97話 皇帝の怒り

「この、なぜだ、なぜなのだ!」


 ジョルジュ2世の怒りは限界に達しかけていた。


 強大な力を持つとはいえ、相手は海賊。それもアキレス腱である人質を取った上で艦長をラフィーネに呼び寄せて封じ込めたというのに、交渉という名の恫喝は大失敗に終わった。


 騎士団の団長に巫女、そして灰色の船の艦長。この重要人物を船から離してしまえば、奴らとて反撃する手段を失い降伏すると思っていた。

 そのはずが、彼らは最高の隠し玉であるヤニングスすら撒いて逃げおおせたのだ。それも、人質も完全に奪還されたばかりか、近衛騎士団の戦力を相当数失うことになった。


「貴様、奴らを逃がした罪は大きいぞ。朕の顔に泥を塗ってくれおって!」

「彼らは灰色の船、もとい『アオバ』無しでも一定以上の戦闘力を持つことが証明されました。これは敵を知る上でも重要な情報です」

「朕は軍政の話をしているのではない、国の沽券に関わることだ! これ以上奴らの勝手を許せば、いずれ反乱を起こす者たちが次々に現れる。そうなれば、エルフ共と戦う余力はもはや無くなってしまう」


 頭に血が上った皇帝に対し、ヤニングスは至極冷静に意見を述べる。彼としても、情報がほとんど出揃っていない以上、灰色の船を殲滅する自信は全くない。だからこそ対話路線を作っておく必要があるというのに。


「蛮族共と戦うのが目的であれば、彼らと協力してはいかがでしょうか? 彼らとて同じ人族、種族さえ違う蛮族共より遥かに対話が成り立ちます」

「何を言っている、気でも違っているのか? 奴らは奴隷制度を潰そうとしているのだぞ! そうなれば富は民衆に流れ、我々は力を失う。もはやエルフ共との戦争どころではない、国の崩壊だ!」


 皇帝はヤニングスのチェストアーマーの間に指を入れ、引っ掴んで近くへ乱暴に引き寄せる。


「そのような結末は絶対に認められん、何としてでも奴らを殲滅しろ!」

「ご報告を行った通り、彼らは海軍部の艦隊に無傷で勝利しています。それも虎の子のグリフォンや流星まで迎撃している有様です。領主軍艦隊を全て出しても傷つけることさえ不可能でしょう」

「まだゴスペルがいるだろう、それをザップランドに与える。お前は奴の下につけ、陸軍部と海軍部を統合する」

「……承知しました」


 ここまで皇帝が怒りを見せているのだ、もはや艦隊の壊滅阻止など不可能だろう。


 明らかに不利に過ぎる。海や空での戦闘力は最強そのもの、接岸中に奇襲を行うにしても哨戒する者がいないはずがない上、彼らは無人で空を飛ぶ物体で広域偵察を行う。陸海空どの領域からも接近は不可能。まさに動く要塞だ。


 それだけではない。ヤニングスには遥かに気に入らないことがあった。

 ザップランドの下につくなど、どんな拷問より酷い屈辱だ。肥溜めの内容物を全て飲み干す方がマシなほどに辛い。

 奴もジエイタイとの戦いで大敗を喫し、グリフォン隊とファルザーを消し飛ばした。それなのに海軍の実質トップである提督を再び任されるというのか。


「く……ッ」


 ヤニングスは久々に強い怒りに駆られていた。


 あの男の無能さは身に染みて理解している。次男坊ながら特権階級であるアポートル貴族であるが故に数多くもの愛人を抱え、事あるごとに財力と権力をひけらかして女に擦り寄るという。女かつ知的種族であれば種族は関係なく、対象年齢も最低は3歳から、最高は外見さえよければ600歳の老齢エルフでさえ相手にするという。


 近衛騎士団が陸海に分かれる以前、ヤニングスも彼の部下だった。その時はバーやホテルで酔ったザップランドや女の送り迎えなどもやらされた。

 それに加え、以前からアモイに奴隷を流している。ジエイタイを怒らせたのも実質奴の責任だ。


 決して地頭はよくないので家での評価は低いが、皇帝の前では従順なので気に入られている上に、海軍部でも優秀な幕僚を抱えて定石通りの作戦を遂行し、部下も雑に扱うことはないため男からの評価は高い。女癖が悪いせいで女兵士からの評価は壊滅的に悪いが。


 何の価値もない狭い領土しか持たない男爵家の家系であり、コネの力も薄い中で実力のみで団長へと上り詰めたヤニングスとは全く違う、典型的な腐敗貴族。それがジョージ・ザップランドという男だ。


 再びあのような男の下につくなど、もう二度と考えたくなかった。それどころか、大本営の発足はザップランドの地位を相対的に高めることになる。まさに悪夢と言うべき事態だ。


 事実上、陸軍部は海軍部に吸収されることになるだろう。ヤニングスのお先も真っ暗だ。


「人数が揃い次第、帝国議会を招集する。枢密院はその後だ。今の敵はエルフ共ではない、あの海賊共だ!」


 それだけ言うと、皇帝はマントを翻して自室へと戻っていった。


 結局、皇帝の顔は1度たりとも真っ赤な状態から元に戻ることはなかった。どれだけ意見を述べようとも、ジエイタイを殲滅するまでは収まらないといった雰囲気だ。

 我々は彼らのことを知らなさすぎる。ヤニングスはこの戦争がどこに向かうのか、それだけが心配だった。

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