79話 デゼルの怒り

「クリア」

「クリア」


 敵がいないと想定されるエリアでも、クリアリングは怠らない。想定は想定でしかなく、何が待ち受けているかわからないのが実情だからだ。


「敵はまだこの辺には到達していないみたいですね」

「油断は禁物。敵の目的はわからないんだから」


 波照間が佐藤に諭したのは正しい。敵の目的が分からなければ、予測を立てたとしても不正確なものになってしまう。


 しばらく敵と遭遇しない状況が続く中、船尾方向からは爆発音や船体が軋む音など不穏な音が幾度となく響いてくる。

 騎士団の一般隊員に通信機は配備されておらず、ロッタだけが持っている状態だ。状況の確認はできない。


「とにかく、先に進むべきよ。ですよね、艦長さん」

「その通りだ。サザーランドとプリンセスを引きはがす」


 波照間の問いに矢沢は頷く。現状ではそれしかないからだ。


 それから数分と経たないうちに、矢沢らは船橋までたどり着いていた。船橋へのドアを前にして、突入準備を整える。

 矢沢が人差し指と中指を合わせ、ドアに向ける。それを合図にフロランスが手でドアを開け、波照間から順に部屋へ突入した。


「動くな! 陸上自衛──」


 波照間は船橋へ突入するなり銃口を操舵装置付近に向けるが、眼前に広がる光景を前にして手と口が止まった。


「遅かったじゃないか」


 アクアマリン・プリンセスの乗組員に加え、デゼルが陣取っていた。それも、彼は現在の責任者である三等航海士の首筋にナイフを当て、人質に取っていたのだ。最後に矢沢やフロランスも部屋に入るが、攻撃は一切できずに睨み合いの状態に陥ってしまう。


「あんた、どういうつもりなのよ」

「我々は奴隷の扱いを受けない。これまでは我慢していたが、状況は変わった」


 デゼルは邦人を移送していた際に、矢沢と話をした時と同じ目をしていた。

 敵意に満ちた怒りの目。あの時と何も変わっていなければ、有益な交渉は望むべくもなかった。


「状況は変わった? どういうことだ」


 矢沢はデゼルに銃口を向けながら問いかける。


「団長はお前たちの身柄と情報を欲しがっている。お前たちがいれば、あのアモイを海から駆逐できるとな」

「そうはいかない。我々には帰る国がある」

「そう言って大人しく帰すと思うか」


 デゼルの冷淡な答えに、矢沢は返す言葉もなかった。彼は続ける。


「人質を預かった。返してほしければ戦闘行為を停止し、近衛騎士団に帰順せよ」

「ダメだ。交渉になっていない」


 矢沢はデゼルの要求を一蹴する。捕まったのが誰かは容易に想像できたが、どのみち生殺与奪の権利を握られてしまうのであれば、それは死んでいるのと同じことだ。ジュネーブ条約は命の保証があるからこそ機能するのだから。


 だが、この世界にそんな道理は通用しないらしい。デゼルは怯える三等航海士の喉元にナイフの刃先を当て、わずかに傷をつけた。


「これ以上長引かせるな」


 デゼルは本気らしい。完全にあおばを支配下に置こうとしている。


『……かんちょ、かんちょー!』


 そこに、佳代子から矢沢らに通信が入る。もちろんインカムなのでデゼルには聞こえていない。矢沢が窓の外に目をやると、あおばがやや転回して主砲の照準をアクアマリン・プリンセスに向けているのが見えた。


『答える必要はありませんよー。とりあえず、船橋でのことはバッチリ見えてますっ! なので、主砲弾を至近に撃ち込んで支援しますね!』


 声には出さなかったが、矢沢や波照間らは顔が青ざめていた。5インチ砲弾が外れた際に自爆させるために使う時限信管を船橋の至近距離に撃ち込み、デゼルを怯ませるつもりなのだ。

 だが、この状態で下手な真似はできない。矢沢は仕方なく佳代子の作戦に乗ることにした。


「どうした、こいつが死んでもいいのか」

「……我々はアセシオンを国家として認めていない。よって、君たちはただの武装集団だ」

「それはお前たちの道理だ。こちらには関係ない」

「いいや、ある。そして、我々にはお前たち武装集団の扱いに関する取り決めがある」


 言い終えた時、矢沢はあおばの5インチ主砲が発砲したことを確認した。すぐにでも砲弾が到達するだろう。


 着弾に備えて腰を落とし、すぐにでも行動に移せるように覚悟を決める。


「テロリストとは交渉するな、ということだ」


 次の瞬間、耳をつんざくような砲弾の破裂音に続き、船橋のガラス窓が全て破壊される轟音が耳を襲った。

 遅れて窓ガラスが飛散し、船橋中に嵐のように吹き荒れていく。


「くうっ!?」


 デゼルは窓ガラスに背を向けていたため、盛大に窓ガラスの襲撃を受けた。それどころか、周囲の航海士や自衛隊員にも被害が及ぶ。


「いっ……!」


 波照間や佐藤も例外なく窓ガラスの破片を浴びた。矢沢も覚悟はしていたが、それでもガラスの嵐は彼らの行動を止めるには十分な威力を持っている。

 そんな中、フロランスは防御魔法陣を展開してガラスをものともせずデゼルに接近、低威力の火球を放って彼を航海士から引きはがした。


「くそ!」

「ごめんなさいね。わたしも、あなたたちとは交渉する気にならないの」


 デゼルが魔法防壁を展開して魔法を放とうとするが、フロランスは既に空気を圧縮させた透明な塊を彼の腹部に押し付けていた。


「ぐ……あああぁぁぁ!!」


 悲痛な叫び声を上げながら、デゼルは船橋から船首へ落下していく。とっさに魔法で反動をつけたのか死ぬことはなかったが、ダメージを受けてはいるようで動きが鈍い。


「彼には聞きたいことがある。フロランス、捕縛を手伝ってくれるか?」

「もちろん」


 全身に細かい傷を負った矢沢は、痛みを堪えながらもフロランスへ言う。彼女は小さく微笑むと、デゼルを追撃しに階下へ飛び降りた。


「波照間、私と来い。佐藤と濱本、大宮は負傷者の手当てだ」

「いたた……りょ、了解」


 佐藤は何とか返事をしながら救急キットを取り出す。濱本や大宮もけがをしているが、窓の近くにいた航海士たちよりは軽傷だった。


「了解です、艦長さん」


 波照間は全身に小さなガラス片を受けた程度では任務を放棄しないようで、ギラギラと輝く目を矢沢に向けていた。

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