98話 危惧

 敵が追跡してこないだろう距離まで離れた後、矢沢とフロランスはヘリに乗り込んで先にあおばへと戻った。瀬里奈も帰りたいと駄々をこねていたが、アメリアに世話を任せると言ったらすぐに機嫌を直した。

 あまりに長距離の飛行だったためにSH-60Kのチェックを挟んだので到着は1日を過ぎたところだった。それでも早い方とは言えるが。


 ヘリがあおばの飛行甲板に着艦すると、数名の曹士たちと菅野、鈴音が迎えに来た。矢沢が降りてくるなり、彼らは短く敬礼をしてくる。

 矢沢は答礼を返し、鈴音に話しかける。


「よく艦を守ってくれた。ご苦労」

「お疲れ様です。こちらは何ともありませんでした」


 珍しく徹頭徹尾真面目に応答する鈴音。どうやら艦を守る、という任務はしっかり果たしてくれたようだ。


 交渉役である矢沢があおばに戻ったことで、ようやく新たな艦の行動指針を決定できるようになった。矢沢は菅野に目をやる。


「菅野、幹部会議を開きたい。すぐに士官室へ集めてくれ」

「了解」


 菅野は小さく一礼すると、そそくさと艦内に戻っていく。

 ヘリのメインローターが回転速度を緩めていく中、矢沢はこれから待ち受ける運命を悲観的に見ざるを得なくなることへの絶望感を覚えていた。


           *     *     *


「かんちょー、お帰りなさい!」

「お帰りなさいませ」


 佳代子以下7名のクルーに加え、陸自からは波照間が、フランドル騎士団からはフロランスが会議に参加した。ロッタやアメリアはまだ帰っていないので、フロランスが団長代行を務める形だ。


 いつも通り、矢沢が事前作成した書類を各員に配布し、会議はスタートした。


「今回のラフィーネでの会議は、2名の人質を奪回しつつ死者を出さず撤収できたことで戦術的には勝利を収めたが、会談は話にもならず戦略的には大失敗となった。状況は更に悪くなっている」

「くそ、無理難題をふっかけてくるなんて……」


 菅野はため息をつきながら報告書を眺めていた。隣の徳山も信じられないといった表情だ。


「彼らは我々を賊だと考えているに違いありません。とはいえ、対話の努力は継続すべきです」

「それはもちろん当たり前だけど、相手は間違いなく攻勢をかけてくる。プリンセスを隠す場所を探さないと、また戦闘に巻き込まれるわ」


 気を落とす徳山たちに大松が言う。それに続いて武本も口を開いた。


「奴らが何を考えてるかなんて一目瞭然だ。俺たちの抹殺、それしかありませんぜ。俺たちは国民を守る盾だってことはわかりますが、今回はそれ以前の話だ」

「それじゃ、お城ごと破壊しちゃいますかぁ?」

「そんなことをしちゃったら、皇帝がどこかに逃げて探す手間が増えるわね」


 佳代子はいつもの軽いノリでとんでもないことを言い出すが、フロランスがなだめる。それでも戦略的な目線を優先する辺り、彼女の現実的な思考は健在らしい。


「いずれにしろ、邦人の救助を優先するのであれば、正面切って戦うか要人の排除を行う必要がある」

「要人排除ならお任せください。エスでは要人暗殺を何度か遂行しています」


 矢沢が結論を言うと、波照間が真面目な表情で言う。エスとは特殊作戦群の通称で、彼女が隊員であることは既に幹部と立検隊指定者の全員が知っている。


「うそだろ……?」

「嘘ではありません。中東で4名、ロシアで2名、日本で3名のターゲットを仕留めています」

「おいおい、特戦群ってそんなこともしてるのか?」

「エスは通常の自衛隊とは違い、政府のオーダーを自立的に、かつ忠実に実行し、政府が望む政治的目標を達成するための組織です。暗殺業務も一定の需要があります」


 ドン引きする鈴音に対し、波照間は表情を崩さない。鈴音だけでなく、他の者たちも全く違う次元に生きていることを思い知らされていた。


「現在の意思決定機関はこの幹部会議、そして意思決定者は艦長さんです。あなたが望む終末状態を達成する、それが今の私の使命です」

「私個人としては、正面切って戦うべきだと思っている。そのための戦力は持ち得ている上、彼らもエルフと対立している以上は戦力の損耗を強く忌避するだろう。仮に皇帝が徹底抗戦を主張したとしても、必ずや講和派は出てくる。その人物を窓口に交渉を行うべきだ」

「艦長さんがそうおっしゃられるのであれば、それを達成するためのお手伝いをするだけです」


 波照間がそういった後は、しばらく誰も口を開こうとはしなかった。考えがまとまっていないのか、ただ波照間の言動に圧倒されているだけなのか。

 それを察した矢沢は手を叩き、全員の注目を集めた。


「休憩にしよう。各々は改めて資料に目を通し、考えをまとめておいてほしい。今回はかなりの重要局面だ」

「「「了解」」」


 全員の返事を最後に、会議は中断された。矢沢はコーヒーを買うために通路を出たところ、追いかけてきた長嶺に声を掛けられる。


「艦長、よろしいでしょうか」

「長嶺くんか。何かね」


 鷹の目のように鋭い目つきに、アップヘアーにまとめた後ろ髪が矢沢の目に入る。長嶺機関長はやや目線を下に落としつつ、口を開いた。


「曹士37名、幹部3名からの意見具申です。直ちにアセシオンでの作戦行動を中止し、フロランスが言っていた『象限儀』を探すべきです」


 矢沢は長嶺の口から出てきた言葉を心の中で反芻した。


 いつかはこんな提言が出ると思っていた。今回は絶好の機会だ。

 だが、それは邦人の救出を諦めるということに他ならない。矢沢は話の続きを待った。

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