。ヤニングスの表情が青ざめていき、赤髪の少女が皇帝の前に進み出る。
「ヴァン、陛下、どういうことか。説明を要求する」
「それは……」
少女は一切の感情を排除したかのような、機械音声にも似た口調でヤニングスに話しかける。対して、ヤニングスは彼女から目を逸らし、口を噤んでいた。
しかし、誤魔化したところで少女は引き下がらなかった。少女は矢継ぎ早にヤニングスをなじる。
「説明が無いのであれば、妾はこの場で契約を打ち切り、母上の元に帰還する。説明を」
「……仕方ありません。陛下、全てお話します」
「ならん! メリアは我らに残された最後の戦力──」
「お前に決定権は無い。説明を要求する」
驚いたことに、赤髪の少女が皇帝の首根っこを引っ掴み、壁に叩きつけたのだ。ヤニングスも度肝を抜かれているのか、目を大きく見開いて固まっていた。
相手は皇帝、反逆行為のはずだ。それを躊躇いなく行うとなると、彼女はアセシオンの人間ではないのだろうか。契約、という単語もそれを裏付けている。
「あらあら、仲間割れかしら。こっちとしては大歓迎だけれど」
「様子を見よう。向こうさんも訳ありのようだ」
フロランスは面白おかしく彼らの不和を眺めていたが、彼女とて理解できないわけがあるまい。これはアセシオンの軍事政策の根幹に関わる会話かもしれないのだ。
押さえつけられた皇帝は何か言おうとしていたものの、口が壁につけられており喋れない。どうせ呪詛の言葉だろう。
ヤニングスは見るに堪えなかったのか、諦めたように口を開いた。
「手前らアセシオンは、ジンの意向を無視して彼らと対立しています。レイリ・ミッドウェイからは戦車の返還を求められていますが、それに応じていません」
「……理解しました。現時刻を以て契約を破棄します」
「……! この、勝手が許されると思うな!」
「他人を騙すようなうつけ者に言われる筋合いはない」
少女は皇帝を離したが、次の瞬間には彼の頬に拳を叩き込んだ。皇帝は鉄格子にぶつかり、情けなく床に崩れ落ちた。
アセシオンにはどれだけ敵がいるのやら。矢沢は額に手を当て、ため息をつくしかなかった。
「無様ね」
「今までのツケが回ったのね」
「当然の結果です! 本っ当にありえません!」
傍観者に徹していた銀とフロランス、アメリアも矢沢と同じ感想を抱いたようだ。銀は肩をすくめ、フロランスは普段より口角を上げてニタニタと悪い笑みを浮かべ、アメリアに至っては腕を組んでそっぽを向き、頬を膨らませていた。
銀はどうかわからないが、少なくともフロランスとアメリアはアセシオンの横暴の犠牲者だ。皇帝の不運に同情など一切していないだろう。
一方、しがらみから解き放たれたらしい赤髪の少女は、矢沢に向き直って軽く一礼する。
「申し遅れた。妾はメリア・ラファイエット、ジンの1人だ。人族の護衛を任されていたが、此奴らが対立を選んだのならば、妾の敵。解放するのであれば、情報を全て提供する用意がある」
「どうやら複雑な状況らしいが、今は判断できない。ウィンジャーくんが帰ってくるまでは保留とする」
「……承知」
少女、もといメリアは静かに目を閉じた。これ以上言うことはないと悟ったのだろうか。
だが、彼女がジンというだけでは納得できなかった。あのドラゴンの姿は何だったのか、話を聞く必要がある。
「1つ聞きたい。君は赤いドラゴンを倒したところから出てきたと報告を受けているが、ドラゴンの召喚も君の能力か?」
「召喚ではなく変身。あれは国や近衛騎士団の象徴としてドラゴンを欲した、かつての王の命によるもの」
「そういうことか。では、ウィンジャーくんが戻れば話の続きをしよう。申し訳ないが、君は捕虜であることを覚えておいてほしい」
「……承知」
メリアは短く答えると、まるで彫像のような無表情を見せつけて押し黙った。そのような性格だとは思うが、それでも感情表現の乏しさは不気味な印象を与える。
これ以上話すこともないので、矢沢はこの場を離れることにした。できるのなら、今後の交渉がうまく行くよう祈りながら。
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